7話 お出かけの前に
たくさんの人に読んでただき、とても嬉しいです!
これからも楽しく書いていきますので、よろしくお願いします!
次の日。
空は蒼く澄み渡り、綿菓子のような雲が流れていく。
冬のように寒すぎず、夏みたいにうだるような暑さでもない。
まさに、絶好の買い物日和! ロベリアは意気揚々と買い出しと薬を売りに出かける!
はずだった。
「腕が痛い……!」
ロベリアは右腕を抱えながら悶えた。
右腕が痛い。
ちょっと動かすだけで、筋肉が悲鳴を上げている。ロベリアがテーブルに伏せていると、ナギが心配そうに足元を回り始めた。
「主、大丈夫か!? 腕を切ったのか!?」
「違うの。筋肉痛だと思う」
「筋肉痛?」
ナギが首を傾げる。
「ただの筋肉痛か? 主、昨日は特に何もしていないだろ?」
「きっと、薬を調合したせいよ」
ロベリアは半分涙目で思い返した。
薬草を石鉢で潰す。
言葉にすると楽そうだが、実際は至難の業だ。
まず、すり棒が重い。石製のすり棒は持つだけで軽く引くほど重い。それを持ち上げては薬草に叩きつけたり擦ったりを幾度も繰り返す。意外と草はしぶとく、粉々になるまでに時間がかかる。
「おまけに、畑も頑張ったし……うう、肩も腰も痛い」
「ああ、あれは大変だったな」
ナギも遠い目をした。
こちらも言うに易い。数年、自然のままの状態だったせいで、土はカッチカチに固まっていた。それを掘り起こし、石があったら外に出し、ふかふかの柔らかい状態まで解さないといけないのだ。
「ナギが掘るの手伝ってくれたから、夕方までに半分は終わったけど……はぁ」
高揚した気持ちのまま乗り切ることができたが、その反動が押し寄せてきている。
ちょっと前まで寝る間も惜しんで働いていたとはいえ、あちらは頭脳労働。あまり肉体労働はしていなかったので、身体が軋んでいるのが分かった。
「薬、売りに行くのは止めようかしら。でも、食糧や苗が欲しい」
「あの鍵を使えばすぐに行けるのだろう?」
「あまり使いたくないのよね」
ロベリアは唸りながら腕を伸ばした。
「頭の中で行きたい場所を思い浮かべれば、そこへ通じる扉が出現してくれるの。
でも、その先に誰かいたら説明するのが面倒でしょ?」
ベガと使っていたときは、ロベリアの私室から行き来していた。
庭へ行く前に、使用人たちに「この時間は一人になりたい」と伝えておけば、誰も部屋に入ってこない。夕食になるちょっと前までに戻ることができれば、庭のことが露見されずにすんだ。
しかし、今回は事情が異なる。
「人目につかない場所を選んでも、そこに人がいるかもしれないわ。
だから、ここから歩いて行こうと思ったの」
「近くに町があるのか?」
「ええ。二時間くらい歩けば」
「二時間!」
ナギが吼える。
よほど驚いたのか、ぴんっと尻尾を立てた。あまりにも勢いよく立てたせいで、赤い尻尾が近くの椅子に当たり、かたんと揺れる。ナギは一瞬、申し訳なさそうに身体を縮めたが、不満そうな表情は崩さなかった。
「そんな遠くまで歩いて行こうとしていたのか!? 一人で!?」
「そこまで遠くないわ。たった二時間だもの。ちょっとした散歩よ」
「絶対に人気の少ない道だろ? 魔物が出てきたらどうする!?」
ロベリアは幼い時の記憶を辿った。
一人で歩いて行った記憶はない。いつもベガと一緒に歩いて行った。のほほんと歩いても特に問題が起きることはなく、時折、草むらが不自然に揺れたこともあったが、別に何も起きなかった。
ロベリアはそう説明したが、ナギは渋い顔をしたままだった。
「主。きっと、彼女が守護の魔法を使っていたんだ」
「ベガが魔法を? ありえない! ……とは言い切れないわ」
きっと、ナギの言い分は正しい。
ロベリアが一人で買い物に行く!と主張しても、ベガは決して許してくれなかった。どうしてもとごねると当時、飼っていた魔鶏のコッコを一緒に連れて行くなら良いと。一緒に道を歩いていると、時折コッコは立ち止まり、険しい声で鳴いていた。
あのときは分からなかったが、もしかしたら良くないものを遠ざけていたのかもしれない。
そういえば、コッコはどうなったのだろう?
