汚泥
色違いの防雨服で身を固め、玉網を担いで、僕ら校外へ繰り出した。さすがに堂々とではなく裏門からそそくさと。
課外活動の目的を教師に問われて真正直に答えようものなら、こんな天気でもっての外と叱責された上、非日常究明クラブのお取り潰しも十分ありえるので、探索時間は二時間以内、雨が少しでも強まれば即打ち切ると決めておいた。
めざすは水田の向こうの貯水池。雑木林に遮られて部室の窓からは見えない。
「さすがにもう田んぼの近くには現れないでしょ」
「かといって、昨日の間にそう遠くへ移動する生き物でもないしね」
一瞬の目撃情報しか判断材料がないのが痛いが、謎の人面蛙はウシガエルの誤認の可能性が高い、違っていたとしても形態的に半水棲の種だと思われるので、潜むとしたら水辺だろう、というのが立花の推測だった。
何より、今も溜池の方角から、断続して届く謎の鳴き声。
僕と部長は、その声を頼りに水田沿いの道路を渡り、無人の農地へ降りて、雑木林の通過を試みた。そっちのほうが溜池への最短通路だからだ。
湿った土と枝葉の匂いがする。懐かしい匂い。
自然林の生き残りと廃業した農家が植えていった桑畑が、境目も曖昧に林立するカオスな樹林帯だ。
「石神井先生さあ、どうして自殺なんかしたんだろうね」
黙々歩いていると不審さが増す気がして、先頭を行く立花に話しかけた。
「亡くなった人のことを詮索するのは感心しないわね」
やっぱりジャク師の話題には乗り気でないのだ。
「でも、先生は亡くなる直前、理科室をめちゃくちゃに破壊していったんだよ? あれほど自暴自棄にさせるなんて、よほどの事件があったと思うんだ」
石神井が亡くなった日の朝、大事なカエルたちの水槽が見るも無残に床に投げ出されており、貴重な何種かが死亡、それがアパートで縊死体の発見に繋がったのだ。
「案外、失恋説が本当なのかねえ」
雨音に邪魔されぬよう、ぴったり立花と並んで聞く。
「そりゃあ、石神井先生だって人の子だし」
フードに半分隠れた横顔は何かを耐えているようにも見えた。
「いくらカエルが好きでもカエルを嫁にするわけにもいかないしね。そんなことより周囲に気を配りなさい! 過ぎた話を蒸し返している間に人面ガエルを見逃したら、副部長から平部員に降格よ!」
真正面から凄まれて僕は背筋を伸ばす。
怒ると怖いな。低調なようでも台風部長の威厳は健在だ。
「悪かった。反省するよ」
「罰として溜池までひとっ走りしてきなさい」
「なんでそうなる⁉ ここまで来たんだから一緒に行けばいいじゃん」
「部活動中の不謹慎な話題が目に余るわ。大体、今日の課題を持ち込んだのは栄之助でしょ。部長の到着前に偵察でもするのが筋ってもんよ」
「……わかったよ。じゃあ、これ持ってて」
玉網のついでに用意してきた包みを立花に渡す。
「何これ?」
「鶏のササミ。カエルを誘き出す餌」
情けなくも斥候役を命じられた僕は、単身溜池へ急いだ。
駆け足で木々の間を抜ける。謎の鳴き声はまだ続いていた。
そうだ。あの頃も確かこんな声が。
池に潜む何かに手招きされている気分になった。理不尽な部長命令への反発もあり、いっそ怪異究明の一番槍でもつけてやるかと速度を上げた瞬間、僕はバランスを失い、派手に飛沫をあげて水溜まりに倒れた。
やっちまった……ゴム長靴を履いても油断すればこのザマだ。
しかし、ぬかるみに足を取られたのが自分でまだよかった。もし立花が泥まみれにでもなろうものなら、自分の不注意を棚に上げて僕を責めまくるに違いないから。
より厄介な災難を事前回避できたことを幸いに思いながら身を起こしたところで、後方からたまぎるような悲鳴が飛んできたものだから、今度は危うく水溜まりに頭からダイブするところだった。
確かに部長の声だ。あの怖い物知らずの女に何があった?
「おーい立花! どうした立花ー!」
結果からいうと人面蛙は実在した。
息を切らして引き返した僕を、待ち受けていたのが件のUMAだったのだ。
仰向けに倒れた立花の上で、喉をひくひく蠢かせて。
異様なカエルだった。成蛙でありながら、口吻の短い平面的な貌は、幼体に近く、人間的とすら言える造作は我が部長をして卒倒させるに十分なおぞましさを放っていた。
「しっ! 離れろ! しっ!」
一喝して玉網を打ち下ろす振りをすると、怪蛙は立花の上から飛び降りた。ぴょんぴょん跳ねて、草むらの中へ逃げ込む。
追っている暇はない。白目をむいている部長へ駆け寄った。
「立花! しっかりしろ立花!」
手を取ってみた。脈が止まっている。
胸に耳を押し付けた。鼓動も止まっている。
「冗談だろ⁉ 立花! 立花ー!」