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8話 お買いもの



 扉を開けると、心寂しい路地が広がっていた。


 空も狭く、全体的に薄暗い。

 ゴミや酒瓶が道端に転がり、どこからともなく腐臭と死の臭いが漂ってくる。石が敷かれた道には、生ゴミから滲み出た液体と雨水が混ざり合った絶妙な色加減の水たまりがちらほらあった。鼠がちょろちょろ脇を通り、少し離れた場所では猫が目を光らせている。


 人は、いない。


「……良かった。ここなら大丈夫って思ったの」


 ロベリアは扉を閉めながら、ほっと胸を撫でおろした。


「ここ、本当に王都か?」


 ロベリアが扉が消えていくのを見守っていると、ナギが不快そうに声を上げた。水たまりに触れたくないのか、凹凸の突起の生えた背中を丸め込み、半ば爪先立ちのように立っている。

  

無花果(イチジク)通りの近くね」

「何故そんな通りを知ってる?」

「上司が逃走ルートにしてたのよ」


 ロベリアはナギを抱え上げる。

 大臣がお気に入りの娼婦に会いに行く際、この通りを使って逃げていた。

 本当、国を背負う大臣には向いていない男だったが、それでも長年の政治闘争を生き残ってきただけはある。人を撒いたり出し抜いたり勝ちの方へ向かったりする嗅覚だけは本物だった。この路地を探り当てたのも、その才能の一端だったのだろう。


「初めて、あの男を尊敬したわ」


 おそらく、二度とないに違いない。

 ロベリアは苦笑いをすると、王都の中心の方へと歩みを進めた。少し歩けば腐臭は消え、代わりにお腹を刺激するような香ばしい匂いが漂ってくる。すれ違う人たちも増え始め、道幅も随分と広くなった。華やかな賑わいが周囲に満ち、活きのよい声が響き渡っている。


「やっぱり、さすが王都ね……」


 市に踏み入れると、ロベリアは肌で更に活気を感じた。

 売り子の顔は笑顔で、道行く人に浮かない顔など見当たらない。軒先に広げられた露店には、主食の穀物や野菜・果物類、肉類の他、珍しい異国の果実や香辛料が売られていた。


「せっかくだから、新しい茶葉も仕入れたいわ」


 早摘みの品種は、そろそろ市場に出回る時期だ。

 食糧を買い揃えたら、専門店に顔を出そうかしら……と考えていると、ナギがもぞもぞと動き始めた。

 

「主! 下ろしてくれ! あの店だ!」


 ナギは腕の中から抜け出すと、軽快に歩き出す。赤い尻尾を高く上げ、時折、ロベリアが付いてきているか確かめるように振り返った。


「待って、ナギ……あれ?」


 ロベリアは彼の後を追いかけながら、自分の手を見つめた。

 筋肉痛は治っていない。

 それなのに、ナギを抱えたときに痛みは欠片も感じなかった。

 一緒に暮らしてから、早いことで数日。

 肉は食べさせてあげられなかったが、ちゃんと食事を用意している。その甲斐あってか、よたよた歩くことはなくなり、身体つきもしっかりしてきた。剥がれた鱗の間から初々しい赤鱗が生え始めているし、牙や爪も滑らかになっている。


 けれど、ナギは重くなかった。

 小型犬くらいの大きさなのに、何故……?


「主!」


 ロベリアが悩んでいると、ナギが不安そうに待っている。


「今、行きますよ!」


 ロベリアは返事をすると、ナギのところへ歩き出した。

 ひとまず考えるのは後にする。

 家に帰ってから、彼に話を聞いても良い。まずは、買い物をするとしよう。


 






 ロベリアたちの市場巡りは順調に進んだ。

 ナギの案内のおかげで、予定よりも多くの銀貨が残る。肉はもちろん、野菜や果物とかも袋一杯に買えた。なかには、ナギのことを心配していた者もおり、ナギの門出を祝い、いろいろとオマケまで貰ってしまった。おかげで腕が悲鳴を上げているが、生きていくための物だから捨てられないし、我慢できる範囲である。


「えっと、次は花屋だったな。

 だが、主……大丈夫か? 俺も持てるぞ?」


 ナギが歩きながら、心配そうに振り返った。ロベリアは問題ないと荷物を軽く掲げてみせる。


「いいのよ、このくらい――って、あ! 分かったわ! あそこね!」


 ロベリアは花屋に駆け込んだ。

 こじんまりとした花屋で、軒先にベリーの苗が置かれている。彼の言った通り「銀貨1枚」との札がかかっていた。ロベリアが悩んでいると、ナギが追い付いてきた。


「どうだ、主?」

「うーん……枝が細いわね。葉も少ない……でも、虫食いがないわ。とりあえず、買いかしら」


 ロベリアは荷物を全部右手に持ち直すと、ひょいっと苗を抱えた。


「すみません、これくださる?」

「はーい」


 ロベリアは会計をしながら、店内を見渡した。王都らしい華やかな花から名前の知らないような小さな花まで多種多様に取り揃えてある。ナギも珍しいのか、ふんふんと花の匂いを嗅いで回っていた。


「可愛いドラゴンですね。赤いから炎種ですか?」

「ええ、おそらく」


 ロベリアは答えると、店員と一緒にナギに目を向けた。

 ちょうど、ナギは白百合の傍を歩いていた。白い百合にナギの赤い身体は良く映えて、まるで絵画のように可愛らしい。

 だが、可愛いなんて微笑んでいる場合ではない。

 彼は興味深そうに深緑の瞳を細めると、白百合の香りを嗅ごうと鼻を近づけ始めたのだ!


