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ドーナツの穴  作者: 久架 雪歩
一部
8/15

一部五話

 お待たせいたしました。本当にお待たせして申し訳ありません。

 また今月末体調を崩す予定が入っておりますので、またしばらく投稿に空きが出てしまう可能性が高いです。可能な限り急ぎます。


 今回は一応主人公が奇妙な感覚で目覚めるところからです。

 話の途中、都合上伏字を要する表現が出てきます。要は互いに罵倒を飛ばしているだけですので、検索は非推奨です。


 それではごゆっくりどうぞ。


 朝、爽快な気分で目覚めた。もちろんどんな夢を見ていたかは覚えていないが、とても幸せな夢だったような気がする。何か途中までは酷い夢だったような気もしたが、それでも目覚めは爽快なことには変わらない。

 上体を起こしては大きく伸びをするナイトに、苦笑交じりの声がかけられる。――ルーだ。


「よく眠れたようで何より」

「……アンタはいつ起きたんですか?」


 不思議とルーを眺めていると何か違和感を感じる。

 違和感の原因は分からなかったが、ルーはルーでしかない。きっとナイトの気のせいなのだろう。それにしてもルーの身支度はもう完璧なように見えるのだが、本当にいつ起床したのだろうか。少なくともナイトよりは遅くに寝て、ナイトよりは早くに起きているのは間違いあるまい。

 ナイトの就寝時間が早かったことはあるのだが、それにしたってナイトが起きた時にはすでにルーが使っていたと思わしきベッドは綺麗に整っていた。――まるで、そこで寝ていなかったかのように。

 ルーがベッドを直すところは見ていない。起きる前に直したのだろうか。布団を整えている気配なんか全くなかった。つくづく器用なものである。ナイトが爽快感に陰を感じたところでルーが肩を竦める。


「そんなことより、キミはさっさと朝食を食べてくる。

 荷物はまとまっているからね、キミが朝ご飯食べ終わったらもうコレール王国へ出発するよ。向こうでも情報収集を行いたいから、早めに出たい。

 ……さっさとしてくれないかな? 寝汚いのは、いっそ忌むべき悪徳ではないのかね」

「……はい」


 言われ、ナイトは起き上がり、身支度を整える。触った感触でしかないが、酷い寝ぐせなどはついていないらしい。

 鏡が無いので断言はできないのだが、そもそも見苦しい格好であったら、ルーがうるさくあれやこれやと言っていたのであろう。念のため目線だけで聞いてみればルーが深く息を吐く。


「別にそんな怯えなくても酷いことにはなっていないよ。髪は大きく乱れていないし、キミの顔は変わらず阿呆面だ。

 何の瑕疵もないヤツに対して重箱の隅を楊枝でつつくが如くに失態をあげつらうほど、アタシは暇人じゃあない。そこは安心してくれて良いのだけれど。というか、だいぶ心外なんだけど?」


 小言が始まる前に、身支度を整える手を進めた。それで正解だったらしい。ルーはもう一度深く息を吐き、ナイトの分のベッドを整え始める。小さい体でシーツを扱うのは大変ではなかろうか、そう思ったが存外器用にシーツを整えている。

 ナイトが部屋のドアへ手をかけると、何やら別の作業始めていたらしいルーが、そういえばとナイトを一瞬だけ呼び止めた。


「おはよう。今日も良い一日でありますように」

「……アンタの方こそ。つか、アンタは朝ご飯を食べないんですか?」

「私はすでに食べてきた。遠慮しないで行っておいで」


 返しが咄嗟には思いつかなかったが、いい加減な返事でもルーは問題なかったらしい。だが、追加情報にルーの謎が深まった気がする。本当にいつ、食事を摂りに出ていたのだろうか。

 首を傾げながら食堂へ降りていくと、商魂たくましいことにすでに営業を開始していた。ふわりと良い香りが漂っている中、昨晩と同じように端の方の席へ座り、ウェイトレスへおすすめメニューを注文。また昨晩と同じように料理を待っていると、隣に影が差した。


「おはようございます、好い朝ですわねぇ」

「お、はようございます」


 ヴィントだった。さまざまなことが昨夜と同じである。

 ルーから聞いている内容が邪魔をして、挨拶を返すのにつっかえてしまう。だが、ヴィントは気にしなかったのか慣れているのか、にこりと微笑んだ。緑の瞳が蕩けるように細められている。今日もうつくしい、笑顔だ。


「昨晩はイイところでしたのに、あの小さい方に邪魔をされて残念でしたわねぇ。あの方、いっつもわたくしの前に現れては創作活動の妨害をしていくのですよ? 芸術を真に愛していない、薄情な方ですわ。そうは思いませんこと?

