54話 王都、再訪
月も眠るような静かな夜。
自分の呼吸する音すら、わずらわしく感じるほど静寂に包まれている。
ロベリアは音を立てないように息をひそめながら、ゆっくりと身体を起き上がらせた。ほとんど視界も閉ざされた暗闇のなか、記憶を頼りに手探りで身支度を整えようとする。ふと、そのとき、おかしなことに気づいた。
「……あれ?」
ナギの姿が、どこにも見つからないのだ。
ナギの赤い鱗は夜の闇に包まれてもなお、蝋燭の灯りよりもハッキリと浮き出て見えるはず。それなのに、どこにも見当たらない。
「どこへ行ったのかしら?」
今日も一緒に眠りについたはずなのに……と、ロベリアは悩みながら、ナギの寝床を覗き込む。彼が寝ていたであろう場所はへこんでおり、手をかざしてみれば仄かに温かさが残っていた。
ここからいなくなってから、そう時間は経っていないはずだ。
「どこへ行ったのかしら?」
ロベリアは身支度を整える前に、ナギを探すことにする。
普段ならば「トイレへ立ったのかしら?」と思えばいいが、ベガやルージュの正体が分かった怒涛の一日だっただけに、姿が見えないというのは不吉でしかない。
「なにか、よからぬことをしていないといいけど……」
ロベリアは呟き、自嘲気味に笑った。
今まさに、よからぬことをしようとしている身が何を言っているのだろうか。
「ナギはどこ?」
ロベリアは自分のことを棚に上げると、ネグリジェ姿のまま扉に手をかけた。
扉の軋む音が普段より大きく聞こえたが、特になにも起きず、扉の向こうには闇に沈んだ廊下だけが広がっていた。
ロベリアはランプをつけようかとも思ったが、窓から薄ぼんやりと月明かりが差し込まれている。おかげで、最低限の視界を確保することはできた。ただ、ナギが窓からの明かりが届かない暗がりに隠れているのだとしたらお手上げだ。
ロベリアは赤い鱗を見つけようと、目を皿のようにして廊下の端から端まで目を走らせる。
「……よかった」
ナギは、思ったよりもすぐに見つかった。
客間の扉の前で、尻尾を丸めて寝入っている。
クレアが勝手なことをしないように、見張っていたのだろうか。ロベリアが寝入ったことを見計らい、こっそり起きて見張りをするなんて、どこまでも彼らしかった。
「……ごめんなさい」
ロベリアは目元を緩めると、申し訳なさそうに呟く。
ナギはロベリアを守ってくれようとしているのに、自分は無謀にも王都へと向おうとしている。作戦は考えてあるとはいえ、自分では気づかない穴があるかもしれないと思うと、いささか不安が込み上げてくる。
しかも、今回の作戦の要は、ロベリア自身が聖女の末裔であるという仮説に基づくものだ。
おそらく、聖女の末裔であることは真実なのだろうが、周りが教えてくれただけで、確固たる証拠がない。
けれど、やるときはやらなければならないのだ。
誰かがやらなければ、ならないのだ。
「ごめんなさい、私。行かなければ」
ロベリアはナギに一礼すると、部屋に戻って身支度を整える。
寝る前、ナギに悟られぬ程度に必要なものは用意してあった。夜の見えにくい闇のなかでも、時間をかけずに支度をすることができそうだ。
「……あった」
フード付きのローブを取り出し、自身の姿を隠すように纏う。
こうして、フードで目元まで覆ってしまえば、いままさに夜逃げをする娘のようだ。ちらりと鏡に映った自身の姿を横目で確認すれば、ローブが全身を隠しているおかげで、よほど近づかねば性別すら見定めるのは難しいかもしれない。
「……って、すこし安易かしらね」
ロベリアは、ゆっくり玄関へと向かった。
途中、テーブルの上に自分が何をするのか書いた紙を残し、忍び足のまま玄関を開ける。玄関を開けるとき、昼間は気にならないほど小さな音がひどく耳につく。この森全体に聞こえてしまっているのではないかと錯覚する開閉音のせいで、ナギを起こしてしまったのではないかと不安になって振り返った。
