プロローグ 中編
お待たせしました。活動報告でもありましたように、中編と相成りました。
もう少し書き溜めていても良かったかな、とは思うのですが、溜めすぎていても邪魔なので今回は早めの放出をさせていただきます。
また同じく活動報告に記載したように、プロローグで起承転結と四話展開するかどうかで悩んでいます。
四話で展開することにしましたら、しれっとサブタイを編集させていただきます。
では、本編どうぞ。
【4/14 追記】
前編の方にも記載しましたが、あまりにも長くなったので、次とその次に予定していた話を結合し、中編として公開させていただきます。
推敲や、誤字脱字が不十分ですので、しばらくの間細かく更新させていただきますが悪しからず。
【5/9 追記】
大いなる誤謬を見つけたので修正いたしました。誤字修正程度ですので、物語の流れ的には特に変更はありません。
【7/21 追記】
ナイトの足の治療をすっかり忘れていたことを思い出したので、ダイジェスト風に治しました。軽い修正程度ですので、物語の流れ的な変更点はありません。
彼は謎の存在に危機的状況を救ってもらった。足がどんな様相になっていたか、確認はしていないが、高そうなポーションを遠慮なくかけられ、治してもらった。やはり酷い状況になっていたらしく、激痛に苛まれたが、布を口に放り込まれ悲鳴を上げることはできなかった。
……だが、ここまで親切にしてもらったソレから、助ける価値を問われている。危機的状況を脱したはずだったのに、また別の危機的状況が待ち構えていた。
彼もソレへ聞きたいことは山とあったが、助けてもらった恩返しだ、質問に答える程度何でもないのだが……。
「え、ええと……何から説明したら良いか……」
ソレがどのような説明を、どこから求めているかが分からず、彼は困った。それさえ分かればまだ良かったのだが、説明の出来によっては逆にこちらが拘束される可能性もある。
困り果てている様子を読み取ったか、ソレは肩を竦める。
「まずは名前。次にここはどこか。後はキミ、私の質問に答えていればいい」
ここはどこか。そんな事を問われ、彼は短く瞬きを繰り返す。どうしてそんなことが分からないのだろう。いや、それ以前にその質問はとてもおかしい気がする。
少年も疑問に感じたらしい。無邪気に首を傾げて言う。
「ここは伝承の森だよ?」
「……なるほど? ちなみにここはどこの国で、なんと言う街だね」
「み、ミゼリコルディアの領都。街の名前も、ミゼリコルディア……。
あ、ここはぼくのおうちの森で、伝承の森って言われてる!」
「なるほど、ありがとう。キミ、名前は?」
優しく問われ、少年は答える。……彼はその様子に何故か羨望に似た感情を抱いた。どこから出てきた感情かは、全く分からない。だが羨ましい、とだけ感じた。
――そして羨望と同時にどこかで違和感がさざ波を立てる。が、何も気付いていないらしい少年は自分の名前を答えた。
「ラウル」
「ああ、良い名前だ。キミは?」
水を向けられ、彼は答える。
一瞬だけ迷って。だが、濁してもラウルが、素直な子供がいる以上逃げ切れない。何より彼自身も腹芸が得意な方ではない。
「……ナイト」
「…………なるほど。なるほど?」
ソレは彼に強い興味を持ったらしい。ラウルではなく、彼に正面から向き直った。
どこか釈然としなさそうな雰囲気だが、なんとか無理やり納得しようとしているようだ。
彼――ナイトは、そこでようやく違和感の正体を思い付いた。現在位置を知らないのに王国語は流暢なのだ。
第一に、ソレは領民ではない。そんな質問をするはずがないからだ。第二に他の領地からの旅人でもない。領地へ入った後、どこかの街で聞けるからだ。今聞くことではない。
