43話 氷菓
ところ変わって、秘密の庭。
王都の反乱は、ロベリアたちに伝わってはいない。
夏の太陽が庭の木々を照らし、濃い緑が輝いている。
白いクリームのような雲がちらほら浮かんでいるが、風も髪をかすかに揺らすほどしか吹いておらず、絶好の飛行日和であった。
「ナギ、これで大丈夫かしら?」
ロベリアは眉根を寄せながら、ナギの短い足に紐をくくりつける。
丈夫そうな太めの紐はナギの足と茶缶をつないでいた。茶缶は頑丈に封をされており、ちゃぷんっと中のミルクが揺れる音がかすかに聞こえてきた。
「ミルクと卵に砂糖。材料は全部入れたけど……」
「なに、安心しろ」
ナギは得意げに喉を鳴らした。
「主も理論上は可能だと頷いていたじゃないか?」
「私が心配なのはそこではないわ」
ロベリアはナギの前で屈みこみ、深緑色の目を見つめた。
「私、いやよ? アイスはできたけど、ナギに万が一のことがあったら……」
「主は心配性だな」
ところが、ナギは余裕たっぷりだった。
「万が一のことがあれば、すぐに戻ってくる」
ナギは高らかに宣言すると、ロベリアが口を挟む間もなく両翼を広げた。勢い良く羽ばたけば、風がロベリアのスカートを揺らした。ロベリアはスカートを軽く押さえると、立ち上がりながら顔をあげた。ナギはすっかり青い空高く飛翔していた。太陽の日差し受けて、赤い鱗がひときわ輝いたかと思えば、白く反射する。
ロベリアは叫ぼうとしたが、一度口を結ぶ。
そして、頬をほころばせると大きく手を振った。
「ナギ、いってらっしゃい! 無茶はしないでね!」
ロベリアの声が響き渡る。
ナギは分かったと言わんばかりに一回転すると天を目指した。何度も何度も手を振りながら見送ると、そのナギの身体は赤い点となり、やがては流れてくる白い雲に姿を隠されてしまう。悠々と雲が流れていった後、ナギの姿を探してみたが青々とした空が広がるばかりで、すっかり見えなくなってしまっていた。
「……行っちゃったか」
泣きたくなるくらい青い空を見上げ、ぽつりと言葉が零れる。
あまりにも見上げすぎたためか、首の筋が痛くなってきた。ロベリアは首筋をさすりながら肩を落とした。
「お茶を淹れて待とう」
ナギの理論が正しければ、雪山のように寒い場所から戻ってくるのだ。炎種のドラゴンで身体の体温調節には慣れていると豪語していたが、きっと凍えるほど寒かろう。こういうときこそ、身体を内側から温めてくれるお茶の出番である。
「とっておきの茶葉を使おうかしら」
一度、家に戻る。
茶葉選びには時間はかからなかった。
茶を沸かすため火を起こそうとして、そういえば戻ってくるまでに時間がかかることを思い出す。ここで湯を沸かしても、彼が戻ってきたときに冷めていたら意味がない。
「お茶用の湯は戻ってくる直前に沸かすとして、他にできることは……?」
ナギが戻ってくる前に、いろいろと準備をしておこう。
なにせ、アイスクリーム。
王族しか食べられない幻の氷菓。これが定期的に食べられることになれば、暑い夏を過ごす楽しみが一つ増えるというものだ。
諸々の準備を整えながら、ときどきそろそろだろうかと窓から顔を出し空を見上げる。
それを繰り返すこと六回あまり。
ついに、青い空に赤い点が見えた。
「ナギ!」
ロベリアは自分の顔が華やぐのが分かった。
大急ぎで火をかけると、傍に用意しておいたバスタオルをつかんで走り出した。ロベリアがテラスから外に飛び出すころには、ナギは随分と降下していた。庭の木々と同じ深緑色の瞳が元気よく輝くさまを見て胸をなでおろし、バスタオルを広げる。
「主、戻ったぞ!」
「おかえりなさい」
ロベリアはナギをバスタオルでくるむ。彼の身体は雪のように冷え切っていたが、本人に堪えるような様子は見当たらない。
「無事でよかった。具合悪いところはない?」
「俺はドラゴンだぞ。それより、こっちを確かめてくれ」
ナギは足を振った。くくりつけた紐が揺れ、がらんと茶缶が音を立てる。ロベリアは手袋をはめると、冷え切った缶を手に取った。振ってみれば、液体のぴちゃぴちゃ揺れる音は聞こえてこない。
これは、もしや……と、期待を込めて蓋を開ける。
すると、どうだろうか。ひんやりとした空気とともに薄っすら甘い香りが漂ってくる。ミルクはすっかり凝固し、いつか食べたアイスができているではないか!