だが、実際にはロベリアが感じたほど大きな音ではなかったのだろう。振り返ってみても、ナギが起きた気配は感じなかった。
「ナギ」
本当は、なにをするのか告げてからいなくなるのが正しいのかもしれない。あんな紙切れ一枚だけ残して去られたら、優しい彼はきっと心配する。
だけど、こうするしかないのだ。
これ以上、ナギを巻き込むわけにはいかない。
ロベリアは覚悟を決めると、玄関の外に足を踏み出した。
夜の空に、月を抱いたような雲がぼんやりと白く浮かんでいる。
ロベリアは草をつま先でかき分けるようにして踏み、足元を確かめながらゆっくりと歩き、手ごろなところで立ち止まる。
「ナギ、必ず帰りますから」
ロベリアはポケットから鍵を取り出すと、王都へつなげることを強く念じながら宙に差し込んだ。
いつも通り、見慣れた古い扉が空間から溶け出すように出現する。
「……行きましょう」
誰に言うのでもなく呟き、ゆっくりと扉を開けた。
見たことのある路地のはずなのに、普段は訪れない夜のせいか、物悲しい空気を感じた。酒の強い臭いが夜風と共に漂い、頬をなでてくる。
人の気配はない。
ロベリアは扉が煙のように消えていくのを確認した後、数か月ぶりの王都を歩き出した。
秘密の庭同様、夜の王都も寝静まっていた。夜に賑わう無花果通りといえど、深夜故か人の通りがない。
しかし、用心に越したことはない。
エリックがクーデターを起こした事実には変わりがないのだ。クレアが助けを求めに脱出した事実は知っているはずであり、王を救出に来た者が都に忍び込むことを警戒しているに違いない。
「急いで、探さないと」
ロベリアはフードを目深にかぶり、足早に目的の場所へと歩みを進めていく。
ところが、数分も進まぬうちに、前方がふいに明るくなった。夜間、王都を警備する騎士たちのかもしれない。ロベリアは間一髪、灯りに照らされる前に隣の路地へと逃げ込む。
「……おい、そこに誰かいなかったか?」
急いた呼吸を整える間もなく、騎士の怪訝そうな声が聞こえてきた。
「いや、俺は気づかなかったが……気のせいではないか?」
「一応、確認しに行こうぜ。例の女かもしれねぇな」
「ロベリアかぁ……だったらいいな。報奨金がたんまり貰えるぜ!」
自分のことを探しているんだ!
どくんと、ロベリアの鼓動が早鐘を打つ。
「だがよ、女は本当に来るのか?」
「隊長が言っただろ? ルージュ様曰く『来るなら今夜だ』ってさ」
ロベリアは家の壁に身体を張りつかせ、必死に息を殺した。
ルージュは、ロベリアが王都に来ることを知っている。考えてみれば、クレアが逃げ出した段階で、ロベリアを連れてくると確信していたに違いない。
「とりあえず、見に行くか」
騎士たちの足が、石畳の道を叩く音が異様なまでに響く。
ロベリアは壁に背中を張りつけさせながら、そろりそろりと後退する。足音を立てぬように、細心の注意を払いながら進むのに対し、騎士たちは足音を隠すことなく大きく立てながら接近してきた。一歩一歩、確実に距離が縮まってくるのが分かる。
どうしよう?
これ以上、早く進むことはできない。
どうか、これ以上、追ってきませんように。そこで、引き返してくれますように。
ロベリアは切に祈りながら、先ほど曲がったばかりの角に身を隠そうとした――そのときだった。
「あんた、こんなところにいたの?」
はっとしたときには、すでに遅い。
後ろから、ロベリアの口に手が回る。
前から迫りくる騎士たちに気を向けていたせいで、後ろへの注意が疎かになっていたのだ。
ロベリアは、さあっと血の気が引いていくのが分かった。
3月から連載を始め、皆様に読んでいただき、書籍化まですることができました。
とても嬉しいです。本当にありがとうございます。
本作はハッピーエンドであり、来年内完結を目指して鋭意努力中です。
来年度も本作をよろしくお願いします!