コッコだけなく、あのとき飼っていた山羊や子牛たちも。ここに着いた日、真っ先に確認したのに影も形もいなくなっていた。家畜小屋の扉は壊れていて、薄らと獣の臭いが残るばかり。
彼らはどこかで幸せに暮らしているのか、それとも……?
ロベリアは無性に悲しくなってきた。
「主?」
「……仕方ない。今日は王都に行きますか」
ロベリアは立ち上がると、気持ちを紛らわすようにエプロンの汚れを払った。
本当は王都になんて行きたくないが、王都以上に通りを知る街はない。
もちろん、伯爵家の令嬢として、王国中の地理や産物、特色の知識は完璧に身に付けているし、秘書官時代は国中の都市を飛び回っていた。しかしながら、実際にその町を自分の足で歩いたことは皆無だった。
となると、下手に冒険するより、王都に行った方が安全に違いない。
「薬を売るのは、筋肉痛が治ってからにしましょう。
まずは食糧を確保したいし、王都でも苗や種くらい売ってるわ」
幸い、すぐにお金が必要なわけではない。
必要なのは食糧である。
パンは数日でなくなるし、ナギ要望の肉は皆無だ。
王都に行ことは決めたが、はてさて、どこに扉を開くべきか……と、思案していれば、ナギが足元で寂しそうに尻尾を垂らしているのが眼に入った。どうしたのか?と問う前に、ナギはくいっと顔を上げる。
「なあ、主。王都なら、俺を連れて行っても問題ないだろ?
他の市ならともかく、王都なら俺以外にもドラゴンを使役している人間は珍しくない」
「でも、貴方が辛いでしょ?」
「俺は平気だ」
ナギは胸を張った。
「主は安くて良い店を知らないだろ?
俺なら案内することができる」
「それは……」
「花屋も知ってる。ちょっと前に通った時、ベリーの苗を売っていた。確か、銀貨1枚」
「銀貨1枚!」
ぐらりっとロベリアの心が揺らぐ。
ベリー系の苗の相場は銀貨6枚。相場より5枚も安い。現物を見ていないので判断しかねるが、明らかに安いのは事実だ。
いや、だがしかし……
躊躇っていると、ナギがロベリアの足に前足をちょこんと乗せてきた。
「なあ、良いだろう?」
ナギの緑の瞳の奥に、ロベリアの顔が映る。
ロベリアは唸った。
ちらりと、コッコたちのことが脳裏を横切る。
コッコたちのように、ロベリアが戻ってきたとき、ナギの姿がいなくなっていたら?
たった数時間でそんなことはないと思うが、もし、仮に消えていたら?
「………嫌な気持ちになったら、すぐに言ってくださいね」
ロベリアが肩を落とすと、ナギは嬉しそうに吠えた。
まぁ、ナギが喜んでいるなら良いか。ロベリアは苦笑いをすると、ポケットから鍵を取り出した。
後になって、ロベリアは気づいた。
王都ではなく、町にほど近い森のほとりに扉を繋げれば良かったのではないかと。
※
時は数日前に遡る。
とある人物の歓声が王城を揺らした。
「よし! ロベリアがクビになったぞ!!」
ルードルフ大臣である。
ほくほくとした笑みを浮かべると、丸まった腹を揺らしながら半ば小躍りし始めた。
「いやー、良かった、良かった!