 ――それはそれとして。今からでも貴方のお名前、伺ってもよろしいです?」

「い、いえ。遠慮しておきます……」


 また、ヴィントから不穏な気配を感じる。絡めとられるような、不自然な威圧。ナイトがたじろぐと、ヴィントは不穏な気配を消して上品に微笑んだ。

 首を小さく傾げ、花開いたと思わせる小さな微笑み。ここだけ切り取れば彼女はただの貴族子女のように見えるのに、どうしてルーの関係者と言うだけで不穏な影を見てしまうのだろうか。ナイトは様々な意味で引き攣った笑顔を浮かべた。

 ヴィントはクスクスと微笑む。


「ふふ、こんな好い朝ですから。それに水を差すような無粋な真似は致しませんわぁ。貴方のお名前はまた後日伺いますわね。

 ……それにしても残念です。貴方々、戦争を止められると伺いましたが?」


 水も飲んでいないのにナイトはつい、その発言にむせてしまう。ヴィントの発言を聞いた者は何故かいなかったらしいが、彼のそばの数人は、咳き込むナイトを一瞬だけ見ては自分の食事に戻る。周囲の人たちはヴィントを認識していないのだろうか。不自然なまでにヴィントが注目されていない気がする。

 それにしてもだ。ヴィントは今何を言ったのだろうか。


「……残念ですって?」

「ええ。他人事ですから」


 嫋やかに微笑む彼女が、恐ろしくて仕方ない。

 戦争になれば、人が大勢死ぬ。死んだ人の家族が生き残っていれば、その人たちは悲しむだろう。また農地が蹂躙されれば、また耕したりするのに人手と、金と、時間がかかる。その人手は戦争で死んでいるのだ。農地が荒れたままでは食べ物がなくなる。食べ物がなくなれば、飢えて苦しむ人だって現れるかもしれない。

 まさしく、悲劇の連鎖と言うほか、何か形容の言葉があるだろうか。

 それらをまとめて、彼女は他人事と、言ったのだろうか。


「わたくしに関係あるのは、どれほど面白い恋がそこにあるかですわ。

 ……あら、まさかそんなこともご理解いただけていなかったのでしょうか。わたくしは物騙錯家というイキモノでしょうに」

「……物語作家であろうと、それでも人が大勢死ぬことになんとも思わないんですか?」

「ええ。他人事ですから」


 ――だめだ。コレは人ではない。まともな理性が無い。

 一本筋が通っている。前言撤回をする気が無いだけ潔いのかもしれないが、言葉にしている理論はナイトからしてみれば破綻していた。

 ナイトが戦慄を覚えた瞬間だった。


「……はぁ。

 その狂人の狂気に呑まれるのは仕方ないけどね、せめて自分の正義を堪えて、それ以上は関わらないという選択肢を採るべきだったんじゃあないかね?」


 ルーの声がした。ナイトは縋るような気持ちで声の方を向いた。ルーが痛そうに頭をおさえ、ナイトとヴィントの間に割って入る。

 ナイトは押されるままに、少しだけ間を開けた。


「ただ、そいつとの会話の回数をこなしていないのに、長々と相手をさせて悪かったね。

 ――おい、ヴィント。少しは反省をしたまえよ。善良なる普通の人間には、お前の毒は利きが強すぎる」

「んふふっ。でも致し方ないのですよ? 彼がとっても愛らしくて。つい、からかいたくなって」

「キミのそれはからかいではなくて味見と言うのだよ。隙あらば小説にしようとするんじゃあない。

 だいたいね、ナイトは今オレと契約してるんだから手を出すんじゃない。むしろ私たちの旅路を節度を以てサポートしてくれてもいいんだぜ?」

「アナタに協力しなければならないなんて、そんなの、言論と思想の自由が壊されそうになっている時以外にはありませんわぁ!」

「それは協力とは言わない。利用と言うんだよ。しかも使い捨てにする気しか感じ取れないな。作家サマの癖にして、言葉に不自由していらっしゃいます? 辞典をお貸ししようか? それとも絵本からやり直してその狂いきった性根から矯正を始めた方がよろしいかね。

 ……ああ、失礼。始めた方がよろしいでちゅか?」

「自由に言わせておけばなんてこと! 聖書を与えた方が良いほど腐りきっているのに、よくも人をそのように悪し様におっしゃいますのね!」

「あんな綿菓子よりもフワフワしてる代物なんか、触ることすら願い下げだね。キミ、人殺しと謗られたことが何回もあるだろ。主にオレに」

「アナタこそ悪魔と詰られた経験がおありのようで!」


 ナイトには、目の前で白熱する舌戦を見守るしかできなかった。止めるタイミングが分からない、と言うのが主な理由であるが、次点で止めるための語彙を持たないというのもあった。とりあえず分からないなりにナイトが理解したことと言えば、二人は頭が良く、そしてとても仲がいいのだろうということだけだ。