第三に、隣国からの旅人という線もあろう。だがこれもおかしい。
この森は辺境伯邸の敷地だ。そんな場所がまさか隣国との国境線に近いわけがない。多少距離がある。隣国との国境線を越えてきて、ナイトとナザリオとの会話で王国語を使ったのだと言うのであれば、現在位置はミゼリコルディアだと自然に分かるはずだろう。
だが、ソレは王国語を流暢に喋っておきながら現在位置を知らない。
空から飛んできたのだろうか。いや、それにしては力の流れを感じなかった。他の手段にしたって、ソレが出てきた前後で音がしなかった。
そもそも。起きてきたらと言っていた。ソレはこの伝承の森の中で眠っていたのだろうか。まさか。
最初から今まで、全て訳が分からない状態だと言うことに、ナイトは初めて気がついた。が、何かを言う前にソレが口を開く方が先だった。
「私はルー。ただのルーだ。
――そんなことより、先程彼が言った伝承の森というのはどう言うことか聞かせてくれたまえ。どのような伝承だ? 今は何年何月何日だ。聞きたいことはまだ大量にあるのだが?」
「ま、まず暦ですけれど。今は聖暦316年の水の月の四日です」
これもおかしい。おかしいがナイトは素直に答えた。国で年が違うことはあり得るが、月の数え方、日の数え方は同じのはずだ。でないと国を跨ぐ商談を行う商人が不便をする。
――緑の月は春の半ば。概ね暖かくなり、花も咲きわう、緑溢れる月である。この質問が飛び出してくるのだ、やはりソレ――ルーは何かがおかしい。
ルーは怪訝そうな顔でナイトへ聞き返した。
「西暦? 皇国暦ではなく?」
「えっ、ええ。暦は大切なものですから。聖なる暦です。
というか皇国ってなんですか?」
「聖暦か。話を続けろ、キミからの質問はまだ受け付けていない」
疑問は次から次へと浮かぶが、まだ答える気は無いらしい。ナイトは大人しく次の質問であるこの森の伝承を口にした。
「……この森は神様の友である、馬が眠っているのだそうです。草が生えない小高い丘――たぶんこんなとこ? に眠っている、らしいです。
その友である馬の眠りを妨げないよう、普段は何も立ち入ることが出来ないよう神様が結界を張ったとか聞きました。……ので、たぶんここじゃないとは思いますけど……。
伝承で、メジャーな神話とはまた扱いが違うので、知らない人の方が多いでしょうけど――」
「いや、大体把握した。そんなことになっていたとはな。
――なぁ、ちなみに黒い馬の伝承とかはあるのかね?」
その単語にナイトは咄嗟に何も言えず顔を青ざめさせた。見ればラウルも顔が青い。無理もない。幼い子供があれを知って怖くならないはずがないのだから。
――ルーはその様子を見て肩を竦める。
「ああ、今はその反応だけで良いや。かなり面倒なことになってるのだけは把握した。
――くそ、だからヤダって言ったのに」
深い溜め息と共に独り言を吐き出したらしい、ルーは頭を緩く振るとナイトを真っ直ぐ見つめた。
身長差の影響で、ナイトは見上げられる形なのだが、そんなことは感じさせないほどに真っ直ぐにナイトを見ていた。
ナイトの背が自然と伸びる。
「じゃあ次は今の状況だ。俺の勘が外れていなければの話だが――。
今は分家が本家である辺境伯を襲い、その地位を簒奪しようとしている。その子は本家の子供で、その子以外の本家の人間は死んだものと思っても良いのかい?」
「えっと……この子のお兄さん、エドモントさんが王都にいるので、一応いることにはいる、かもしれないです。
学園にいるはずですので」
「その状態で本家を襲った分家連中はバカなのかね。なぜ誰も止めようと思わなかった? 跡取り息子が二人もいるじゃないか。詰めがあまりにも甘すぎる。物に例えたくても例えられないほど甘いじゃないか。貴族社会ナメてんのか? 田舎者の思い上がりも甚だしい。
