73話 お誕生日会
その日、ロックベリーの街は誰もが浮かれていた。
童心に帰ったような笑顔を浮かべたり、お酒に酔いしれたりしているというのも一つだったが、文字通り浮かされていたのである。
街の人が1人ずつ、大きな泡に収まり、青く澄んだ空をぷかぷかと浮かんでいたのだ。
その姿は、優雅な空中散策。
泡の中で寝転んだり、ちょっと緊張気味に座ったりと態勢はそれぞれだったが、空から見下ろす街の風景に、誰もが目を輝かせていた。
「素敵ね……」
ロベリアはその様子を見上げながら、口から感嘆の言葉が零れ落ちていた。
「一体、どういう原理なのかしら?」
「えへへ、水と風の合わせ魔法です!」
ロベリアの問いかけを拾ったのは、可愛らしい声の女の子――二か月ぶりに帰省した、フローライトであった。
「水の精霊の力で泡を作り出して、それを風の精霊の力で空へ飛ばすんですよ」
彼女は新品の杖を持ち、えへんと胸を張った。
「魔法学校で習った理論をもとに、私が考案したんです!」
「でも、泡がはじけたらどうするの?」
しゃぼんの泡が途中でぱちんと弾けて消えるように、屋根のあたりをぷかぷか浮いている泡が弾けてしまったら、なかにいる人たちは落下してしまうのではないだろうか? 街の人たちにはナギのように羽があるわけではなく、フローライトのように魔法がつかえるわけではないのだ。空中飛行からの墜落で、怪我をしたら目も当てられない。
だが、フローライトは、ロベリアの抱いた疑問などすでに解決済みだったらしい。得意げの表情のまま、指を空へと掲げた。
「泡の強度は最大限にしてありますし、万が一のときは風の精霊がカヴァーしてくれますから」
フローライトの指先に視線を向ければ、緑色の小さな精霊が泡と泡の間を飛び交っていた。泡同士がぶつかりそうになると、さりげなくその間に入って距離をとらせている。
「なるほどね」
「ロベリアさんも飛んでみます? 楽しいですよ!」
「いや、遠慮しておく」
フローライトの提案を断ったのは、ナギだった。ロベリアの足元で退屈そうに伏せていたのだが、くいっと赤い首を持ち上げて話しだした。
「主が飛びたいなら、俺の背に乗ればいい」
「うーん、でも、ナギ君の大きさだと、ロベリアさんを乗せられないよ?」
フローライトはきょとんとしたが、ナギは関係ないとばかりに断言する。
「そのあたりは問題ない。そうだろう、主?」
「え、ええ、まあ……そうね」
ロベリアはナギから目を逸らし、曖昧に笑った。
最近、ナギのことをまっすぐ見ることができない。きっと、いまもナギの深緑色の瞳はロベリアへ全幅の信頼を向けてきている。その視線の熱さに気づいてしまったせいで、恥ずかしさのあまり逃げてしまうのだ。
「そうそう、言うのが遅れてしまったけど……フローライト、誕生日おめでとう」
だからこうして、今日も話題を変えてしまう。
「あ、ありがとうございます!」
フローライトははにかみながら、大事そうに杖を握りしめた。
「ロベリアさんが私の誕生日に来てくれてよかった! 私が招待しようと思ったら、もうお兄ちゃんたちがロベリアさんを招待してくれてるって知って、とっても嬉しかったんですよ!」
「喜んでもらえて嬉しいわ。プレゼントは……いま、渡した方がいいのかしら?」
「え!? ど、どうしよう……!」
フローライトは頬に手を当て、照れくさそうに笑った。
「いまも嬉しいけど、あとで貰っても嬉しいし……うーん!」
彼女が唸りながら考え込む。
いま、ロベリアのバスケットに入ったケーキは、ジェイドからのプレゼント扱い。それとは別に、ロベリアは彼女にプレゼントを用意していた。
「それなら、欲しくなったときに教えて。ところで、ジェイド君は?」