 途中、詰め寄ってでも詳しく聞かなければならないようなことがあったような気がした。だが、あまりにも言葉の応酬が早く、割って入ることが出来なかった。結果、何について聞かねばならないか分からなくなる。思い出した時に聞けば良いか、とナイトは引き攣った笑みを浮かべた。

 段々、高尚なのか幼稚なのか分からなくなってきた言い合いを尻目に、ナイトの目の前に料理が運ばれてくる。ナイトは考えることを放棄して料理に手を付けるのだった。



 ナイトが朝食を食べ終わっても二人の舌戦は続いていた。飽きることなくよく続くものだと感心を覚えてしまうのは、もはや仕方ないだろう。

 決してナイトが早く食べ終わったのではなく、単純に二人の舌戦が凄まじいだけだ。もちろんナイトの食べる速さは遅すぎることはない。ないのだがとても速いということでもない。平均程度の速さだと、ナイト自身は思っている。

 そして、それは間違った認識でもない。だが、その少なくない時間を二人は、すべて罵り合いに消費したのだ。罵倒の語彙がよくもそんなに尽きないものだ。関心を通り越してもはや呆れすら感じる。

 もはやナイトの知らない言語が混ぜられており、二人が何を話しているかも分からない。声は一応多少荒いのだが、大きすぎるというわけでもないのが幸いか。それとも淡々と罵り合いが続き、表面上だけはにこやかな朝の挨拶に見える、その落差に胃を痛めるべきなのか。ナイトには分からなかった。

 こんな場にはいられない。ナイトがそっと席を立つと、ルーはナイトの顔を見ることなくその服の裾を掴んだ。


「She thinks she's the bee's knees. Thick as two short planks」

「...Das ist u××rtr×××ich! LIAM,LIAM,LIAM!」


 ルーが何故ナイトを引き留めたのか。それは全く分からない。一応ルーの発言に同意をさせるべく引き留めたのだろう。だが何を言っているのか、全く分からなかった。その発言に、ついに青筋を立てたヴィントが、ルーに対して何かをまくし立てる。

 ――そしてそれはルーにとって超えてはならない一線だったらしい。


「You're complete ××××××!」


 ヴィントに掴みかかった。これでも注目を浴びていないのが謎である。それとも、この程度は日常茶飯事なのだろうか。こんな日常は嫌である。

 ナイトはヴィントからルーを引き剥がす。勢いとは裏腹に簡単に剥がせたのは幸運である。ルーは自己申告の通りにとても非力らしい。


「Ver×××××!」


 何を話しているかは本当に分からないが、罵詈雑言が飛び交っているのだけは分かった。なんとも奇妙な感覚ではあったが、ナイトはこれはキリがないと判断してルーを抱える。ヴィントの語気が強まり、更なる激化の予感を感じ取った。早く、撤退せねばなるまい。

 ――あの夜にも思ったが、存外軽い。というか軽すぎるくらいだ。

 軽い分には都合がいい。ナイトは激昂するルーを小脇に抱え、いったん部屋に荷物を取りに戻るという名目で、戦略的撤退を行う。


「ヴィントさん、すみません! コレ、反省させるので許してください! アンタもマジになって人を罵倒すんなよ!」

「You ××××!」

「――ナイトさん、しばらくソレを抱え込んで離さないでくださいまし! あまりにも不快ですわ! あと三年くらいは視界に入れたくありませんの!」


 ナイトは心の底から、ルーとヴィントが何を罵り合っていたか分からなくて良かったと思った。両者共にとんでもない剣幕である。

 ――数十分後。

 ルーはベッドに腰かけていた。ナイトは忘れ物が無いか改めて確認しながら、ルーの様子を窺う。

 どうやら未だ機嫌を直していないらしい。顔にありありと不機嫌の文字を書いたルーは、それでもナイトに向けて形だけではあったが、謝意を見せた。本当に謝意を見せなければならない相手は別にいるのだが……また拗ねられても面倒だ。ナイトは大人しく口を噤んだ。


「……悪かったね、ついアレと口論になると場外乱闘に発展する。

 腕力底辺同士が場外乱闘初めても泥仕合になるだけだと理解しているが、それでもつい、地雷を踏まれて頭が沸騰するんだよ。また私も相手の地雷を踏み抜くのが楽しくて仕方がなくなってしまうから、喧嘩を越して戦争状態に発展するんだよ。

 悪い癖だとは思うのだが、奴とはどうにも反りが合わない。反りが合わないのに、行く先々で遭遇するんだから、モイライは何を考えているんだか分からない。彼女の短いのは髪だけじゃなくて、記憶し続ける力の継続時間もではなかろうか。もう少しアレの文様は乱してくれて良いと思わないか?

