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44話 母の記憶


 しとしとと雨が降っている。

 ぽたぽた屋根から垂れる雨音を小耳にはさみながら、ロベリアは書庫の整理をしていた。


 夏の草花は勢いが良い。

 あまりにも元気が良すぎて、必然的に庭仕事を重きに置く生活が続いていた。もちろん、土をいじったり花をめでたり山羊と戯れたりする生活は嫌いではないし、むしろ大好きだ。ずっと永遠に庭を造り続けたいが、家のことがおろそかになりがちになっていた。


「主、終わったぞ」


 ナギがひょいっと部屋に入ってきた。


「薬棚の整理は完了した。あとで確認してくれ」

「ご苦労様、ありがとう」


 ロベリアは本棚にかぶった埃を叩く手を止め、ナギに礼を言った。


「そういえば、この部屋に入るのは初めてだな……」


 ナギは物珍しそうに周りを見渡した。

 家の一番奥の小部屋。壁一面に本が並んでいることから「書庫」と呼称していたが、ロベリアも入ったことは数えるほどしかない。


「普段、使う本は私の部屋にあるからね」


 料理に関する本や薬学や魔物に関する本、簡単な魔法が記された本などは、ロベリアが使っている私室にそろえられているので、これまで書庫の本を読む必要がなかった。

 そもそも、ここに入るのは躊躇いがあったのだ。


「ベガにね、『ここにだけは入らないように』と言われてたの」

「大丈夫なのか、入っても?」

「今は平気だと思うわ。鍵を託されたとき、『書庫に入るのは大人になってから』とは言われたけど……もう大人だもの」


 実際、入ってみても何もおかしなことは起きなかった。

 もしかして、なにか魔物や怪物が出てくるのではないかとか侵入者除け的な魔法が発動するのではないかとか、おっかなびっくりドアノブを握り、そろりそろりと入室したが特に何も起きない。


 壁一面に本が並ぶ、窓のない部屋だった。

 家具と呼べる物はない。本を読むための椅子すらなく、木造りの簡素な足場が一つあるだけだった。


「でも、ここ不思議。温かい気持ちになる」


 ロベリアは本の背表紙を指でなぞりながら微笑んだ。


「温かい? 俺はむしろ……いや、なんでもない。主がそう感じるなら、温かいのだろう」

「無理に合わせなくていいのよ。私はここの掃除を続けるから地下室の整理をしてくれる?」

「分かった」


 ナギはぴんっと尻尾を立て、了解と頷くと去っていった。

 ロベリアは再び、本棚の埃を叩きで落とす。ぽんぽんっと埃が落ちてくるので、時折せき込みそうになった。


「あ……この本……」


 しばらく掃除をしていると、魔物にかかれた図鑑の隣に置かれた本に目が留まる。

 子どものころ、ベガが寝物語にと読んでくれた童話だった。つい懐かしさに頬が緩み、手を取ってしまう。本の最初のページをめくり、微笑みが苦笑いへと変わるのを感じた。


「くすっ……私の書いた落書きまで残ってる」


 目次の下、へたくそな山羊の落書きがされていた。

 そのうえに雲と太陽の絵が描かれている。本に落書きをするなんて不躾な……と思ったが、当時の自分は4、5歳。そのあたりの分別がまだつかなかったのだ。

 たしか「せっかく絵を描いたので、ベガに褒めてもらおう!」と喜び勇んで本を持って行き、ベガに怒られたことを思い出す。


「懐かしいわ……」


 掃除のことなどすっかり忘れ、本のページをめくっていく。

 ちょうど良いところにあった足場に腰を下ろし、童話を読みふけってしまった。ページをめくる手が止まらない。


「聖女の物語……海の向こうの恋物語……竜騎士の話……」


 文字を追うごとに、ベガの声がよみがえる。

 その声に身をゆだねるように読み進めるうちに、だんだんと瞼が重くなり、すうっと意識が遠ざかるような気がした。


「ベガ……」












 気がつくと、ロベリアは6歳になっていた。

 ベガの手を振り払い、クロックフォードの屋敷に戻った時の自分に戻っていた。


 当時のロベリアにとって、ベガと会えなくなることや「秘密の庭」に行けなくなることよりも、両親や新しく生まれた妹に会いたい気持ちの方が強かったのだ。



『お父様、お母様、ただいま帰りまし……た?』


 ロベリアは元気いっぱい三年ぶりに屋敷の扉をくぐったが、すぐに愕然とした。

 あまりにも屋敷が様変わりしていたのである。

 ベージュを基調とした落ち着いた雰囲気の玄関ホールだったはずが、ピンクと白に変わっている。ところどころ植物の葉のように複雑な曲線を描いた金の装飾が施され、聖女伝説をかたどったと思われる繊細な絵が掲げられていた。


『これは……』

『ロベリア、帰ったか』


 ロベリアが様変わりした屋敷に戸惑っていると、父が階段からこちらを見下ろしていた。


『お父様!』

『お前を呼び戻したのは、令嬢としての教育をするためだ。伯爵家の栄華とルージュに恥じぬ淑女となるのだ』


 父は言い残すと去ってしまった。


『ルージュに恥じぬ淑女……?』


 ロベリアは呟いたが答えは返ってこない。

 父と入れ代わりに来たのは、無表情の侍女頭だった。


『ロベリア様、こちらに。今日から勉学とマナーのレッスンを始めます。すでに家庭教師の方も到着なされていますわ』

『でも、お父様は? それに、お母様や妹にも挨拶をしていないわ』

『まぁ! ルージュお嬢様に敬称をつけないなんて!』


 侍女頭の非難がましい物言いに、ロベリアは困惑した。

 どうして怒られるのか分からず、うーんと首を傾げる。


『でも、ルージュは私の妹よ? どうしていけないのかしら?』

『ああ、なんて野蛮な娘だこと! ルージュお嬢様と大違い! 一から厳しく教育するように家庭教師に言いつけなければ!』


 ロベリアには訳が分からなかった。

 そのあとも母や妹に会うことはできず、夕食も「マナーの勉強」ということで一人だった。ダイニングではなく、自分の部屋。おまけに、何かにつけて『マナーがなってない』と叱られながらの食事は喉が通らず、味も感じなかった。


