61話 変わらない者
「大臣ごときのことで、ここまで騒ぐ必要があるのか?」
エリックは東側の壁に到達し、そちら側の隠し回廊へと足を踏み入れながら疑問を口にした。
「帝国と通じていただけだろう? 帝国が攻めてくるわけでもないのに」
「……エリック様、帝国は同盟国ではありませんのよ」
ロベリアは呆れてしまった。
「国交こそ開いていますが、幾度となく戦を重ねてきたことをお忘れでして? こちらが弱ったと知れば、攻め込んでくるのは必定。まともにやりあって、勝てる見込みはありませんわ」
国力としては、我が国の方が上となる。ただし、これはあくまで現時点での話。いつひっくり返るか、まだ定かではないのだ。
一国の王子であれば、その程度のことを知らなければいけないのに……と思ったが、いまは関係ないことだ。
「ロベリア。お前は詳しいな」
「私、この王国を生涯支えていくつもりでしたから」
貴方に婚約破棄をされる前までは、と心の中で付け加える。
「ロベリア……」
エリックは目を丸くしていた。先程までちらついていた不満は消え失せ、不思議な物でも見たかのような顔をしている。
「なにか?」
「……いや、なんでもない」
ふいっと、エリックは視線を逸らした。どういうわけか、耳のあたりが赤く染まっている。いまさらながら、自分の無知さやルージュに現を抜かしていたことを恥ずかしく思ったのだろうか?
「……エリック様。ここからは?」
ロベリアが話を促せば、エリックがこほんっと咳払いをした。
「あ、ああ。この通路を抜ければ、三階の大回廊だ。そこからは、お前も知っている道になる」
「大回廊を左に曲がった廊下の突き当りですね」
そこに、黄金の鐘が設置された場所への入り口がある。そこまでたどり着けば、エリックが扉を開け、最上階に通じる階段を駆け上ればよいのだ。
「ですが、三階の大回廊は人の目があります。一気に駆け抜けますわ、いいですね?」
「念を押さなくても大丈夫だ」
エリックは同意すると、アーロンも頷いた。
「いざとなれば、僕が囮になります。魔法には自信があるので」
「そうならなければ良いと祈っていますわ」
ロベリアたちは息を殺し、隠し扉を押した。ここで敵が待ち構えていたら、おしまいだ。アーロンに魔法で吹き飛ばしてもらうしかない。ロベリアは深呼吸をすると、そっと扉の隙間から外をうかがう。
人の気配はない。
「大丈夫そうですわ」
狭い隠し回廊を抜けだし、馬車が余裕で通れそうなほど広い大回廊に出る。身体が思いっきり伸ばせる空間は、小匙一杯分ほど心にゆとりが生まれた。少なくとも、足を踏み外したり暗闇で道に迷ったりする心配はなくなった。
あとは、見つからずに行動するだけだ。
「こっちだ。見つからないうちに……」
「いたぞ!」
エリックが言おうとした瞬間、背後から貫くような怒声が聞こえてきた。振り返ると、騎士の一団がロベリアたちを睨み、剣を携え駆け寄ってくる。
「怪しい奴め! 帝国の手の者か!」
「エリック様をお守りしろ!」
騎士たちは目にもとまらぬ速度で迫ってくる。ロベリアたちも必死に駆けだすが、みるみるうちに距離が縮まり、このままでは曲がり角に到達する前に追いつかれてしまう。
いま、ここで立ち止まり、説明したりはぐらかしたりするのは面倒だ。
「ここは、僕に!」
アーロンは反転すると、杖を手の中で回した。
「足止めをします! その隙に、ロベリアさんたちは進んでください!」
アーロンは躊躇うことなく叫ぶと、杖の先端で地面をこすった。
「『地の精霊、壁を作れ』!」
変哲のない床が音を立てながら隆起し、アーロンとロベリアたちの間を分断する。天井にまで届く壁のせいで、向こうの様子は見えない。
「アーロン!」
その声に返事をする者はいない。代わりに、激しい戦闘音が聞こえてくる。金属がぶつかり、何かが噴出したりするような音の応酬に、アーロンが全力で足止めをしてくれているのだと悟った。
「……エリック様、先を急ぎましょう」
ロベリアは壁に背を向けて走り出した。
「いいのか、彼は一人で……? ちゃんと説明すれば、彼らはきっと私たちに道を譲ってくれた!」
「時間がないのです!」
エリックが戸惑う声に、ロベリアは間髪入れずに答えた。
「悩む暇があるのでしたら、足を動かしてください。私たちが鐘を鳴らせば、この騒動もおさまるのです!」