それとも、一度簒奪すれば後はどうとでもなると思ったのかね? それだって見通しが……って、キミに言っても仕方ないのか」
ルーは呆れた声を出したが、直ぐに思い直したらしい。……言われてみれば我が兄ながら、とても無謀な策を取ったものだと思えてくる。剣を向けられた時は、兄の謀反が上手くいくと本気で思っていた。
兄は、平凡なナイトとは違い、優秀だから。なんでも上手くやると思っていた。だからこそ上手くいってしまうと思っていた。
だが第三者からしてみると、かなり無謀なことだったらしい。ナイトは、天を仰ぎ息を吐いた
ルーはそれを尻目に頭を緩く振って考え込む姿勢になり、やがて結論を出した。
「キミ、今は時間が惜しい。状況を私なりに把握させてもらった。結果キミに手を貸すことは悪くないと判断させてもらう。成功するはずのない革命など、飛び火が怖いだけの害悪だからね。
そしてキミからの質問タイムについてだが、残念ながら当分お預けだ。理解してもらうのに時間がかかるし……。
何より彼らがいるからね」
ルーは拘束している彼らを目線で示す。彼らに渡したくない情報があるのだろう、謎と不可解しかない現状について、深く掘り下げて確認したいことがいくつもある。……だが、ナイトは今の出来事の主導権が自分にないことを理解していた。
黙って話を聞く姿勢になったのを、目敏く気が付いたのだろう。ルーは指折り数えながらまた話し始めた。
「懸念すべき点は複数ある。
まず一つ、その子が狙われていたのであれば、その主犯格は追手が誰一人として戻らないことに違和感を感じるだろう。どれほど逃げていたかは知らないが、そろそろ痺れを切らして追手の増量とかやり始める。俺だったらそうするし。
というわけで時間がない
二つ目。こちらには手数が少ない上に護衛対象がいる。つまりは攻守バランスよくいかないと詰む。向こうの規模は知らないが、初手に八人程度の人員を割けられて、また各自連携が出来ているとなると倍くらいの人員投入を視野にしなければならない。倍という見積もりだって少ない方だが、それはそれ。
端的に言ってこちらの手数がない」
言われなくても大体その通りである。ナイトは頷く。ラウルはまた不穏になる空気を察し、怯えたようにナイトにしがみついた。
その様子を見て、ルーはまた肩を竦める。
「最後三つ目。その子はあまりキミの側から離れたがらないだろう。その様子からしてね。
……よって、キミには二つの選択肢が選べる」
「ふたつ?」
そんなに選択肢があると思っていなかったナイトは、首を傾げる。逃げる以外にも何かしら選択肢があっただろうか。
ラウルを殺すことは、最初から選択肢に入れていない。ラウルは本家の人間だ、分家として必ず守らねばならない。そうなるとナイトとしては逃げる選択肢しか思い付かないのだ。
――だが、次の瞬間。ナイトはラウルの耳を塞ぐこととなった。
「一つ目、キミの家族を殺して概ね元通りにする」
「っ、アンタなぁ!」
思っても、見なかった選択肢に。ナイトはつい声を荒くする。子供に聞かせるような事では決してない。ナイトは慌ててちゃんと聞こえていないか確認するが、ちゃんと聞こえていなかったようだ。
ルーはその様子を見て不思議の猫のように目を細めた。
何かしら琴線に触れるような発言をしてしまったらしい。ナイトは顔をしかめる。
「だがね? 辺境伯を襲うなど正気の沙汰じゃあない。しかもここには跡取りとなりうる存在がいるんだ。排除できるならば排除した方がいい。
もっと言わせてもらうならば、辺境伯の娘の結婚だぞ? 王からの認可がないとは言わせない。国防に関することなのだから。
