41話 冷たいお菓子の作り方
「え?」
ロベリアはきょとんとした。
ナギの発した言葉を理解するまで、瞬き二回の時間を有してしまう。それでも、完璧に彼の発言の意図が分からず、またとないほど困惑した。
「ナギが、アイスクリームを?」
「保証はできないが」
「でも、ナギは……炎種のドラゴンでしょう?」
ロベリアはけげんそうに問い返してしまった。
「炎と氷は真逆な気がするのだけど?」
「当然だな」
ナギはあっさり肯定した。
「俺が吐けるのは炎だけだ」
「そうよね」
ロベリアは頷く。
氷種だった場合は凍える息吹きで周囲の温度を下げることができたはずだし、水種のドラゴンでも水の温度を凝固ギリギリまで徹底的に下げることができれば、アイス作りに活かすことはできたかもしれない。
だが、ナギは炎種。
いくら人化できる特別なドラゴンとはいえ、炎以外のものを吐くことはできない。火を扱うことにかけては右に出るものはいないが、真逆の性質に関することを無理やり求めたわけではない。ただ欲望を正直に口にしただけなのである。ナギに負担をかけるわけにはいかない。
そう話せば、ナギはくすくすと笑った。
「俺はそこまで頭の良い方ではないが、無理な話ではないさ。むしろ、ドラゴンなら誰でも……いや、誰でもというのは言い過ぎか?」
「つまり何をしようとしてるの?」
「飛ぶことさ」
ナギは自慢するように翼を開いた。ばさりと開かれた翼を見ても、ロベリアにはピンとこない。
「なぜ、飛ぶことがアイス作りに繋がるのかしら?」
「主は空を飛んだことあるか?」
「一度だけね」
ロベリアはお茶を一口に含み、当時のことを思い出す。
「秘書官時代は馬車や船の移動が多かったのだけど、帝国の緊急会議に召集されたときに」
大臣は不満たらたらだった。
せっかくレベッカに癒されていたというのに、王の使者に尻を叩かれ煽てられ、緊急会議に出席する運びになったのである。当然、秘書官も同行した。大臣自体は出席するだけで何も語らず、発言を求められたとしても、ロベリアが素早く後ろから差し出したカンニングペーパーを読みながら答えていた。
まあ、それはどうでもいい。
問題は会議までの日時が足りなすぎるというところだった。
「早馬を飛ばしても10日以上かかる距離なのに、3日後に開催されるというのよ?
しかたないから、国王陛下が特別にドラグーンの使用を許可してくださったの」
騎乗用の服に袖を通し、ドラグーンの女性騎士と相乗りした。ドラゴンの手綱を引いた女騎士の腕の内に包まるように乗ったので、ちょっとだけ気恥ずかしい思いをしたが、空から地上を見下ろすのは怖い。緊張もあいまって目をつぶった瞬間、日ごろも疲れもあったのか目的地まで熟睡してしまったのである。
「む、一度あったのか」
ロベリアが説明すると、ナギは口を尖らせた。
「他のドラゴンが主を乗せたなんて……」
「必要に迫られてよ。感想を求められても熟睡してたから何も……ん? 待って、ナギは私を乗せて飛ぶつもりだったの?」
「……まあ、いつかは」
ナギは目をそらすと、照れ隠しするように前足で頬のあたりを掻いた。
「とはいえ、覚えていないなら説明するしかないな。
空は意外と寒い。高度を上げれば上げるほど寒くなるのだ」
「太陽が近くなるのに?」
「風が異様に冷たいんだ。それこそ、羽が凍りつくほどに」
「待って。私は寒くなかったわよ?」
ロベリアはドラグーンに騎乗したことを思い出す。
羽が凍るほど寒いのであれば、とてもではないが眠っている場合ではなかったはずである。しかし、ロベリアが問い返す前に、ナギが語りだした。
「ドラグーンの事情は分からない。騎士側に対策があるのか、ドラゴン側が何かするのか。
正直、俺の飛び方は独学だから。とにかく、この時期でも空は寒い。俺の鱗なら耐えることができるが、人間の柔肌なら簡単に凍傷になること間違いなしだ」
「……いろいろと聞きたいところはあるけど……空が寒いからアイスが作れるということ?」
ロベリアはカップを置くと、指を口元に添えて考え込んだ。
「凍えるほどの寒さであれば、アイスを作る環境は整っているわ。そこで材料をかき混ぜ……いえ、そんなことしなくても飛んでいるだけで大丈夫ってこと?」
ロベリアは酒にまつわる御伽噺を思い出す。
とある名家の男性が妹の結婚祝いに泡の出るワインを入手。結婚式に間に合うように、早馬を飛ばした。ちょうど着いた時には結婚式の真っ最中。男性が妹にワインを渡し、彼女がコルクを開けようと回した瞬間、コルクが矢のごとき勢いで外れ、新郎の頭に直撃。新婦は泡を一身に浴びる羽目に。
新郎は気絶、新婦の化粧が崩れ、珍しいワインも半分以上泡になって消える始末。
泡のワインに限らず、泡が出る液体は振れば振るほど液体が泡に変わってしまうのである。
