39話 同居人
昨日は更新できず、申し訳ありませんでした。
以後、気を付けます。
「そういえば、ロベリアさんに好きなものはありますか?」
ロベリアがベリーを鍋に入れていると、ジェイドが話しかけてきた。
アーロンを見送った後、ロベリアたちはジャムを作っている。マーマレイドなんかは煮ればすぐできるが、ベリー系は砂糖をいれないと作れない。貴重な砂糖をやたらめったら使いたくはないが、甘いジャムは生活の必需品だ。
少なくとも、ロベリアは朝食のトーストにはバターとジャムだと決めていた。
「お茶が好きよ」
特に考えることなく答えたが、彼の求めたものとは違ったらしい。
うーんと言葉を探していれば、フローライトが切り込んできた。
「お茶以外で何かない? 私たち、お礼をしたいの」
「は、はい。僕たち、いつも迷惑かけてばかりで……」
「あら、迷惑なんかじゃないわ」
ロベリアは軽く手を振った。
「気にしてないけど、そうね……」
ロベリアは少し口元に指を添えて考え込む。
二人の善意は嬉しいのだが、これが原因で事件に巻き込んでしまったり巻き込まれてしまったりしたくはない。降り注いだ火の粉を払うことはできるが、率先して被りたいものではないのだ。
かといって、ここでいらないと答えても、二人はいろいろ思案を巡らせ、感謝のしるしを表明しそうな気もする。
二人にできる範囲のこと。
それも、問題にならない程度の簡単なこと。
家に飾る花だと答えるのが無難かもしれないが、下手に遠くに出かけて事故にあっても困る。それから正直なところ、この庭で欲しい花はそろうし、必要な花は自分で育てて飾りたい。色合いとか雰囲気とか全体を考慮して飾りたいものである。
ロベリアは心の内でうなりながら鍋をかき混ぜる。
さきほどまで砂糖の白い塊が目立っていたのだが、いつのまにか紺色に染まって見えにくくなっていた。ここで一旦、混ぜる手を止めて火をかける。濃紫色の大粒の実を見下ろしながら、そうだと手を打った。
「果物かしら」
「果物?」
そんなもの?と二人は首を傾げる。
「果物は全般的に好きよ。もう少しすればブドウがなるはずだし、プルーンも好き。とくに、ブドウは庭では採れないから少し残念なの」
「ブドウなら村に農園があるんです!」
ジェイドは妹と嬉しそうに顔を見合わせた。
「ブドウの季節になったら持ってきますね!」
「ありがとう。でも、ちゃんと断りを入れて持ってきてね。泥棒になるのはだめだし、かといって、たくさん買いすぎても駄目よ」
ロベリアはありえそうな未来を一つずつ潰していく。
この二人が犯罪まがいのことに手を染めるわけがないと思うが、念のためである。
「どうして? たくさんあるといいんじゃないの?」
「せっかくもらったのに、全部食べる前に腐ったらもったいないでしょう?」
そう言えば、二人ともなるほどと頷いていた。
どうやら、納得してもらえたらしい。ロベリアは鍋の火がくつくつ煮える様子を確認していると、視界の端でナギが何か言いたそうな顔をしていることに気づいた。
「ナギ、どうしたの?」
「……なんでもない」
彼はふいっと顔をそらし、ソファーの上で丸まってしまう。
いつもの彼らしくない。どこか拗ねているようにも見える。
それほどまでに、アーロンの来訪が気に入らなかったのだろうか? それは、ロベリアとしてもあの男は気に入らない。出禁にしても良いレベルである。
ただ、王都の最新情報を仕入れるためには、あの男の存在が必要不可欠になってくるのであった。本当はレベッカあたりと連絡がとれるのが好ましいが、遠く離れた王都の知人と通じるのは難しく、レベッカが魅了にかかってしまう恐れもある。
もちろん、アーロンにも同じことがいえるが。
「ナギ、ごめんなさい」
太陽が傾き始めたので、ロベリアは兄妹に出来たてのジャムを持たせて帰らせる。
冬に比べ、日照時間が増えたとはいえ、夕方までには村に着くように配慮したい。ロベリアはまだ温かいベリーのジャムを瓶に詰め終えると、ナギのところに戻った。
ナギは何も答えない。
ソファーに座り込んだまま目を閉じている。寝ているのだろうかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「ナギ?」
「別に、俺は気にしてないさ」
ナギは目を固く閉じたまま呟いた。
「ここは主の庭だ。主が好きにすればいい」
「私とナギの庭よ」
ロベリアは屈みこみながら言い直した。
ナギの感情を無理やりぬぐい取ったような声は耳にするだけで心が痛む。そんな声を出させたかったわけではないのに、とロベリアは激しく後悔した。
「だって、ナギは私の——」
「同居人だろ?」
ロベリアが言い切る前に、ナギは答えた。
「同居人なら一言、事前に教えてほしかった」
「それは、本当にごめんなさい」
「謝っても許されないぞ」
ここで初めて、ナギが目を開けた。
ロベリアは雷で撃たれたような衝撃を受けた。てっきり、深緑色の目が怒りで縁取られているのだと思ったのだが、いまにも泣き出しそうなほど潤んでいる。
「ナギ……?」
「主は何もかも自分で決めすぎだ。いや、自分で背負い込みすぎなんだ」
ナギはロベリアに向き合うと鼻声で問いただしてきた。
これまでも、ナギから「風呂は一人で入れる」とか「夜に屋根を登るな」とか叱責を受けたことがあるし、どれも真摯な訴えだったが、涙を流しながら指摘されたことはなかった。
ロベリアが愕然としている間にも、彼は言葉を紡いだ。
「主がアーロンを呼んだのは理解できる。俺も魅了の秘密が知りたいからな。
だが、俺は同居人なのだろう? 互いに支えあうものじゃないのか?」
ロベリアは何も言えなくなってしまった。
ロベリアにとって、ナギはかけがえのない同居人だから巻き込みたくないと思っていた。
それに、いままで自分の問題は自分で解決しようと努力してきた。自分のせいで誰かを巻き込むのは良い思いがしないし、世界で一番大事な同居人ならなおのこと。
そう思っていたのに、どうして彼を泣かせてしまっているのだろう?