つまりそれを不服として謀反を起こしたということは、よほど正当な理由を立てない限り、王族への反逆と見なされる可能性が非常に高い。この国の法律がどんなんなってるかは知らないけど、その可能性をカバーしてない法律なんて焚き火の燃料にもなりゃしない。
――そしてここに次男がいる以上、キミの家族は……もとい、キミたちは死ななければならない」
最後の一言に、ナイトの背筋が凍った。何を言われたか一瞬理解ができなかった。
だが悲しいことに直ぐに理解し、ナイトはラウルを見る。ラウルは何が起こったか理解していない――聞こえていないのだから、当然だ――様子で、不思議そうにしている。
「いいかね?」
「……続けてください」
「ああ。
――王族への反逆と見なされた場合、領民の安全は保証できない。後から派遣された新しい辺境伯が、善良な領主とは限らないからね。また難癖をつけられて増税を言い渡されるかもしれない。
もっと言うならば隣の国とか隣の領地が、これ幸いにと手を出した場合、領民が蹂躙の憂き目に遭う可能性がある。街が戦禍の火の海だ、たかだか頭をすげ替えるだけの行為に、その程度の犠牲は必要ない。
それも含めて、片付けるなら、迅速に、この手で片付けなければならない」
一つ目の選択肢の、なんと重いことか。二つ目の選択肢も、ナイトには薄々読めていた。
ナイトは視線を地面に落とし、呟く。
「……二つ目は様々な意味で危険にさらされる領民を置いて、逃げ延びること。でしょうか」
リスクを聞かされた今では、その選択肢がはちみつのように甘すぎる事を理解できる。本家を守ることもそうだが、ナイトは領主一族なのだ。つまりは、領民のことを考えなければならない。
彼らの生活が、この選択に、多いに関わっている。
「その通り。少しは頭が回るようだね。
ああ、一応選択肢としてはその子を殺すのも含まれるのかな? まぁやらないだろうから省くけど」
最後の選択肢は聞かなかったことにして。ナイトは目を閉じた。
――今突き付けられた選択肢は二つ。
一つは多くの人の、その生活が犠牲になることも厭わずにどこぞへ逃げる方か。あるいは家族を殺めてすべてを丸く収める方か。長くは考えていられない。時間制限付きだ。
ラウルの耳を塞いでいた手を離し、ナイトは考え込む。どうしても結論が出ない。肉親を殺す、という言葉の響きが、重圧になっているのだ。
……だが、すぐに決められようか。例え剣を向けられようが、肉親との思い出があるのだ。例え知らない人だったとしても、犠牲にした場合一生後悔をする。
どちらも同じくらい重い。ナイトは絞り出すような声で答えを出した。
「……兄上を殺せば、本家は、民は守れるのでしょう、か」
「もちろんだとも。悪夢を見ていたかのように、きれいさっぱりと解決して見せよう」
ナイトの問いに、ルーはあっさりと答える。不可能はないのだと言いたげな口調に、ナイトは覚悟を決めた。
多人数を鮮やかに拘束したのだ。兄の暴走を止める程度、ルーには簡単なことなのだろう。でもなければ、この提案をしてこようものか。半分くらいは投げやりな気分で、ナイトは言う。
「兄を……お願いします、兄を……止めてください」
「そこは自分が止めるんだと言ってくれた方が格好付いたろうに……」
やれやれと肩を竦めるルーは、身体をほぐすためにか、その場で軽く跳び、頭をぐるりと回す。肩を前後ろと回せば準備が出来たようで、腰のベルトポーチから――どのように畳まれていたのかは不明だが――一枚の布を取り出した。
「少年、キミはそれを被ってここにいなさい。はっきりと言って、子供は足手まといだ。
キミがいるとコイツは、キミのことが気がかり過ぎてどこかで失敗する。そうなれば、ポーションではとても治せない大きな怪我をするだろう」
銀色の布を受け取り、ラウルはゴクリと唾を飲み込む。安心させるためなのか、ルーは羽根のように軽い口調で言う。