あいつのせいで、どれだけ仕事が増えたやら。
まったく、『この書類を今日中に片付けてから娼館へ赴いてください! ええそうです、娼館は執務室ではありません!』だの『この町には仕事のためにきたのです! 遊び歩くために来たわけではありません』だの、あー、うるさかったー!」
さて、遊びに出かけるかーと、大臣が幸せ全開で顔を綻ばせている反面、さあっと青ざめていく男がいた。
青髪の青年は、あんぐり口を開けると、震える声で大臣に問い返す。
「ロ、ロベリアさん、お辞めになったんですか?」
「ん? ああ、エリック王子が辞めさせたそうだ」
「……はい?」
「ロベリアは黄金姫に酷いことをたくさんしたらしい。
だから、クビにしたそうだ。まあ、当然だな! あー、楽になった! 次期王妃だから無下にできず、渋々秘書官に置いていたが、王子が直々に処分を下してくれるとは!」
「……えっと、では、その……ロベリアさんは、いまどちらに?」
「知るかそんなこと。
ランス、残りの仕事は頼んだぞー。わしはレベッカちゃんのところへ行ってくる」
ランスは大臣の背中を呆然と見送った。
あまりのできごとに、ペンが指から転げ落ちたことにも気づかなかった。
「こ、これは……大変なことになる……!!」
ランスは足をもつれさせながら、慌てて部屋を抜け出した。
派閥と年功序列で大臣になった男は正直無能だったが、ロベリアが絶対的に高い地位にいたおかげで、大臣の尻を叩きながら仕事を廻すことができた。
それができなくなった今、早急にあの大臣を解任させるべきだ。
いや、それだけではない。
ロベリアには、城にいてもらわなければ困るのだ!
ランスはくたびれた政務服を着替えることなく、王の執務室に飛び込んだ。
「陛下! 大変です! 馬鹿王子が婚約を破棄しました!!」
「なん、だと!?」
王は愕然と立ち上がった。
王はもちろん、周りの政務官たちの顔からも血の気が失せていく。
「しかも、仕事をクビにしたと!」
「最悪だ! すぐにエリックをここに連れてこい!」
「「はっ!」」
数人が素早く返事をすると、風のように部屋から出ていく。
王はランス以外の者たちに部屋を出るように指示を出した。
「…………新しい婚約相手は、あの女だろ?」
「………はい、残念ながら」
「人を見る目がない奴だ」
王は呆れ果てた。
「だから、ロベリアを王妃に就けようとしたのだが、まったく……彼女を保護しようと仕事を与えたのが間違いだった」
「すみません。僕がもっとしっかりしていれば……」
王は立ち上がったが、ふらりと足元が揺れる。
「陛下!」
「問題ない。お前は、ロベリアを探し出せ」
王は身体を支えるように、テーブルに手を置くと長く息を吐いた。
「すぐに保護するのだ。あの娘は……王家に必要な娘だ。必ず血を入れる。絶対に死なれては困る!」
「はっ!」
ランスは素早く答えると、王の前を辞した。
入れ替わり入って来たのは、エリックと――例の女だった。
「父上! この度、私は――」
「婚約破棄など認めぬ。お前の婚約者はロベリア以外の誰でもない!」
「ええ!?」
「ですが、お義父さま……!」
「黙れ! 婚約破棄はせぬ。エリックの婚約者はロベリア・クロックフォードだ。
衛兵、この者を追い出せ! エリック、お前には話がある。ここに残れ」
王がルージュを目に入れずに叫ぶと、護衛兵たちが駆け込んできた。
護衛兵たちは素早く彼女を取り囲んだ。ルージュが何か言おうとする前に護衛兵は彼女の口を塞ぎ、さっさと追い出した。
「ですが、父上。彼女の腹には――」
「これをやろう」
王は引き出しから、小瓶を取り出した。
「良いか。あの娘はお前ではなく、王妃の地位を望んでいる。
お前自身が好きなわけではない。お前は道具として見られているのだ」
「しかし!」
「気を確かに持て。お前は、彼女に魅了されている。それだけなのだ」
王は小瓶をエリックに押し付ける。
エリックは渋い顔をして受け取ると、部屋を退出した。部屋の前には、王の護衛兵たちがルージュに寄り添っていた。
「父上は……この薬をお前に飲めと」
「それって……堕胎薬!?」
ルージュは顔を青ざめると、素早くお腹を押さえた。エリックは彼女を安心させるように、そっと彼女の肩に手を置いた。
「そんなことさせない。私は、父上が反対しても君との式を挙げる」
「……王さまは……耄碌されたのかしら?」
「耄碌……」
「だとしたら、隠居すればよいのに……」
「……そうだな。父上が隠居すればよいのに」
二人は囁き合いながら、王城を後にする。
護衛兵たちは王に呼び戻されたが、彼らの言動について報告することはなかった。
ロベリアが再び王都を訪れる、数日前の出来事である。