「これが、アイスクリームか?」
ナギもしげしげと興味深そうにのぞき込んでくる。
「ええ! これで完成よ! 私、溶ける前に支度をしてくるから、ナギは温かいところにいてね!」
ロベリアは彼の返事を待たず、できたてほやほやのアイスが入った茶缶を日陰に置くと、部屋の中に駆け戻った。ちょうどよく湯が沸いたのか、やかんから音が鳴る。慣れた手つきで茶を淹れると、準備万端に整えてあった一式に加え、テラスに戻った。
こんなに走ったのは久しぶりだな、と頭の隅で思う。
柄にもなく、自分もアイスクリームが食べたかったのだと苦笑いをした。
「お待たせ、ナギ」
ロベリアがテラスに戻ると、ナギは日向に寝そべっていた。ロベリアが近づいてくるのが分かると、ぐいっと首を持ち上げ、のっそりと起き上がる。
「すまない。俺も手伝う」
「ナギは一番大事な仕事をしてくれたのだから、いまはゆっくり休んで。茶が蒸れるまで時間がかかるから……その前に取り分けをしましょうか」
ロベリアはビスケットを乗せた透明な皿を二つ、テーブルに並べる。
皿は昨夜から地下室に安置しておいたので、アイスほどではないが少しだけ靄がついている。せっかくの氷菓子を楽しむのに、皿が温まっていたら台無しだ。
ロベリアは大きめなスプーンでアイスをすくおうとした。だが、これが思ったより硬い。はじめてアイスを食べたときは柔らかく思ったのに……と、記憶との差異に首を傾げつつ、力を込めて取り出した。
「白い小山みたいだな」
ナギがビスケットの上に乗せたアイスを見て、ほうっと感嘆の声を零した。
「いい表現ね」
ロベリアはナギに返事をしながら、できるだけ均等になるように取り分けていく。
最初は硬く感じたものだったが、だんだんとすくいやすくなっていくのを感じた。かちんこちんだったアイスが溶け始めたともいえる。最初こそ、きっと大量にできるから夜のおやつに残しておこうと甘い考えを抱いていたが前言撤回。これはいま食べないと、アイスではなくミルクに砂糖と卵を混ぜた飲み物になってしまう。
「主! 溶け始めてるぞ!」
「これで最後よ」
ロベリアは最後の一匙をナギの更に盛りつけ、ほっと息を吐いた。
ほんとうにわずかにアイスクリームの小山の裾がじんわりと滲みだしているが、まだまだ形は保っていた。
「これが、アイスクリーム」
ナギはバスタオルを背に乗せたまま、テーブルに飛び乗った。
「俺の分が多くないか?」
「今回の功労者はあなたでしょ?」
ロベリアが微笑みかければ、ナギは目を輝かせた。
「では……~~っ!」
ナギは赤い舌をちろりと出して、おそるおそる小山をなめた——次の瞬間、彼は目を見張り、ぶるりと身悶えした。
「なんだこれは!」
ナギは幸せそうに目元を緩めた。小さく可愛らしい花をたくさん見つけたように目を輝かせる。幸せを噛みしめるように食べ始める様子を見て、ロベリアもスプーンによそると氷菓を口に含んだ。
濃厚なミルクの甘さがひんやりと口の中で溶けていく。
「あまい……!」
ほうっと左頬に手をあてながら、うっとりと呟いた。
心なしか、城で食べたときよりも幸福な味がする。材料は絶対に向こうのほうが美味しいので、できたての味だからか?と推測しながら、アイスを口に運んでいく。
「あ……」
だが悲しきかな。
溶けないうちにと急いで口に運んだものだから、あっという間に皿は空っぽ。ひんやりとした甘さの残り香を口で感じながら、もうなくなっちゃった……と、がっくり肩を落としそうになった。
「美味かったなぁ……」
ナギは恍惚とした声で呟いている。
口の周りに白いアイスの残りがついている。彼はぺろりと舌で舐めると心地よさそうに大きく翼を広げた。
「空を飛ぶだけで、こんなに美味しい思いができるなんて……知らなった。最高だ」
「気に入った?」
「もちろん! だが……」
さすがに体が冷えたのか、へくしょんっとくしゃみをする。
そういえばお茶を注いでなかったと今更ながらに思い出した。ロベリアは肩をすくめると、彼のカップに琥珀色の茶を注いだ。
「遅くなってごめんなさい」
白い湯気が立ち昇る。
ナギは「気にしてない」と首を振ると、お茶をちろちろと飲みだした。
「温かい……しまったな、主のお茶と一緒に食べれば、もっと美味しく食べられたかもしれないのに。
次はこんな失敗しない!」
「次?」
「夏は始まったばかりだぞ? 主は今回だけで終えるつもりだったのか?」
ナギはきょとんと首を傾げるので、ロベリアは慌てて否定した。
「ナギさえよければ」
「当然だ」
ふふんっと満足そうに尻尾を揺らす。
ロベリアはナギが湯気で鼻の先を濡らしながら茶を堪能する姿を見ながら、自分もお茶を飲んだ。アイスの残り香が茶の渋みとあわさり、身体の力がさらに抜けていく。
「幸せね……」
次は果物を添えようかしら?
ロベリアは噛みしめるように呟き、ゆっくりと目を閉じた。
一週間に一、二度のペースで更新していこうと思います。