「その布は纏った人を周囲から見えなくさせる布だ。付近には獣の気配がないが、人が来ないとも限らないからね。基本的にはそれを被っていれば何も問題はないだろう。
万が一の為に木の上にいなさい。木登りは?」
「で、できる……」
どこか不安そうに、しかししっかりと頷いたラウルを見て、ルーは頷き返す。
「素晴らしい。一番上に行かなくて良いから、落ちないことと、布を落とさないよう気を付けなさい。
そしてこの場に残る、キミにしか出来ない任務をあげよう。――あのおじさんたちが逃げないよう見てるんだ。少し退屈かもしれないが、そう長くない間に戻ってくる」
ラウルは不安そうな顔から一転、顔を輝かせて頷いた。恐らくラウルにしかできない、という点に喜んだのだろう。
こんな状況だ。自分だけ置いていかれるのはとても不安だろう。だが、見張りという任務を与えられれば不安はある程度は払拭される。ナイトはその采配に、静かに驚いていた。
その間にも、ルーはベルトポーチから袋を二つ、取り出した。……ある意味どうでも良いが、あの袋はどれほどの物が収納されているのだろうか。ナイトはそこが今、一番気になっている。
「果物と水、それぞれが入った袋を渡そう。中身は全て食べていいし、全て飲んでもいい。ただし飲み過ぎ食べ過ぎには注意だ。――ずっと見ているのは、疲れるだろうからね。
これも落とさないよう気を付けなさい。
……ところでキミ、離れたところからでも声を届けるような方法は何かあるかね」
急に声をかけられ、ナイトは跳び上がる。悲鳴を上げなかっただけ褒められたい。だが、ルーはそれを半目で見たあとに返事を無言で催促した。
ナイトは考え、そういえばと思い出す。
「い、一応あります。そんな感じの聖術を使えます。けど、触媒がないと使えません……」
「セイジュツ? 触媒? それはどのようなものだ?」
即時聞き返され、ナイトは首を傾げる。そんなことも知らないのだろうか。貴族事情に、それなりに詳しそうに見えるのだが。はて。
聖術は貴族なら使えて当然の、そして学がある人間なら知っていて当然の物だ。ナイトも十分扱える訳ではないが、同じ年齢の中では平均的に使えると思っている。貴族として生きていくには、考え方以前に必要となる能力である。
「聖術とは、体の中を巡る聖力を通して、世界に干渉できる――」
そこまで聞いて、ルーは頭痛を堪えるように頭をおさえる。何か不味いことを言ったかと、ナイトは習ったことを思い出そうとする。だが今の説明は本当に、教わったそのままを答えただけだ。
またここで違和感を感じたものの、ルーはベルトポーチから短い杖を取り出した。――触媒だ。
「これがあれば使えるだろう? ちなみにどんな風に使うのだね」
「ええっと、媒体に聖文字を刻んで発動させるタイプとか――」
そこまで言ったところで、ルーは短い杖をナイトに押し付けるよう手渡し、発言を遮った。何がそんなに不愉快なのかが全く分からない。ナイトは頭に疑問符を浮かべながら、杖を受け取る。
その触媒は高品質の触媒だった。辺境伯の分家とは言え、次男であるナイトでは手に出来ない良い品物である。決して今のように雑に扱って良いものではない。
ルーは顔をしかめてベルトポーチから小さい木の板を取り出し、それもナイトへ押し付けるように渡した。触媒と同じく高い品質の木だ。よく乾いている。ここまで乾かすのにかなりの手間隙がかかっているだろう。決して雑に扱って良い素材ではない。
だが、文句を言おうにもその時間さえないらしい。ルーはどこか苛立ち混じりにナイトに背を向けた。
「ああ、もう。それでいい。そこまでで良い。これ以上聞いていたら何か狂いそうだ。媒体はもう、これでいいだろう?