『では、おやすみなさい。明日は六時に朝食を用意します。七時から家庭教師が参りますので』


 それだけ言うと、使用人たちは出払った。

 記憶より狭い自室にいるのは耐えられず、ばったり両親に会えないかとこっそり廊下を歩いてみる。

すると、ダイニングから賑やかな声が響いてきた。


『きゃはは。お姉さまって、そんなに出来が悪いの?』


 甲高い笑い声だった。

 鈴のように可愛らしい声なのに、下品な笑い方。なんとなく誰の声か察しはついたが、すぐに怒られるだろうなーと思いながら耳を立てながら歩いた。

 ところが、返ってきたのは意外な言葉だった。


『そうなのよ……私の可愛いルージュを見習わせたいくらい』


 母の声だ。

 ロベリアは愕然とした。笑い方を怒られることなく、むしろ同意しているのだ。続いて聞こえてきたのは、父の呆れ果てた声だった。


『あいつは野蛮なのだ。敬称もまともにつけられないとは』


 夢にまでみた両親の声は侮蔑で彩られていた。

 ロベリアは、ふらふらとダイニングに吸い寄せられるように歩き出す。わずかに開いた扉の隙間から部屋をのぞいた途端、ロベリアの頭が空白になった。


『馬鹿なのねー、お姉さまって。もっと賢いお姉さまが良かったー』


 人形のように可愛らしい妹がいた。だが、可愛らしいのは見た目だけで、食べ物が口に入っているのに話している。そのくらい平民でも知っている最低限のマナーだ。


『だから、一人で食事をするのも当然よね! だって、私と違って一からマナーを習わないといけないんだもの』

『その通りだわ。ルージュの爪の垢を煎じて飲ませたいものね』


 それなのに、両親は注意しない。

 母なんて、ルージュへ薄橙色の瞳を慈しむように向けていた。ルージュの父譲りの金髪を優しくなでながら微笑んでいる。


『ルージュ、お前は自慢の娘だ。田舎育ちの野蛮な娘が姉だなんて……認めたくないだろうが耐えておくれ』

『あんな子、産まれてこない方がよかったのに。ルージュが可哀そうよ』


 両親の言葉に、ロベリアは絶望した。深い海の底に沈んでいくような暗い気持ち。


 ベガに泣きつきたかったが、彼女と二度と会うことはできなかった。


 







「……、主! 起きろ、目を覚ませ!」


 温かい声が聞こえてくる。

 優しく肩をゆすられ、そっと目を開ける。ドラゴン状態のナギが目の前にいた。心配そうに顔を歪めていたが、ロベリアが目を覚ますとほっと息を吐いた。


「うなされていたぞ、大丈夫か?」

「……え、ええ。悪い夢を見ていただけよ。私、駄目ね。片付け中に寝るだなんて」


 ロベリアは苦笑いを返すと、開けっ放しだった本を閉じた。

 いそいそと本棚に戻そうとして、はたと気づいた。


「あれ……奥に何か入っている?」


 童話本が入っていた奥に拳大の木箱が置かれている。

 あれはなんだろう?と指を伸ばし、手に取ってみた。指輪が入る程度の大きさの木箱。軽く揺らしてみるが、音は鳴らなかった。


「主、それは?」

「私にも分からないわ。ただ……この箱、西大陸のものね」


 このあたりではみない花の細工が施されている。

 西大陸に仕事で訪れた時、向こうの国の大臣がしきりに説明してくれたことを思い出しながら細工を指でなぞった。


「たしか、幸せを祈るための模様だったと思うけど……」

「それがなぜここに?」

「分からないわ」


 もしかしたら、物凄いお宝が入っているのではないだろうか?

 少なくとも、この箱だけでかなりの値打ちがする。

 木箱を売るだけで、庶民なら一年くらい働かなくても生きていけるほどの金額になるのではないだろうか?


 もっとも、ベガの遺してくれたものだ。

 ロベリアに売るつもりはない。


「開けるわよ」


 ロベリアは長く息を吐いて気持ちを整えると、箱についた金属の取っ手を外す。

 そして、


「き、きゃぁああああ!!」


 ロベリアは甲高い悲鳴を上げてしまった。

 せめてもの救いは、箱を落とさなかったことだけだ。箱の中に目を奪われ、衝撃でふらふらと後ずさりしてしまう。


「どうした、主……! こ、これは……?」


 ナギは人化するとロベリアの肩を支え、箱の中に目を落とす。

 だが、愕然とするロベリアとは異なり、彼は眉間に皺を寄せた程度だった。


「木の屑、か? いや、違う? 主、なんだ?」

「私も初めて見るのだけど……これは……」


 へその緒。

 母親と子どもが繋がっていた証だった。





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― 新着の感想 ―
[一言] 海のむこう…西大陸の箱…へその緒…なるほどわからん
[一言] 母「生まれてこなければよかったのに」(産んだと言ってない) ベガ「私の家に代々受け継がれる庭です」 へその緒がベガだけが知る小屋に保管されている …そういうことなのかな
[気になる点] もしや、本当のお母さん...?
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