 どうしてそんなに芸術的な作品に仕立て上げようとするんだろうね……芸術は本当に理解が難しい」

「半分くらい何言ってるか分かりませんけど、多少は頭が冷えてよかったです。まったく……どうしてあんなにムキになったんだか……」


 ナイトは呆れ混じりに呟く。何かしらの返答があると思っていたが、しかしナイトの予想に反してルーは何も言ってこなかった。不気味に思われ、ナイトはルーを見下ろす。

 ルーは何かを思い出すように遠くを見つめていた。


「……そうだな、何と言えばいいか。俺は全知全能という訳ではないから、奴との因果をどのように表したら良いか分からない。

 ただ、一つ言えることがあるとすれば……きっと、私は奴が多少なりとも羨ましく見えているのかもしれないね。あそこまで吹っ切れたなら、とかちょっとは思ったりするんだ。ただだからこそ許せないこともあるのだけど」

「――アンタにも羨ましいとか、あるんだな」


 思っていた反応とは、全く違う。どこか尊大な態度を常に取っているルーから、そんな謙虚な言葉が出て来るとは、全く思っていなかった。ナイトは短く瞬きを繰り返し、溜息を吐く。

 その言葉に反応をし、ルーはナイトを睨み上げる。……元の調子に戻ったのはある意味で歓迎すべきことかもしれないが、それはそれとしてこの程度の発言で小言を言い始めるのは止めてほしい。

 声には出さず、ナイトは心の中でぼやいた。


「私は先に申し上げたが決して全知を有している訳ではない。せいぜいキミより一桁年上で、ちょっと知っていることが多いだけだ。そう、ほんの少し、知っていることが多いだけに過ぎない。その証拠にここ数十年の世界情勢なんて俺は存じ上げないのだもの。キミにその辺りの情報を求めないだけ優しいと思ってほしいな。

 そもそも全てを知る存在なんか、何のために生きているのだね。未知を既知にしていく快感を、もう味わえないじゃないか。まさかオレがそんなつまらない存在と勘違いされていたなんて残念だよ。本当に残念だよ、キミがそんな浅はかな考えをしていただなんて。

 大体知恵者ほど自分は何も知らない無力感に苛まれることを、キミは知らないようだね。幸運なことだとは思うが、井の中の蛙大海を知らずとはこのことではなかろうか。キミは狭く小さい世界にて今まで生きてきたのだから、多少は仕方ないのかもしれないけれど、世界はキミが思っている倍の、倍の累乗くらいの広さと深さと大きさを併せ持っている。たかがキミの倍以上を生きている程度で、全てを知れると思うなよ。それこそ神にだって総てを知ることは不可能なのだから。

 ――だいたい全てを知れると思い上がれる、その無神経さが理解できないな。世の中には俺の想像を絶することだって容易にあるんだぜ? 例えばキミの短絡的思考とかな!」


 本当に放っておけば一人で延々と話しているのではなかろうか。何を言われたか、細かく記憶しておくのはナイトにとって至難の業であった。というか、同じようなことを違う言い回しで言い放ったような気がする。

 それほどまでに虫の居所が悪いのだろうか。八つ当たりはほどほどにしてもらいたいものだ。もうしばらくは彼女と出くわさずに済むのだから。


「僕はアンタじゃないんですから、その程度も知るわけないじゃないですか……!

 ほら、アレですよ。少しづつ学んでいけばいいと思いますけどねぇ!」


 その発言に、ルーは目を丸くして口笛を一つ吹いた。高い音が鳴る。急な細い音にナイトは一瞬驚くが、ルーの表情にろくでもない気配を察知する。


「キミもやれば賢者のようなセリフを吐けるじゃないか。

 そうだよ、キミは私ではないから知らないことも、知らなくても良いこともあるんだよ。だから俺は時折キミのことがが理解できないし、キミは俺のことを完全には理解できない。でも意見の擦り合わせを諦めないことが肝要だよ。