春の終わり、アーロンにまさか背中を預ける日が来るとは夢にも思わなかった。
きっと、あの頃の自分が見たら、驚きのあまりカップを落とすのではないだろうか。「ナギを傷つけた男を信用するなんて、前代未聞ですわ!」と、叫びだしてしまうかもしれない。そんなくだらないことが脳裏をかすめ、こんな状況だというのに、くすりと笑ってしまった。
「ここだ!」
エリックが叫んだ。最後の廊下を曲がり、東塔の最奥まで到達する。冷たい石の壁には、古めかしい木の扉が埋まっていた。
「エリック様、お願いしますわ」
「う、うむ」
エリックはごくりと喉を鳴らす。ゆっくりと、彼は傷一つない綺麗な指先で銀のノブに手をかける。
「我が名はエリック。この国の……次代の王の名において……開け」
かすかに震えた声は囁くように。エリックはノブを回した。固く閉ざされた扉はエリックの問いかけに応じるように、ごくごく自然に開く。
「開いた……!」
扉の中をのぞけば、冷たい石造りの螺旋階段があった。何年も人が昇っていないからか、薄っすら埃が溜まっていた。
「この階段を最上階に、鐘が安置されている。……行くぞ」
「「ありがとうございます」」
ロベリアは礼の言葉と共に一歩前に足を踏み出したとき、自身の耳を疑った。
ロベリアの感謝の言葉に、誰かの言葉が重なっていた。
「まさか……」
薄い刃物で背中の上皮を這わしたような戦慄がはしった。
振り返らなくても分かる。この十数年、幾度となく耳にし、ロベリアを苦しめてきた少女の声だ。だが、信じられない。
「エリック様、お待ちしていましたわ」
かつん、かつんとヒール音が近づいてくる。
どうして、彼女がここにいるのか? ロベリアが愕然としながら振り返ると、やはりそこには忘れもしない妹の姿があった。
「そして、今度こそ……お久しぶりですわ、お姉さま」
ルージュは薄い微笑を浮かべて立っている。
「そんな、誰もいなかったのに……!」
エリックもこの事態は想定していなかったらしく、情けないくらい狼狽していた。
「ふふ、ごめんなさい。魔法で姿を隠してたの」
「ごめんなさいね。驚かせるわけではなかったのよ」
ルージュの後ろの壁が崩れ、そこから、クロックフォード夫人が現れた。どきっとするほど白い顔を扇子で隠しているが、にたりと意地の悪い笑みを浮かべているのを隠しきれていない。
「お母様……いえ、お母様に乗り移った魔物……『セイレーン』と呼ぶべきなのかしら?」
「さすがに、ここまで来るだけあって、よく調べていること」
セイレーンは、ころころと鈴の音がなるような笑い声をあげた。
「でも、まさかここにいるとは思っていなかった顔ね。私は好きよ、その顔」
「……ええ。てっきり、地下牢に閉じ込められている者へ会いに行っているかと」
「私を見くびらないで。私の可愛い宝石と違って、少し長く生きているのよ。聖女の末裔程度の小細工、なんとでもなるわ」
「ちょっと、お母さま! ひどいわ!」
ルージュがむうっと頬を膨らませた。
「私が騙されたみたいじゃない! それに、私がここで待っていましょうって提案したのよ!」
ルージュは母親に上目遣いで怒っていたが、母はというと笑って流している。
「むぅ……まあ、お母さまはいいわ。私がここで待っていたのはね……エリック様に会いたかったからよ」
「私に?」
エリックが瞬きをする。
「エリック様、気を保ってください! 貴方を魅了するつもりですわ!」
ロベリアは間髪入れずに叫ぶ。
扉を開けることができたのは良かったが、ここにきて敵に回られたら大変だ。いかに連日の庭仕事で体力も筋力もついたとはいえ、男女の差は埋めるほどではない。力尽くで押さえられてしまったら、この先に進むことができない。
このままでは、すべてが水の泡だ。
「ルージュたちは、エリック様を再び利用しようとしているのです!」
ルージュたちがここで待っていたということは、こうなることは見通していたのかもしれない。
思い起こせば、あまりにもエリックとの合流が上手く行き過ぎた。もしかすると、エリックの周りの警備をわざと手薄にし、ロベリアやアーロンのような協力者が接近しやすくしたのかもしれない。
「この者たちは、エリック様を待っていたのではありません。