これに文字を刻んで彼に渡してやれ。彼の方からも声を届けるようにとかは出来るのかね?」
「発動させるタイプなら、ええ、可能ですが……」
「ではさっさと取りかかって、彼を枝の上に乗せてやれ。
私は彼らにもう一工夫しなければならない。終わったら声をかけてくれ」
言うだけ言い、ルーは拘束している彼らの方へと向かった。
ナイトはそれを見送ってから指示のあった通りに動く。袋と布を大事そうに抱えているラウルは、ナイトを不安そうに見上げた。
「おにいちゃん、だいじょうぶ……?」
「……分からないけど、僕が向かうしかないみたいです。ラウルこそ、こんなところで一人にして……ごめんなさい」
「んーん」
ラウルはぶんぶんと頭を振って木に登る。ナイトよりも優秀な子だ、ルーの指示にもしっかりと従うのだろう。
木はこの開けた場所の外側にある。ルーはここが神の友が眠る地だと確信しているようだが、実際はどうだか分からない。だからこそ、木の上にいるという案はとても良いものに思われた。
今ラウルが登る木は、大柄な獣ではその爪も牙も届かない。また領主の庭にある。大型の魔獣は現れないだろう。……ナイトたちのように、偶然この場所を見つけた人間さえ、都合よく現れなければ、ラウルの安全は確保されたも当然である。
「こわい、けど。ぼくにしかできないしごと、だもんね。
……とうさまは、ぼくにそんなことをゆわなかった。ぼくだってたみのためにできることがあるはずなのに。
だから、がんばる。おにいちゃんも、けんか、おわらせてきてね」
お願い、と。幼いながらに事態の半分は理解しているらしい。それでも笑顔を浮かべたラウルの頭を
撫でて、ナイトは彼を枝の上へ押し上げた。
ラウルの言うように、ただの喧嘩だったならば。それは幸せな妄想だ。実際はどうしようもないほどに亀裂が入っているというのに。
――ナイトは座り心地のいい姿勢を探しているらしいラウルを横目に、木の板を眺める。ルーに押し付けられた触媒を筆に見立て、文字を書いていく。
これは普段使っている王国語ではなく、術の行使にだけ使われる特殊文字だ。ナイトはそれを聖文字、と聞いている。だが、ルーのあの反応を見ると、どうにも違和感が拭えない。
思い返してみると、ルーは「聖」に纏わる言葉が出てくるとあの奇妙な反応を見せている。ような気がする。それはどうしてだろうか。理由が全く分からない。
首を傾げながら、ナイトは完成した木の板をラウルへ手渡した。
「ラウル、あの人が言っていたように落ちないように気を付けてね」
「……うん。おにいちゃんも、きをつけて」
ラウルが銀の布を被った。ルーが説明した通り、ラウルの姿が見えない。そこにいた、と知らなければ全く分からない。
――これで準備は整った。と、言えよう。
ナイトはルーを見る。ルーは一工夫とやらが終わったらしい、落ちた松明から火を移して新しい明かりを付けているようだった。地面に落ちた方は砂をかけて火を消し、かがり火を立てていた。
その台がどこから出てきたのか、ナイトはまったく分からなかった。おそらくはベルトポーチから取り出したのだろうが、どうしてルーの身長と同程度のそれがベルトポーチに入っていたのかが分からないのだ。
首を傾げながらナイトはルーに声をかけるために寄った。――ナザリオたちが意識を失っているようだった。
「……あんた、これ」
「寝てるだけだって。俺たちが目を離した隙に逃げられた仮に誰か回収しに来たとしても、少年が私たちを呼んで、駆け付けるまでの時間稼ぎをしたい。それだけだよ。
さすがに八人の眠って、意識のない成人男性共を誰が一瞬で回収できる? 瞬間移動だってそう楽なことではないだろう?」
「そ、そうですけど……」
合理的だが、炎の灯りに照らされる意識のない八人の男たちというのは、控えめに言って視覚への暴力だと思われる。何かしらの恐怖体験か何かではなかろうか。
ナイトがそっと目を反らすと、ルーはその視界に割り込んで言う。
「さ。案内したまえ。あいにくと眠っていたから、キミたちがどこから来たかは分からないんだ」
確かにそれもそうである。ナイトはラウルが乗っているであろう木の枝を一瞬だけ見上げてから、本家の、本邸へ脚を向けた。
そろそろ色々と分からない言葉などが出てくるかと思いますが、後々解説入れるので暫しお待ちください。