第九話 『お互いが必要』
私は昔、人を殺した。
殺した人間は、実の父親だった。
『あなたはここに住みなさい。たった一人きりで、誰にも顔を見られることなく、過ごしていきなさい』
ほとんど話したことのない実の母親から、そう告げられた。
まるで憎しみを持っているかのような表情を私に向け、母親は去っていった。
どうして殺してはいけなかったのだろう。誰がそう決めたのだろう。
私は自らの身を守るために父親を殺した。自分の身は自分で守れと言ったのは、あなたでしょう。
普通の包丁だと、重くて素早く動かせなかったから、犯行に使ったのはフルーツナイフだった。
寝ている父親の首にある太い血管を狙って、私はこっそりと殺した。
呻き声も叫び声も、彼は一切言葉を発すことなく死んでいった。
ただ、最後に。
目を開けて、私を見つめていた顔は、いつもの不気味な笑顔じゃなくて。
心から娘を愛していた、純粋な父親としての笑顔だった。
「殺されることは、覚悟していたんだと思う。だから後悔する必要なんてなかった。全ては道なりに進んでいただけ」
「あなたは……きっと、私よりも遥かに、いかれています。私よりもおかしいからこそ、冷静でいられるのですね?」
「……そうかもな。私はさっき、簡単にお前を殺すことが出来るはずだったのに、それをしなかった。理由は単純に、殺す動機がなかったからだ」
「おかしい……それに、どうして……あなたは捕まらなかったのですか? 新聞にも、ニュースにも、あなたの顔も名前も載っていませんでした。お母様は知っているのですよね……」
「大人っていうのは、上手く扱えばどうにでもできる。子供は考え方が単純だから、自分の意見を反映させにくい。周りに流されやすいのは、大人の特権だな」
私は今、一体どんな表情をしているのだろうか。
楽しそう? 怖い? 恐れられているのか? 気になって仕方がない。
おかしいのは私の方だと、那恋に言われてしまった。
あんなに何かを恐れている那恋を見たのは、動物に遭遇した時以来か。
「……私は、動物を見ると、勝手に脳内で殺害方法をイメージして、手を出そうとしてしまいます。自分ではこれを抑えることができません」
「あなたは……どうですか? 不意に殺害の欲が出ることは、ありますか?」
「なぁ……どうして那恋は私の名前を呼んでくれないんだ。私には星という名前があると、前にも言っただろう?」
「星さん……教えてください。私は、あなたに、星さんに救われる必要があります。もう希望はありません。最後の手段なのです……」
「…………素で、関わろう。猫をかぶることなく、本当の自分で、話をしよう」
「はい……」
「父親を殺してから、殺害の欲が出ることは全くなかった。後悔しなかった分、殺しに対する未練も何も残っていなかった」
「でも、人間と関わることはやめてしまった。未練はなくても、不安はあるままだったからな。急にまた人を殺したくなったら、最後には刑務所で死を迎えるだろうと思った」
「那恋に出会った時、私はこの女の子を助けなければならないと思った。明確な理由はなくて、ただ勝手に、救わなくては、この子は早くに死んでしまうと思ったから」
その言葉に那恋は驚いた顔をして、俯きながら口を開いた。
「……死のうと、していました。自分で自分を制御出来ないのならば、断ち切ってしまえばいいと。家を追い出されて、一人で歩きながら、そう考えていました」
「私は、那恋に出会えてよかったんだ。私たちは、お互いを必要としている。制御は一人じゃなくても、二人でも出来るんだよ、那恋」
那恋は泣いていた。
私のことなど気にせずに、ひたすらに泣き続けていた。
「……私は那恋を、殺したいとは思わないよ」
「…………私も……星さんを、殺したくありません……!」
「まだ、お前の人生は終わってなんかいない。だから……話を聴かせてくれないか」
那恋はゆっくりと顔を上げ、私を見て微笑んだ。
その顔は、その笑顔は。
まるであの時の、安らかな父親の表情のようだった。
「私は、自分の容姿を利用しました」
那恋が話を始めた時、空には満天の星空が広がっていた。
少し開いたカーテンの隙間から、黄色い満月が見える。
お互いが心を開いた日は、最高の夜空だった。
「両親がいない間に、インターネットを使って人を誘いました」
「出会い系を使ったり、死にたいと言ってる人を誘い出して集めたり」
「私は、人を殺すことで、酷い優越感に浸っていました」
「毎日後悔しては、自分を責めました。いつ精神病院へ行こうか、誰かに助けを求めようかと、考え続けていました」
「……でも、自首しようとは思えなかった。刑務所に入ったら、人生が台無しになって、家族にも悪影響を及ぼす」
「既に台無しなのに、怖くて私は逃げていました。星さんが言っていた通り、私はお嬢様です。家族は会社を経営していて、令嬢と呼ばれていました」
「一見仲の良さそうな家族に見えていましたが、実際は全く会話のない、質素な家庭でした」
「習い事もさせてもらえず、私は毎日机に向かっているだけでした。学校はつまらない、先生も友達も理解してくれない」
「……そんな時に、インターネットで出会った人がいました」
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