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4話 なまえ


 ロベリアは固まった。

 ルージュが派手なピンクの衣装に身を包み、晴れやかすぎる笑顔で玄関ホールに飛び込んできたのである。


「ルージュ様! お帰りなさいませ!」

「妊娠おめでとうございますわ!」

「ルージュ様が王子と婚約なさるなんて!!」


 使用人たちがルージュを取り囲み、煌びやかな声を上げている。

 ルージュはその中心で困ったように目じりを緩めながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。


「え!? もう知っているの? 私、びっくり!

 うふふ、みんなありがとうー!」


 ルージュは幸せ絶頂という様子だった。

 ロベリアは彼女に気が付かれないよう、こっそり玄関ホールを横切るつもりだったが、悲しきかな。ルージュに見つかってしまう。


「お姉さま! こちらに帰っていらしたのね!」


 ルージュはレースで縁取られたスカートの裾を持ち上げると、軽快な足取りで近寄って来た。


「エリックとのね、婚約披露パーティーが行われるの。お姉さまにもぜひ来てほしいわ」


 ルージュの真っ赤な唇が弧を描く。

 ロベリアの唇はひくひく動いた。思わず『一方的に婚約破棄されたのに、どうして祝いの席に行けるものですか!』と叱咤しそうになったが、なんとか抑え込み、引きつった笑顔を向けた。


「そう、おめでとうございます。婚約披露のパーティーが開けるということは、国王陛下の許可がもらえたのですね」

「んー、エリックと私が主催するパーティーなの。王さまを驚かせようと思って」

「……なるほど。サプライズですか。首尾良く進めばよいですね。私、応援していますわ!」


 ロベリアは物分かりが良いように頷いて見せた。


 どうやら、王の許可は下りていないらしい。

 もし、王が認可していれば『王さまも喜んでくれたのよ! 私の妊娠も祝福してくれるって!』と満面の笑みで自慢してくるはずだ。それがないということは、まだ王が婚約破棄の件を知っていないか、反対しているかのどちらかだ。


 おそらく、反対している方に三千点。

 だが、いまさら国王から『婚約破棄を取りやめてくれ』と言われても、ロベリアは首を縦に振るつもりは毛頭ない。

 これ以上、他の人たちの都合で振り回されるのはこりごりだ。


 これからは、ベガから譲り受けた庭で悠々自適な生活を送るのである!!


「では、私はこれで。ちょっと、そこまでお出かけするつもりですので」

「おでかけー? ふーん……あれ、そのドラゴン……?」


 ここで、ルージュの目線が落ちた。

 ドラゴンはロベリアの足の後ろに半分隠れ、不安そうな顔をしている。ルージュはドラゴンを一瞥すると、憐れむような声で尋ねてきた。


「お姉さま、なにそのドラゴン。超弱そう。もっと良いドラゴン、買えなかったのー?」


 ルージュはあからさまに馬鹿にしている。その表情を見て、ロベリアは少し安堵してしまった。だが、その表情を表に出すわけにはいかない。


「拾いましたの」

「えー、信じられない! ドラゴンってカッコよいのが売りでしょ? ぼろぼろで死にそうじゃん。お姉さまらしいといえばらしいけど、あまりにも酷すぎない? 私ならいらないわー」


 ルージュのあまりにもひどい言い草に、ロベリアは眉間に皺を寄せる。指摘の言葉が喉元までこみ上げてきたが、ぐっと堪える。ルージュの前で下手にドラゴンを大切にしてみせたが最後、『じゃあ、あたしが貰ってあげる!』とか言い出しかねない。


 これ以上、ルージュに盗られてなるものか。


「ああ、ルージュ! 帰ってきたのか!」

「お帰りなさい、私たちの宝石!」


 ロベリアがルージュへ言い返す前に、両親が満面の笑みで駆けてくる。ルージュの気が逸れた隙に、ロベリアはドラゴンを抱き上げると、足早に大扉をくぐり抜けた。ロベリアは駆け足で門を抜けると、人通りの少ない針葉樹の森へ歩みを進めた。


「この辺りで良いかしら」


 ロベリアは人の気配がないことを確認すると、鞄をいったん地面に置き、ポケットから例の鍵を取り出した。

 この鍵を使うのは、実に数年ぶりだ。

 ロベリアは神経を集中させると、手を前に突き出し、鍵を宙に差し込んだ。


 すると、何もない場所に古びた扉が出現した。


「……!!」


 腕の内側から、ドラゴンの驚く気配が伝わってくる。


「大丈夫。さあ、行きましょう」


 ロベリアは真鍮の取っ手を握ると、一思いに開いた。

 この森とは異なる懐かしい新緑の香りと土壌の臭いが漂ってきた。鬱蒼と生い茂る樫の木が揺れ、小川のせせらぎが聞こえてきた。ロベリアは旅行鞄を握り直すと、扉の内側へ足を踏み入れる。かしゃりと乾いた音が足元から聞こえてくる。目線を落とせば、庭側には一面に落ち葉が敷き詰められていた。足を上げると、樫の実が割れている。

