57話 ティモシーと探索を
「……レベッカ、大丈夫かしら……」
ロベリアは従者風のローブをまとったまま、王城をひそかに進んでいた。
幾度か不安げに振り返り、あとをつけてくる者がいないか確認する。どうやら、いまのところは問題ないらしい。
ただ、こうも上手くことが進んでいると、自分の身代わりを務めてくれたレベッカに対する感謝と心配の気持ちが込み上げてきた。
「だいじょうぶ」
ティモシーがロベリアのつぶやきを拾う。さきほどまで、ロベリアの背中に乗り、背中の瘤を演じていたのである。彼はナギのように体重の操作ができない普通の愛玩ドラゴンなので、かなりつらいのだが、これで周囲の目を誤魔化せるなら問題ない。
「れべっかは、ぼくが、たすけるから」
「頼もしいこと」
ロベリアは、王の執務室への道を進みながら言葉を返した。
「れべっかのえんぎ、よかった」
「声は、私よ」
ルージュに会うまでは、レベッカが話しても構わなかった。
レベッカなら、ロベリアを真似て話すくらい雑作もないだろう。
だがしかし、さすがのレベッカでも、ルージュまでは欺くことができない。故に、ルージュが現れてからは、レベッカに口元を隠してもらい、ロベリアが代わりにすべて話していた。
幸いにも、ルージュはベランダにいた。
ロベリアたちとの間には距離があったこと、ルージュはレベッカの扮したロベリアにしか視線を向けていなかった。おかげで、ルージュはロベリアの腰の曲がった従者の口元を気にすることなく、まんまと騙されてくれたというわけだ。
「いまのとこ、うまくいってる」
「ええ。騎士たちもやや協力的でしたし……解毒薬のおかげね」
ロベリアはほくそ笑み、騎士たちの反応を思い出した。
秘密の庭から持参した解毒薬の内、ひとつを使っていた。
フレッシュジュースに解毒薬を混ぜたものを早朝の内に、レベッカ経由で大臣に渡しだのだ。
レベッカが大臣に『これ、騎士の宿舎に差し入れてはどうかしら? かなり良いものだから、喜ばれると思うし、これに恩を感じた騎士が、いざってときに守ってもらえるんじゃないかしら?』とお願いしてもらったのである。
大臣はレベッカの言った通り、解毒薬の混入したジュースを騎士の宿舎で振舞ってくれた。
その功が実り、先ほどのようにまともな反応をする騎士がいたのである。
レベッカが迫真の演技をしていたとはいえ、本来であれば、誰も擁護する者などいなかったはずだ。
「これで騎士たちの一部は味方になりましたわ」
もっとも、彼らは味方になった自覚はないだろう。
それでも、ロベリアの状況には同情的であり、ルージュに嫌悪に近い感情が芽生えたことは事実。彼らであれば、地下牢に連行されたレベッカが囚人や看守に酷い目にあわないように守るくらいのことはしてくれるはずだ。
「たぶん」
「たぶん、では、こまる」
「確証は持てないの。解毒薬が効いたとしても、ルージュの存在はこの城において絶対だから。……ですが、レベッカなら大丈夫」
彼女は賢い。
ロベリアの身代わりを務めあげる度胸もある。なにがあっても、冷静に対処することができるはずだ。
「……」
ティモシーは何も答えなかった。
「ティモシー君。しばらく、おとなしくしてくださいな」
ロベリアはティモシーを背で感じながら、エリックがいると思われる部屋を目指した。
解毒薬の効果は実証済み。
ならば、これをエリックに投じれば、一気に解決に通じる。
クレアの話が正しければ、王族はセイレーンの魅了に一定以上の抵抗があるらしい。解毒薬で後押しをすれば、しばらくの間はもつのではないか?
問題は、解毒薬をどうやって飲ませるかだ。
エリックは、ルージュに魅了されている。
飲み物に一服盛るのか、解毒薬の入った瓶ごと渡して飲ませるべきか。そもそも、こちらの話を聞いてもらえるのだろうか?
「……ん、とまって」
ロベリアが思案を巡らせていると、ティモシーがも、ぞもぞと動き出した。
「どうかした?」
「どらごんのけはい、する」
「え!?」
ロベリアは辺りを見渡した。
しかし、ここは何も変哲のない廊下でしかない。ロベリアの目に見える範囲には誰もおらず、窓の外に目を向けても青い空が広がるばかりだ。
ともなれば、残された場所は一つ。
「この部屋に?」
ロベリアは、石の壁とほとんど同化しかけている扉に目を向けた。
記憶が正しければ、ここは第二書庫。第一書庫に入りきらなくなったが、さりとて捨てることもできない書物が保管されている場所だ。第一書庫より狭く、利用する人もまばらな場所に、ドラゴンがいるのだろうか?