「「危ない!!」」


 ロベリアと店員が叫んだのは同時だった。

 ロベリアは荷物を置き捨てると、急いでナギを抱え込む。ナギの顔に異常がないか目を走らせた。いきなり叫ばれたせいだろうか。ナギは目を丸くしているが、特に変わった様子はない。


「よ、良かった……」

 

 ロベリアはへなへなとその場に座ってしまった。


「百合には毒があるの。もちろん、花粉にも」

「薔薇に棘があるとは知っていたが……百合も危険なのか」

 

 ナギはしゅんっと項垂れた。

 ロベリアはナギの固い頭を優しく撫でた。


「主、すまない……」

「私が言わなかったのが悪いのよ。次から気をつけて」

 

 ナギは重々しく頷いた。


「申し訳ありません。私のドラゴンが……」


 ロベリアが店員に謝ると、店員は首を横に振った。


「いいえ、大事に至らなくて良かったです」

「それにしても……美しい百合ですね」


 ロベリアは百合をじっくり見つめた。

 大国の姫君を思わす白さは清純そのもので、気高く美しい。ロベリアがそう言うと、店員は殊更嬉しそうに微笑んだ。

 

「そうでしょう! 昨年の百合コンテストで優勝した品種なのです!」

「まあ!!」


 ロベリアは口に手を当てる。

 ぜひとも我が庭に加えたい。しかし、

 

「欲しい、ですけど……値段が……」


 ちらりと値札を見ただけで、ロベリアは苦い表情になってしまう。

 収入源が未確定の現状、買うのは躊躇われた。


「これの球根はあります?」


 ロベリアは駄目もとで尋ねてみる。

 この金額には、ここまで美しく育て上げた手間賃も含まれている。まだ何も手を付けていない球根なら……と期待したが、店員は残念そうに首を振った。


「すみません……他の百合でしたらありますけど」


 店員は隅を指さす。

 箱の中に、芋のように球根が転がっていた。


「オニユリです。橙色の百合ですね」

「橙!?」

「ええ、鮮やかな橙色です。西大陸原産で、まだ珍しいですよ」


 他では手に入らない、と店員の目は告げている。

 ロベリアは腕を組んだ。

 欲しい。

 オレンジ色の百合が風に揺れる様子を、テラスから眺めたい。口が「買います!」と言いそうになったが、ナギの顔が眼に入る。


「あ……」


 珍しい百合は欲しい。

 だが、百合だ。いくら美しかろうと百合には違いない。

 自分は気をつけることができるが、ナギが今回みたいに百合に触れてしまったら?


「主。俺は百合を見たい」


 ナギがロベリアの足をつついてきた。


「これから気をつけるから問題ない。それに、橙の百合だろ? 主の目の色と同じだ!」


 そういえばそうだった、とロベリアは思い出した。

 

「俺も見たい。だから、大丈夫だ」

「本当に、大丈夫?」

「信じてくれ!」


 深緑色の瞳が、まっすぐロベリアを貫いた。ロベリアは屈みこんだまま、ナギの目を見返した。ナギは緊張しているのか、ごくりと喉を鳴らす。

 

「私がいる時以外、花に近づかないって約束する?」

「もちろん!」


 ナギは元気よく頷いた。

 頬を更に赤らめ、嬉しそうに目元を和らげている。本心から喜んでいるのが、見ているだけで伝わってきた。

 ロベリアはナギを信じることにした。彼は本当に知らなかっただけだし、百合の怖さが分かったので、二度と不用意な真似はしないだろう。ロベリアは頷き返すと、スカートを払いながら立ち上がった。


「この球根、30個買いますわ。それから、そこの野菜の種を10袋ずつ」

「はい!」


 ささっと買い物を済ませる。

 調子乗って球根を大量に買い込んだものだから、袋の重みで腕がますます軋んだ。


「主……大丈夫か?」

「大丈夫!」

 

 ロベリアは自分に喝を入れるように宣言した。

 店を出ると、騎竜の引いた荷車ががらがらと音を立てながら往来を通り過ぎていく。一瞬、ナギが荷物を持ってくれたら……という思いが脳裏をかすめたが、すぐに首を振って打ち消した。ナギに労働をさせるために引き取ったのではないのだ。


 とはいえ、重いことには変わらない。


「さっさと帰って、お茶にしましょう」


 専門店で新茶を買うのは諦めよう。

 ロベリアは肩を落とすと扉を出現させる場所を探し始めた、その時だった。



「ロベリア・クロックフォード!!」



 人ごみの奥から、ふいに大きな声が響いてきたのは。






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