「ごめんなさい……」
ロベリアの口から言葉が零れた。
ナギが静かに涙を流す姿を見ていると、ロベリアの胸は引き裂かれる。
「次から絶対に相談するから」
自分の言葉が震えている。
深い悔恨が胸の内で渦巻く。けっして、ナギを困らせたかったわけでも悲しませたかったわけでもないのだ。ナギを巻き込みたくなかったから話さなかっただけなのだ。
「……他に隠していることはないか?」
「……実はね、王都の様子を知ろうとしているの」
これ以上、嘘をつきたくない。
たった半日前考えていたことを撤回し、ロベリアは重い口を開いた。
「王都の様子を知っておくことで、今後の対策を練りやすいと思ったから。……あ」
いつものように、ナギの頭をなでながら話そうと思ったが、額に触れる直前で手が止まる。ナギが苦しんでいるというのに、苦しませている本人が触れても良いはずもないのだ。
「主」
しかし、ナギの方から頭を差し出してきた。中途半端に差し出した掌にじんわりと温かいナギの鱗が当たる。
「教えてくれてありがとう。その、俺も意地悪が過ぎた。そんな顔をさせたくなかったんだ」
彼は困ったように笑っていた。
「次から教えてくれると嬉しい。同居人というか、俺にとって初めての家族だから」
「家族?」
「違うか?」
つい呆けたような言葉を返してしまう。
問い返されて、ロベリアはふるふると子どものように頭を振った。ナギはそれを確認すると体を震わせ、一気に身長を伸ばした。ナギの頭に添えていた手は退けられ、代わりにロベリアの頭の上にぽんっと武骨な手が乗せられる。
「……よかった。俺だけ家族だと思ってたらどうしようと悩んでいたんだ」
頭をなでられる。
ぽかぽかと冷え切っていた心が温かくなるような感覚に、そっと視線だけ上げてみる。ナギは微笑んでいた。寂しげな色が浮かんでいた瞳は緩やかに細められ、硬かった口元は綻んでいる。まるで、太陽のように朗らかな表情だった。彼の笑顔を見上げていると、張り詰められた心の緊張や悔恨が溶け出し、だんだんと表情が緩んでしまうのを感じ取る。
「私……」
「主、あと一つ教えてほしい」
ナギは短く言うと頭に置いていた手を退けた。ロベリアは一瞬、はしたないことに物足りないと思ってしまった。そのことを悔いる前に、ナギの手がロベリアの右手に添えられた。
「主の好きなものは?」
「え……?」
「さっき、ヴィーグル兄妹には誤魔化しただろう? ちなみに、俺の好きなものは——」
「甘いベリー系」
ロベリアはナギの手を握る。
「ベリーでなくても、甘いもの全般が好きでしょう?」
本人は主張しないが、甘いものを食べているときのナギは実に可愛らしい。
反対に、同じベリーでも真っ赤なクランベリーは駄目だ。最初は目を輝かせていたが口に放り込んだ瞬間、顔を引きつらせていたのはよく覚えている。
「正解だ。さすが、俺の主」
ナギは誇らしげに喉を鳴らすとロベリアの腕を引き上げる。
「あとは、主の淹れるお茶が好きだな」
「……知ってるわ。いつも喜んでくれてありがとう」
「さて、次は主の番だ。主はお茶以外に何が好きなんだ?」
ナギは問いかけてきた。
先ほどみたいに辛そうな色は毛頭なく、心底楽しそうに。ただ、言葉にしてから何か思うところがあったのだろうか。ちょっとだけ鼻のあたりを赤らめ、ぷいっと顔をそらされてしまった。
「主も甘いものが好きだと知ってる。スコーンとか焼き菓子系も好きだって。
だが、一番好きな甘いものは知らないと思ってな。そのくらい知っておきたい、その、家族だから」
「……そうね、家族だものね」
ロベリアは心が少し軽くなったことを感じながら、ナギの問いに悩むことなく答えた。
「私が好きなものはね——」
次回更新は4月24日を予定しています。




