第七話 『フルーツナイフ』
「私、アルバイトを始めようと思います」
寒さが増して冬がやってきた頃、那恋は急にそう言い出した。
実はこれが初めてではなくて、何度か私にアルバイトの交渉をしてきたことがある。
けれど、前にショッピングモールへ行った時のような目に遭ってはいけないと思い、度々断っていた。
「……何度も言っている気がするが、那恋が働く理由はあるのか? 十分に生活はできているし、金の使い道もないと思うのだが……」
「というか、純粋に疑問だったんですけれど。なぜ星さんも私も働いていないのに、普通に生活ができているのですか?」
「それは……まぁ……魔法の力的な」
「誰かに仕送りをしてもらっているのですね? たまに放置されている段ボールを見かけますし」
「……そんな感じだ…………」
「それなら尚更ですよ! ずっと頼りっきりでどうするのですか!! そろそろ働かないと、ずっとニートのままですよ!」
「はぁ……那恋がどうしてもアルバイトをしたいと言うのなら、私もどこかで働きに出るが?」
「それはいけません!!」
この会話を何度繰り返しているのかは分からないが、那恋と私が両方働くという選択肢は、那恋の脳内にはないらしい。
理由を聞くと、迷惑を掛けている方がこの状況をどうにかするべきなのだとか、私は家事をしてのんびりしていればいいのだとか。
そこまでして私に楽をさせたい理由は不明だが、那恋はとにかくアルバイトなるものを経験したいという。
「……分かった。バイトしてもいいよ。だけど、家族が私以外にいないことがバレたら終わりだぞ。夜道も一人きりじゃ怖いし、時間は昼頃に……」
「やった!! ありがとうございます! もうアルバイト先は決めていたので、面接行ってきますね。期待しといて下さいよ!」
「え。何も聞いていないのだが……??」
那恋は今の私の話を全く聞いていなかったし、私は那恋がしていた話の内容を全く聞かされていなかった。
まさかもうバイト先が決まっていたとは。準備万端というか、私がこのタイミングで許可することを分かっていたというか。
那恋がアルバイトの面接に行っている間、とにかくすることがなかった。
すぐに終わる短い時間のはずなのに、一人でいるとすごく長く感じて、首から下げている鍵をひたすらに見つめていた。
知らない人がくれた、この家を唯一開けることができる鍵。
もしかして、那恋が私に働かせたくない理由は、鍵を二つに増やしたくないからなのだろうか。
「……いや、そんな単純なわけないか」
結局、あの後眠ってしまっていた。起きた頃には外は暗くて、空には月が出ていた。
那恋は帰ってきているだろうか。いや、帰ってきていなければいけない時間帯だろう。
「星さん、アルバイト受かりました。早速明日から出勤なので、お留守番よろしくお願いしますね」
横になったままでいる私に、那恋は小さな声でそう言った。
「机に夜ご飯を置いておきましたから、好きな時に食べて下さい。私は外で夜空を見てきます」
扉の閉まる音がして、私はゆっくりと身体を起こす。
ここ最近、することがなくて長い時間眠ってしまうことが多い。
那恋の帰りを待つために起きていたい気持ちはあるのだが、最後は眠気が勝ってしまう。
その眠気を追い払い、カーテンを少し開けて、今日の夜空を観察してみる。
冬の始まりを知らせに来た夜空は、他の季節よりも星がはっきりと輝いて見えた。
寒くて手が悴んだり、冷たい風が肌に触れてひんやりとしたり。
冬らしいことはたくさんあるけれど、その中でも変わらず輝いている夜空の星は、私の目標でもある。
変わらずに輝き続けるけれど、毎回同じなわけではない。
形を変えて、私たちを心から楽しませ、癒してくれる。そんな星々が、私の生きる道しるべとなってくれているのだ。
眺めているだけで幸せで、一瞬たりとも目を離したくない。そう思わせてくれる。
けれど、時には夜空から目を離し、他に向き合わなければならないこともある。
「……なんで、那恋のバッグの中にフルーツナイフが……?」
那恋はまだ外にいて、私は那恋が作ってくれた夜食を食べていた。
どうしてか、那恋がいつも使っているバッグの中にフルーツナイフが入っていた。
偶然何かに使ったのか、どこかで新しく買ってきたのだろうか。
でも、私や那恋が果物を食べることなんてあまりないし、わざわざフルーツナイフを使うこともない。
なぜか悪い方向に思考が回って、前に予感していたことと重なり合ってしまう。
私は焦って、すぐそばにあるフルーツナイフを手に取ろうとした。
「……今日の星は一際輝いていました。今度は星さんもご一緒にどうですか?」
突然声をかけられ、私は咄嗟に手を引っ込める。
見られたかと思ったが、那恋の表情に何も変化はなく、私は「そうだな」と答えた。
「そのナイフ、私のお気に入りなんです。食材も切りやすくて、何よりサイズ感が扱いやすいんですよね。確か、星さんも一度使ったことがあるような」
「……りんごを買ってきた時に使った包丁か。私には違いが全然分からないが……」
自分が使用したことがあるということは、何か悪い理由があってバッグに入れていたわけではないのだろう。
一安心し、私はシャワーを浴びてから眠ることにした。
「じゃ、私は先に寝ますね。おやすみなさい」
「おやすみ、那恋」
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