10 耐えられないので夜逃げしようかと
アリサが自分の出した大きな声に自分で驚いて両手で口を塞いでいる。月下宮にケイたちも住み込みで入っているので、今の声で押しかけてこないか暫く扉の方を見て耳を澄ませたが、そのような足音は聞こえてこなかった。
アリサと目を見合わせてからほっとした息を吐く。夜中に騒いで侍女を起こすような真似は、悪目立ちする以外の何物でもない。
「……本気で仰っています?」
「本気よ……。耐えられないもの。それに、正面からお断りもできないし……いえ、辞退する勇気が私には無いのよ」
「でも……ここ、王宮ですよ?」
アリサは私が本気なのを声のトーンで分かっているようだ。それに、私が限界に近いことも理解しているのだろう。
どう止めようか、と思っているのだろうけれど、どちらかといえば私に寄り添った意見を述べている。
「気の病で辞退、という事にされた方が穏便なのではありませんか?」
「……メイベル様の心象が最悪になるわ。今は私に正面からぶつかってきている、なのに私が気の病、だなんて……それにイリア様のこともあるし……。あぁ、でも、夜逃げすればどちらにしろね……、いろんな方向の心象が最悪になるわ……」
私は乾かしたばかりの頭を抱えて、寝間着のまま一人でぶつぶつと呟き始めた。
アリサはアリサで主人の意向に従う、という使用人の枠を超えはしない。主人を諫めるのも仕事ではあるけれど、それ以上に私の精神状態が悪いことを理解しているようだ。
こうやってアリサにまで悩ませてしまうなんて、私はやっぱり、最初から何かと言い訳をして『リリィクイン』に参加しなければよかった、と思っている。
こういう精神状態になるのは暫くなかったことだ。今まで、祖母にならって自分も嘘や出まかせで笑い話にして乗り越えてきた。
けれど、王太子妃という立場を賭けた『リリィクイン』という場ではこれはあまりに許されないことだと、ようやく理解できた。メイベル様が正面からぶつかってきたことで、ようやく自分の考えの甘さに気付けたとも言える。
「夜逃げは無理でも……、少し、散歩する位は許されないかしら?」
「散歩くらいなら……王宮の警備は厳しいですから、衛兵に見付かっても夜風に当たりにきた、と言い訳できる程度に軽く服装だけ整えて向かいましょうか」
「えぇ、気晴らし……そう、これは夜逃げのフリ。自分に少しだけ嘘を吐くの」
アリサはさっそくクローゼットから簡単に着られるワンピースとローファーを出してきた。夜に溶けるような髪色と同じ瑠璃色のワンピースに、白いリボンを高い位置で結んで、ローファーを履く。月下宮は平屋建てなので、窓からそのまま庭に出た。
今日は気持ちいい風が吹いている。アリサも楚々として後ろを着いて来たが、私が本気で逃げ出さないようにと見守っている部分もあるのだろう。
まん丸い満月を見上げて、風になびく髪を片手で耳にかける。
「……帰りたい」
「辞退、したいのか?」
思いがけず、独り言に思いがけない人から声がかかった。
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