 ――ここ、テストに出ます。

 常にそのような殊勝な態度でいてくれれば、追加で教育する必要がなくなるから楽になるというのに。……嗚呼、嘆かわしい」

「アンタ、僕が珍しく賢いことを言ったら素直に褒めて下さいよ。地味に貶されすぎてて悲しいんですが」


 溜息をまた吐くとルーは、ナイトの膝を軽く蹴る。突然の衝撃に耐えきれず、ナイトはベッドへ倒れ込んだ。

 せっかくルーが整えたというのに、台無しになってしまったではないか。


「いて!? アンタ、何をする――!」


 上体を起こし、ナイトはルーへ吠える。ルーは無表情に彼の腹の上へ馬乗りとなり、そしてナイトの頭を優しく撫で始めた。その手付きはとても柔らかく、そして優しく。――もしかしたら母が優しければこのような手付きかもしれない、と想起させるほどであった。

 ……ナイトは母からこのように撫でられた記憶はない。何故なら、彼は元貴族だったからだ。貴族の子育ては基本的に母が優しく甘やかすことはほぼ無いのだ。

 ルーは寝物語を聞かせるように囁いた。


「偉いねぇ、ちゃんと頭が良いじゃあないか」

「……本当に褒められるとは思ってなかったです」


 思わず絞り出した感想を、ルーは鼻で笑う。笑われ、ナイトは思わず顔を赤くさせた。確かに他の言い方はあったのだろうが、こんな状況で平然としていられるほど、ナイトは変な神経をしていないのだ。

 ルーはナイトの腹の上から退いた。


「忘れ物は無い? さっさとこの国を出るよ」


 ルーは平然とそう宣った。

 ――滞在時間が長引いた理由は、ルーとヴィントの口喧嘩が存外長引いたからではなかっただろうか。原因が擦り付けられた気がする。

 声に出すとまた何を言われるか分からない疑問点を、ナイトは心の奥底に仕舞い込んだ。ルーとの付き合い方がなんとなく分かったような気がする。

 ――つまりは、失言には気を付けよう。余計なことを言わなければ、すべてが丸く収まる。



 特に道中は何の不便もなく、ナイトとルーはもうそろそろ森を抜ける地点にまで来ていた。

 いくら隣り合っている街といえ、森の中で一泊する程度の距離はある。一人で旅をしようとはもう思えなかった。

 しいて道中の出来事を挙げるとしたら、ルーが思っていたよりずっと旅慣れていたことくらいだろうか。旅の初心者であるナイトは、実戦で様々なことを学ぶ羽目になった。

 例えば水の初級聖術が自在に使えるようになれば、水を常に持ち歩く必要性がなくなる。水の持ち歩きが軽減されるだけで荷物がとても軽くなる。そうした、冷静に考えればそれそうだが、今までのナイトには関係が無かった事柄を中心に学んでいった。

 ナイトは決して水属性の聖術が得意ではない。あくまでも適正属性は地だ。だが、あまり上手に使えない範囲であっても、実際に体験してみて便利だと感じたのだから、旅慣れている者ならばその実感は猶更なのだろう。

 火の初級聖術も便利だと思った。実際、聖術を使わずに火を起こそうとしてみた。ルーでさえも多少時間がかかっていた。ナイトは三度繰り返してみても、ルーの補助が無ければ火は点かなかった。使えるようになっていて本当に良かったと思う。

 ただ、あまりにも練習を兼ねて聖術の発動をさせられるもので、途中目を回すように倒れてしまったのは苦い思い出である。思い出しては一瞬苦笑していると、ルーが溜息を吐いた。


「とりあえず今後の課題は魔力量を増やすことだな。

 まぁ、アレだ。キミが使っている術式は魔力効率をかなり高めてるから。キミの素の魔力量が上がったら、もっと色んなことが出来るようになるよ」

「……もっと手っ取り早く聖力の量を上げるにはどうしたらいいですかね」

「常時、風の陽の初級使ってれば?」


 風の陽の初級聖術は、小さい風を巻き起こすという術だ。布が多少揺れる程度の術を常時展開するくらいでは、誰にも迷惑はかけないし、術を維持する練習にもなる。風の陽の初級聖術を常時展開して、そして聖力を可能な限り減らして、回復して、減らして。いわゆる筋力トレーニングと似たようなものだ。頑張れば頑張るほど重いものが持ち上げられるようになるように、頑張れば頑張るほど魔力量などが増加する。

 一瞬だけいい加減なアドバイスに聞こえたが、考えてみると確かに合理的な選択であった。

 森を抜けて、ルーは目を細めた。


「……ああ、見えてきたね。コレール王国辺境の地、ルヴェールに」


 ――外壁が見えてきた。


今後も何か怒鳴り合いが勃発したら、今回のような感じで伏字を使っていくと思います。

次話も鋭意執筆中です。更新までしばしお待ちください。

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