「お兄ちゃんは、あそこ!」
ほら、と指さしたそこには、ぷかぷかと泡で空を飛ぶ姿があった。
「お兄ちゃんはね、1番最初に飛ばしたの! ……これはね、お兄ちゃんのために作った魔法だから」
「ジェイド君の?」
ロベリアが尋ねれば、フローライトはうんと頷いた。
「私が小さかったときね、お兄ちゃんが言ってたの。『いつか、空を飛んでみたいな』って!」
「ジェイド君のために、考案したの?」
「うん! 原理は難しかったし、実はちょっぴり教授やアーロンさんにも手伝ってもらったけど……本当、今日に間に合ってよかった。頑張って良かった」
フローライトは、ほとんど独り言のように呟いた。
「ねぇ、ロベリアさん! プレゼント、なにをくれるの?」
フローライトは気持ちを切り替えるように、わくわくとせがんでくる。
唐突な話題の転換に、ロベリアは少し驚いて瞬きをしたが、すぐに優しい笑顔を作った。
「ええ、ちょっと待ってね」
ロベリアはバスケットに入ったケーキの箱がフローライトから見えないように気をつけながら、小さな箱を取り出した。
「うわー! とっても、かわいい!」
フローライトは目を輝かせながら、リボンを解くのを見て、ロベリアはほっと安心した。先日、王都の雑貨屋で見つけた黄色い花模様の小箱を赤いリボンで蝶のように結び、少しでも可愛らしく感じるように努力したのだが、見た目だけでも喜んでもらえて嬉しかった。
「あっ! 綺麗な壺が入ってる!」
フローライトは小箱におさめられた、両掌くらいの深緑色の壺を見おろした。落ち着いた雰囲気の壺の蓋は赤や黄色の薔薇の模様で彩られ、まるで庭にいるような気持ちになれる品である。
「とってもいい香りがする……! もしかして……!」
フローライトは蓋に点々と空いた穴に気づくと、そっと壺の蓋に手をかけた。
「ポプリが入ってる! もしかして、ロベリアさんの手作り!?」
薄桃色の袋に詰められた、早咲きの秋薔薇のポプリの優しく上品な香りを嗅ぎながら、フローライトはきゃっきゃとはしゃいだ。
「貴方は一人部屋だって聞いたから。少しでも、気持ちよく過ごしてもらえたら嬉しいわ」
これが相部屋であれば、同じ部屋の子との趣味の違いも出てくるだろう。だが、一人部屋なら話は別だ。慣れない生活でやっと一人になれる空間なのに、フローライトはせっかくの一人部屋を自由に彩りくつろげる空間を作れるお金の余裕がない。
だから、せめて自分の好きな香りを楽しんでほしい。
「ありがとう、ロベリアさん! 大切にします! でも、この素敵な壺……高かったんじゃ……」
「たいしたことはないわ」
もちろん、子どもの誕生日プレゼントにしては高い買い物だったかもしれない。
ロベリアは彼女に恩があった。ルージュの騒動で城に忍び込んだとき、フローライトの名前を使ってしまったのだ。あのときは、上手くことが運んだので問題が起きずにすんだが、一歩間違えていれば、フローライトにも危害が加わっていたかもしれない。
あとで、フローライトに「王都へ行ったとき、大きな騒動に巻き込まれて、貴方の名前を使ってしまった」と言ったとき、彼女は気にしないと答えてくれたが、それではこちらの気持ちが収まらない。
だから、今回の誕生日プレゼントには、その恩返しの意味合いも強くあった。
「それじゃあ、フローライトさん。また、あとで」
ロベリアはジェイドが空から降りてきたことを目の端で確認すると、フローライトは大きく頷いた。
「はい! ロベリアさん! 今日の誕生日会、楽しんでいってくださいね!」
「ありがとう」
ロベリアは彼女に手を振ると、少し小走りでジェイドのもとに駆け出す。
秋のはじめ。
フローライトの誕生日会は、はじまったばかりだ。