 ロベリアは小さく笑った。


「私、戻って来たのね」


 ロベリアは口の中で呟くと、一旦後ろを振り返った。

 開け放たれた扉の向こうには、先ほどまでいた森が広がっていた。あちらには樫の実はもちろん、落ち葉はない。鋭い針葉樹が揺れると、本邸の青い屋根少しだけ見え隠れしている。


 もう、あの場所に戻るつもりはない。

 ロベリアは自宅だった場所を目に焼き付けると、ゆっくりと扉を閉めた。がちゃんっと扉を閉れば、最初のように古びた扉は薄らぎ、空気に溶け込むように消えていった。瞬きをすれば、扉の名残は完全に消え失せ、樫の木の森が広がっている。


「空間移動の魔法を使ったのか?」


 ドラゴンが呟いた。

 ロベリアは彼を下ろしながら、問いに応えることにする。


「この鍵が魔法道具なのでしょう。私は魔法を使えませんので」


 とはいえ、魔力はある。

 両親が「貴族の令嬢には不要だから」と魔法を習わせてくれなかったが、いまはその柵からも解放されている。大好きな庭で暮らしながら、魔法を学ぶのも良いかもしれない。


 そんなことを考えていると、ドラゴンが消えそうな声で囁きかけてきた。


「……本当に俺で良かったのか?」


 ドラゴンの深緑色の瞳は潤んでいる。

 ロベリアは小さく息を吐くと、ドラゴンの目の高さまで屈みこんだ。


「貴方を一目見て気に入ったから、引き取ったのです。

 天寿を全うするまで、一緒に暮らしましょう。あ、もちろん、貴方が良ければですけど」


 ロベリアの口元は自然と綻んでいた。


「そう言えば、貴方の名前を聞いていませんでしたね。教えてくれますか?」

「…………前の主は、(スクラップ)と」

「それはあんまりですね。私が決めても良くって?」


 ロベリアが尋ねると、ドラゴンはさして悩むことなく頷いた。深緑色の瞳はこちらの判断を静かに待っている。ロベリアは緑の瞳を見返すと、胸の内に浮かんだ名前を口にした。


「『ナギ』はどうです?

 西大陸の方では、災厄を避ける植物として知られているようです」


 このドラゴンは、ロベリアが想像する以上に辛い思いを受けてきたに違いない。

 だからこれ以上、せめて自分と暮らしている間は、災難とは無縁の生活を送らせてあげたい。そんな気持ちを込めての命名だった。

 ロベリアは少し駆けだすと、ナギの木に誘った。


「ほら、ここにある木です。ベガが……ここの前の主人が、やっとの思いで手に入れた株でして……ほら、この葉の色と貴方の目の色が同じでしょう?」


 自分の腰の位置ほどの高さの木の枝に触れると、楕円状の緑の葉っぱを揺らした。


「俺は、草と同じか」

「ナギは木です。低木です。草ではありません……って、あ、嫌でしたか? 嫌なら別の名前を考えます」

「いや、それで良い。その名前が良い」


 ドラゴンは息を零すように笑った。

 泣き出しそうだった目が和らぎ、心地よさそうに緩んでいる。やっと笑ってくれた、とロベリアは彼の頭を撫でた。すると、ドラゴン改めナギがおずおずと尋ねてくる。


「貴方のことは何と呼べばよい?」

「何でも良いですよ。

 そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はロベリア・クロックフォード。年齢は17歳。伯爵家の娘ですが、色々ありまして、今日から家を捨て、ここで心機一転新たな生活をすることにしました」


 ロベリアが胸に手を当てながら説明すると、ナギは少し不思議そうに頭を傾けた後、恥ずかしそうに視線を逸らし、消えそうなほど小さな声で呟いた。


(マスター)、と呼んでも良いか?」

「もちろん! ですが、もっと砕けて呼んでも良いですよ」

「いや、(マスター)と呼ばせてくれ」

「……分かりました。よろしくお願いしますね、ナギ」

「ああ、主!」


 ロベリアが笑いかければ、ナギは元気よく鳴いた。

 静かな風が金色の髪を浚い、木漏れ日がロベリアたちを照らす。ひややかな風のなかに土の香りを感じながら、ロベリアは小川の方へ歩き出した。


「今度こそ、行きましょう」



 これから始まる、新たな生活を思いながら。







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[一言] 主人公さん言葉が足りんよ君(・ω・)
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