理由は世界中の学者たちが躍起になって調べているが、いまだ解明されていない。
だから、泡のワインを扱う際には絶対に揺らしては駄目。運搬の際も馬を走らすことなく、牛のような速度で運ばないといけないという教訓話なのであった。
「馬を走らせて中身を揺らすように、ナギにアイスクリームの材料が詰まった缶をくくりつけて空を飛んでもらうことができれば……」
「氷のような寒さのなか缶を揺らすことができる。どうだ、我ながらに名案だろ?」
「一理あるわ」
材料は簡単だ。
魔山羊のアリエスの乳に鶏の卵。砂糖も在庫があるし、空いた茶缶を洗ってすぐに中身が飛び出ないように工夫して結べば問題なさそうだ。万が一、落下してしまったら元も子もないが、そのときは天命だとあきらめる他あるまい。
ただし、これには問題があった。
「でも、ナギは平気なの?」
ロベリアは彼の深緑色の瞳を見据えた。
「これをするには長時間の飛行が求められるわ。それも、一定以上の高さでないと意味がないのでしょう?」
少なくとも、城の六、七階程度の高さくらいで「寒い」と感じたことはない。
ナギが語る凍えるほどの寒さを感じる高度は城程度を遥かに超す場所にある。もしかしたら、そこらの山より高い位置なのかもしれない。
「少なく見積もっても20分から30分。ずっと飛び続けないといけないのよ? いくら鱗が丈夫でも限度があるわ」
「主、見縊ってもらっては困る」
ナギは鼻を鳴らした。
「俺は炎種だ。体温の調節くらい軽々できる。いざとなったら、炎で身体だけ温めればいい。
それに、俺は本来ドラグーンになる予定だったドラゴンだぞ? 他のドラゴンができて、俺ができないはずがない」
彼は自分を鼓舞するように宣言する。
だからこそ、ロベリアは余計に不安になってしまった。ナギはできると言っているが、素質があっても訓練の有無が生死を分けるともいう。戦闘訓練を毎日受けているドラグーンのドラゴンと正規の訓練を受けていないドラゴンでは、どちらが安全に任務を遂行できるかは一目瞭然だ。最悪、命を落としかねない。
「私、ナギに死んでほしくないわ」
「俺も死んでたまるか。『死因:アイスクリームを作ろうとして力尽きる』だなんて、笑い話にもほどがある」
ナギは冗談っぽく言ったが、ロベリアは笑えなかった。
あとで思い返せば、ナギ自身が呟いた珍しい冗談だったわけだが、そんなこと気にならないほど事態を重く受け止めていたのである。
「俺だって死の危険を冒して作る馬鹿な真似はしないさ。主を残して死ねないしな」
「つまり、勝算はあるってことなのね?」
「40分くらいならいけそうだ。それ以上は難しいが……」
ナギは言葉を区切る。何か悩むように喉を鳴らしていたが、やがて、囁くように小さな言葉を呟いた。
「俺も、食べてみたい」
注意しないと聞き逃してしまいそうな言葉だったが、夜の静寂に包まれた部屋の中ではハッキリと耳を貫いた。
甘いもの好きのナギの前で、この世の粋を極めた甘い菓子の話をすれば、彼も食べたいと思うのが必定。それが自分の手で作れるかもしれないとなれば、欲求が増すのも自然な話だ。ロベリアは氷のように張り詰めていた表情が解け、和らいでいくのを感じた。
「でも、無茶は駄目。絶対に帰ってくると約束して」
「もちろんだ!」
ナギはぴんっと尻尾を立てる。
「それに、いつか主を乗せて飛びたいんだ」
「私を?」
そういえば、さっき言っていたな……と思い返していれば、ナギはまっすぐ見つめ返してきた。
「空から地表を見たことがないなら尚更だ。いや、地表から離れ大空に昇った瞬間、あそこから見える光景は……美しい」
それは、以前の自分が見ることができなかった景色。
たとえ、見たところで緊張で色あせていたかもしれない風景。
「きっと、主と一緒に見たら一際輝くと思うんだ」
「屋根や城の天文台から見る景色とも違うのね?」
「城は分からないが、絶対に違う」
ナギが断言するので、ロベリアは目じりを和らげた。
あのときは、ドラゴンに乗って空を飛んでもなんとも思わなかった。
むしろ、自分の足が地を離れるなんて恐怖以外の何物でもない。だけど、ナギとなら安心して空の旅をすることができるかもしれない。
そう思うと、これまでなかった欲求が胸の奥からこみあげてきた。
「それじゃあ、ナギ。今度の天気が良い日にやりましょう」
「その言葉、覚えたぞ!」
ナギは嬉しそうに吠える。ロベリアが言った以上に喜びを感じているのか、とがった耳がぱたぱたと動いた。
「でも、危険なことをしないでね」
ロベリアはナギに手をかざす。
すると、ナギの方から頭を差し出してきた。硬い鱗をなでながら、わずか数か月前より遥かにたくましくなった成長に微笑ましく思う。
その一方で、小匙一杯ほどの郷愁も感じるのだった。
次回は4月28日に投稿します。
(申し訳ありません。都合により29日に延期します)