「ドラゴンが場所とは思えませんが……」
「ここ、どらごん、いる」
しかし、ティモシーは断言した。曇りのない瞳は、書庫の扉をまっすぐ睨みつけている。
「……ドラゴンは、魅了が効かないのよね?」
ロベリアは第二書庫の扉を見据えた。
「みりょう? ぼく、わからない」
「……すみません、そうでした」
ロベリアは苦笑いをする。
つい、ナギに話しかける感覚になっていた。ティモシーはレベッカの愛玩用ドラゴンなのだ。ナギのように、特別なドラゴンでもなければ、魅了などに関する知識も持たない。
「とりあえず、入ってみましょう」
ロベリアは扉を少し開け、中を垣間見ようとした。
ところが、鍵がかかっているのかビクともしない。
「おかしいわ」
「かぎがかかってること?」
「ええ。この部屋、鍵をかけられなかったはずなの」
かといって、外から鍵をかけられた形跡もない。
「閉鎖されるような場所ではないのですが……」
滅多に人が来ない場所だが、閉ざされるべき場所でもない。ロベリアは不審に思い、扉に手を這わせながら、よくよく目を凝らしてみる。
「あ、ここだけ、おかしくなくって?」
「どこ?」
「少しお待ちくださいな……よいっしょっと」
ロベリアはティモシーにも見えるように、身体の位置を動かしてみる。
「ほら、取っ手の部分。この金具だけ、不自然に綺麗でしょう?」
「ほんとうだ! ここだけ、あたらしい」
ティモシーは驚いたのか、普段よりも一段階高い声を出す。
「どうして、ここだけ?」
「古びて修理したというのであれば、全体を変えるはず。ですが、実際に変更されているのは、この箇所だけ」
他の箇所はやや錆びて赤みがかっているのに、この部分だけ新品に取り換えるとは不自然すぎる。国自体が財政難で節約した結果なのかもしれないが、普段は自由に入れたはずの部屋の鍵が変えられている。
おまけに、ティモシー曰く「ドラゴンがいる可能性が高い」ときた。
「これは……怪しすぎない?」
いくら王城には、人化できる特別なドラゴンがいるとしても、ドラゴンが書庫に行くなど聞いたことがないし、鍵をかけて入れないようにする理由も分からない。
ロベリアが入室する方法を真剣に考え始めた、そのときだった。
「そこでなにをしている!」
後ろから叱責が飛ぶ。
ロベリアは驚きのあまり跳ねそうになった気持ちをどうにか抑えると、何事もないようにゆっくりと振り返る。
「申し訳ありません。実は……道に迷ってしまいまして」
老婆のような声を意識しながら、申し訳なさそうに口元に笑みを描く。フードのおかげで顔が半分ほど隠れているので、相手には口元しか見えないはずだ。
「主人から、織物部のメロディーヌ様にお届け物をするようにと頼まれました所存でして」
そのせいで、こちらも相手の顔がうまく見えないが……。
「織物部屋は二階上だ。さっさと立ち去れ」
「はあ、ありがとうございます」
背中のティモシーが落ちないように注意を払いながら、よたよたと男の横を通り過ぎる。それにしても、どこかで聞いたことのある声だ。ロベリアはすれ違いざま、ちらっと男の顔を覗き見た。
「……え、貴方は……」
そこにいた人物に、本来の声がこぼれてしまう。すぐに聞き流されてしまう囁き程度の声量だったが、男は聞き逃さなかったらしい。
「待て。お前は、いや、貴方は!」
ロベリアは肩をつかまれ、強引に顔を見られてしまった。
「どうして、ここにいるのですか?」
相手は、まじまじと見つめてくる。
ロベリアは観念したように、長く息を吐くしかなかった。
「ルージュを倒すため。それ以外、理由があって?」
「……まあ、そうなりますね。ここは、いまの貴方にとって敵の本拠地以外の何物でもないのですから」
「貴方こそ、どうしてここにいるのかしら?」
ロベリアは同じ問いを投げ返す。
おそらく、相手も自分と同じ言葉を返してくるとは予想しながらも、どうしても聞いておきたかった。
「アーロン」
そこにいたのは、アーロン・スコーピウス。
魅了が解かれたとはいえ、フローライトを人質に秘密の庭を強襲。
以前、ナギを傷つけた張本人だったのだから。