エリック様が扉を開けるのを待っていたのです! 黄金の鐘に通じる道を開けるのは、エリック様だけですから」
「大当たり。でもね、困ったのよ。もっともっと兵を集めようとしたのに、変な騒ぎが起きるんだもの。お姉さまにしては、頭を働かせたのね」
ルージュは妖艶な微笑みを浮かべると、嬉しそうにくるりと回った。高いヒールの靴を履いているというのにバランスを崩すことなく、ピンク色のスカートがふわりと花のように広がり、実に可愛らしい。
「私ね、鐘を鳴らしたかったの。エリック様と一緒に。結婚式まで、待てないなーって」
「王国のすべてを魅了することが?」
ロベリアはエリックを庇うように立つと、ルージュに厳しい眼差しを向けた。
「貴方は……いえ、貴方たちは、どこまで強欲なの!?」
「お姉さま、知らないの? 女の子はね、なーんでも欲しいのよ。私を飾る可愛いドレスに綺麗な宝石、私のために働いてくれる人たちに素敵な旦那様」
ルージュがうっとりとした目をエリックに向け、そっとこちらに手を伸ばそうとしてくる。
「エリック様に近づかないでください!」
ロベリアはけん制するように叫ぶ。
「この国の民も、エリック様も……貴方たちの玩具ではないわ!」
ルージュは何も答えず、にやりと口元に弧を描いた。可愛らしいお人形のような外面だけは守っていた妹の仮面が崩れ、不気味なまでに冷酷な一面が見え隠れしている。ロベリアは鳥肌が立った。
「ねぇ、お姉さま。そこをどいてくださる? 私、エリック様と二人で登りたいの」
「お断りします」
ロベリアは拳を握りしめていた。手のひらに汗がにじみ始めたのを感じる。ここまで走ってきて上がっていた呼吸がさらに激しくなり、わずかに肩で息をしていた。
「黄金の鐘に触れさせるわけにはいかないもの」
このまま彼女たちを振り切って、階段を駆け上るべきか。
その方がてっとり早いかもしれないが、追いつかれてしまったが最後、すべてが終わってしまう。その選択は危険極まりない。ルージュたちはヒールの高い靴を履いているので走りにくいかもしれないが、セイレーンという魔物の血を引く者たち。ロベリアの知らぬ手段で抵抗してくるかもしれない。
「……あ」
そのとき、奇妙なことに気づいた。
もう一度、まじまじとルージュの頭からつま先まで観察する。
ロベリアの視線を気味悪く感じたのか、ルージュは不愉快そうに眉根を寄せた。
「なによ、お姉さま。その眼は」
「いえ、不思議だなと思ってね」
ルージュの姿は、記憶とほとんど変化がない。しいて、違う点を挙げるのだとすれば、お腹がわずかに膨らんでいることだろう。
だが、それ以外は違う点を見つける方が難しい。
「ルージュ、貴方の装いが数か月前とあまり変わらないと思ったのよ」
「っぷ、ぷぷぷ。お姉さまの目は節穴ねぇ」
ロベリアが指摘すれば、ルージュは子馬鹿にしたように目を細めて笑った。
「このドレス、この夏の新作よ? そもそも、春用のドレスと夏用のドレスを見間違えるなんて――」
「私が指摘したのは『装い』について」
ロベリアは妹の話を静かな口調で遮った。
「そうね。たとえば……ルージュは何故、その靴を履いているのかしら?」
「へ?」
ロベリアはルージュの足元に視線を落とした。
ルージュの足元には、赤いヒールが輝いている。
「私はね、好きな靴を履くの。お姉さまにとやかく言われたくないわ」
「貴方、エリック様の子を妊娠しているのでしょ? そのような靴を履いては、転倒して大事に至るかもしれないわ」
お腹の胎児が育つ関係で、妊娠中の女性は体重が増加する。腹も膨らむことで、これまで通り歩くこともままならなくなるとか。ただでさえバランスのとりにくいヒールの高い靴は歩くことができたとしても、妊婦は安全のために履かない方が良いとされているのだ。
「貴方がエリック様に妊娠を告げたのが、今年の四の月。今は八の月だから、四か月は経っていますね。そろそろお腹が大きくなってもおかしくないというのに……」
改めて、ロベリアはルージュの腹を注視する。
たしかに、ルージュの腹は若干膨らんでいるように見える。けれど、ドレスはマタニティ仕様ではない。
ヒールの靴を履いていることもそうだが、ロベリアの目には少し奇妙に映った。
「間違っていたらごめんなさい。でも、ルージュ……貴方、本当に妊娠していますの?」




