第八話 『本当の姿』
彼は突然、こう私に問いかけた。
『君はどうして生きているの?』
それに対して、私はただ真剣に、素直に、自らが感じたことをそのまま答えた。
「分かりません。誰のために生きているのか、私には分からない。けれど、私を求めている人間は必ずいます」
『どうしてそう言える?』
「もし私が、一人きりで夜道を歩いていたら、必ず誰かが声をかけます。そうして、警察か、救急車を呼ぶ。でも、私はそれを頑なに拒否します」
『そのあとはどうするの?』
「その人の家に連れて行ってもらいます。一晩だけでいいから、泊めてほしいと願います。頭を下げてでも、嘘泣きをしてでも願います」
『目的は何かと聞かれたら?』
「死ぬ間際まで問い詰められたら、正直に白状します。罪悪感に苛まれて、その人を殺します」
『そうして、君も死ぬんだね?』
「はい。私はそういう人間でした。二度と更生することのできない、屑のような人間。でも、これからも誰かが私を求めてやって来ます。必ず」
『次に会う人は、君を止められるかもしれない。君は、変わりつつあるから』
「じゃあ……私が変わってしまう前に、私が殺します。そうしないと、私は生きてはゆけないのです。無理です。だから殺すのですよ、先生」
『……そうか』
暖かい布団に包まれ、寒さに耐えながら眠りについた日、那恋はうなされていた。
こんなことは初めてで、私は那恋が単純に悪い夢、もしくは怖い夢でも見ているのかと思っていた。
無理に叩き起こすことも出来ず、苦しんでいる那恋の背中をさするぐらいしかやれることがなかった。
「……なんで…………ちが……う…………のに……」
まるで自分の意思に反するかのように、那恋は急に起き上がり、私を驚いたような顔で見ていた。
「どうした……? 怖い夢でも見たか?」
「……はい。とても怖くて、奇妙でした。この夢を誰かと共有出来るのならば、私は星さんに是非見てもらいたいです……」
「私も怖い夢は奇妙で苦手だ。でも時に、なぜ自分が怖がっていたのかが分からなくなる。そう思ったとたんに何かの糸が切れて、行動することもある」
「どうしてなのでしょう。私には共感できてしまいます。何も感情がないからこそ、突然生まれた新たな感情が最優先されて……意図していない行動が起こるのです」
「でも私は後悔しなかった。那恋はどうだった?」
「……少し、罪悪感がありました。そして、悔しさもありました。私のことを一番知っているのは私なはずなのに……と」
そう言った那恋は、私が知っている那恋ではなかった。
どうしてこの話を始めてしまったのだろうと、後悔した。
私は。
那恋の意図した感情を、引っ張り出してきてしまった。
「お前は……那恋だよな。私は星だ。けど、いつもの那恋じゃない」
「あなたの名前が星というのは既に知っています。私は、あなたの名字が知りたい……」
こいつは、那恋のようで、那恋ではない。それはすぐに分かった。
予想が当たってしまった。
那恋はフルーツナイフを私の首元に近づけて、意図した笑顔を見せた。
いや、もしかしたらこの笑顔は、那恋の心からの笑顔なのかもしれない。
そうだとしたら、那恋は。
「……楽しいか?」
「えぇ。とても楽しいです。あなたを殺せそうで……でも少し躊躇います。私は初めて人間に情を抱きました……あなたを殺したい、殺したい……!!!」
「那恋は私と違う。だから、私は那恋の気持ちには応えられない。私も誰かを心から守りたいと思ったのは初めてだった」
私は那恋の腕を掴み、フルーツナイフを無理矢理に奪った。
そうして、那恋の手首に浅く刃を入れる。
「痛い……っ……!!」
那恋が痛がっている様子を見て、止血をした後に那恋から離れた。
私が後悔するはずだった過去を、那恋は寄り添って聴いてくれていた。
「だからなのか。だから、私の過去は上書きされた。那恋という、たった一人の精神異常者によって」
「……私の名前は、東那恋ですよ。ほら、あなたの名字も」
「如月星。私はお前に殺される必要なんてない。お前が私を殺そうとするなら、私は東那恋を消す」
「存在ごと抹消することなんて出来ませんよ。一時的には出来たとしても、私はまた戻って来る。そして、同じことを繰り返す」
「なぜ同じことを繰り返す? 私は一度で満足した。お前ほどのサイコパスではなかったらしいな」
その時、那恋はニヤリと笑っていた。今まで見たことのなかった、新しい、東那恋の姿だった。
だからと言って、前の那恋が偽物だったわけではない。
どちらも東那恋という一人の人間で、どちらも那恋の本当の姿だ。
「星さんは、誰かを殺めたことを後悔していないのですよね? 私は違います。あなたとは違う。私は……後悔しました」
「最初に出会った時、言いましたよね。私と違ってあなたは自立していると。星さんをひと目見た時分かったんです。この人は何かを隠している。でもそれを意図して隠そうなんてしていない」
「……そうだな。私は人を殺したことを、隠そうとは思っていない。聞かれたらきっと答えるし、今から自首しに行こうと思えばそうするだろう」
「あなたはすごいのです。私にそんな考えはありません。昔も、今も」
私を見つめてそう言った那恋は、まるで助けを求めているかのようだった。
違う。本当に、心から、最初から。
那恋は助けを求めていたんだ。
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