38話 ベリーの季節
夏の足音が近づいてきた。
庭の色彩がナギの瞳と同じ色に染まり、日差しが一段と眩しい。
「さてと、あと少し」
ロベリアは太陽を背で感じながら、ぐうっと伸びをした。
いましていることは、ブルーベリーの収穫作業。庭の奥に低木の林があった。ちょうど旬を迎え、丸々とした実が鈴なりについている。ちょっと指で触れるだけで、ぽろりと手元のかごに落ちてくれるので、とても簡単な作業なのだが、なにぶん低木の数が多い。
小部屋がすっぽり入るくらいの広さの敷地に、ブルーベリーの低木が長く三筋ほど連なっている。まるで、ちょっとした農園くらいの規模はあった。子どもの頃のように背伸びしながら採る必要はなくなったが、今度は腰を少し屈めないといけない。
収穫は楽しく心躍るが、ずっと背を丸めて作業するのはけっこう辛いものだった。
「主……」
ロベリアが収穫していると、ナギが不満そうな声を出した。
作業中、ナギはロベリアから一切離れない。ドラゴンの状態のまま、ぴったりと足元についてくる。
「どうしたの? 暑い?」
ロベリアは爽やかな風を感じながら言葉を返す。
西大陸の夏は肌にまとわりつくようなうだるような暑さだと聞くが、こちらは日差しこそ強いが空気は澄んでいた。こうして日差しのもと作業をしていても、汗が滝のように流れ落ちることはない。
それでも、暑いことは暑い。
帽子を被り、適度に水を飲みながら作業をしている。
「暑さは感じない。俺は炎種だし、暑さには慣れている。だが……」
「無理は禁物よ? そこのテーブルに水を用意してあるから、喉が渇く前に飲んでね」
「それも分かってる!」
ナギは怒ったように言い返す。
ロベリアははぐらかしてきたが、彼が何を言いたいのか分かっている。一度、ブルーベリーを採る手を止めると、小さく肩を落とした。
「ナギ、この量でしょ? 私たちだけでは採りきれないわ」
ロベリアは囁くように言うと、反対側の列に視線を向けた。
ジェイドとフローライトのヴィーグル兄妹がきゃっきゃとブルーベリーを収穫している。兄のジェイドには低木はちょうど良い高さだったが、フローライトの方は時折、背伸びをしながら採っていた。むむむと口を結びながら背一杯つま先立ちをする姿は初々しく、昔の自分を見ているようである。
「あの兄妹はいい。俺が言いたいのは、そこの魔法使いだ!」
ナギは鋭く目を細めると、わずかに声を荒げた。
ナギの静かな怒りを向けられた魔法使いは、ちょうど反対側で採取していた。アーロン・スコーピウスは普段着ている黒いローブを脱ぎ、それこそ真夏の太陽のように輝くばかりの笑顔をうかべていた。
「大丈夫よ。あの人の杖は私が預かってるし、誓約でナギたちに手出しはしてこないもの」
「主が危険だろう!?」
「危険とは失礼な!」
これに反応したのは、アーロン本人だった。
「僕は女性に手をあげるような魔法使いではありません!」
「思いっきり、主を殺そうとしていたことは忘れていないからな!」
「あれは、魅了のせいです。僕個人として淑女や年端もいかぬ子どもを傷つけることは、女神に誓ってありえません」
アーロンが反論すると、ナギは歯を食いしばる。ふすふすと歯の隙間から煙が上がっていることから察するに、ナギはよほどの怒りを貯め込んでいるのが分かった。ロベリアは急いで屈みこむと、ナギに耳打ちをする。
「私だって、あの人を信頼したわけではないし、ナギを傷つけたことは絶対に許していないわ」
ロベリアは今なお込み上げてくる怒りを口に出さないように、唇を真一文字に結ぶ。
ナギの怪我は大方回復したが、右目から頬にかけての傷だけが残っていた。よほど深く切り込まれたらしく、全回復の見込みは薄そうだ。その傷をみるだけで、ロベリアの心に太い針が数本刺さる。
あの男は、絶対に許せない。
きっと、何十年経っても。
しかし、ロベリアは怒りを飲み込み、淡々とした声色で話しを再開した。
「でも、むげに追い返すわけにもいかないわ。ルージュの魅了も解けたみたいだし」
「しかしだな……!」
「それに、一人でも信用できる人手が欲しいもの」
ロベリアは嘆息交じりの言葉を紡ぐ。
夏が到来し、庭の仕事が増えた。
よけいな草をとり、野菜や庭の草木につく虫との戦いが始まるからだ。ベガは呼吸をするように、流れるような速度で処理していたのだが、ロベリア個人はベガの技量に到底及ばない。庭師一年目のロベリアと庭師素人のナギにとって、千の大軍勢に二人で挑むようなもの。
ドラゴンの手を借りたい状況なのであった。いや、実際にドラゴンの手は借りているのだが。
「ヴィーグル兄妹に協力を頼んだのは理解できる。主の案に異議はない」
ナギはくぐもった声で返してきた。
「年の割にはしっかりしている。とくに、フローライトは王都の異常性を強く感じたらしいからな。二人とも主を売るような真似はしないさ」
「その子たちが連れてきたのよ?」
アーロンは、ジェイドとフローライトが連れてきたのである。
「あの人がフローライトの『ロベリア発言』をもみけしに奔走したみたいだし、結果として、フローライトに合格通知が届いたわ。見たでしょう?」
「それは、そうだが」
「それに……私もルージュの魅了の秘密を解きたいから」
ナギにしか聞こえないほど声を潜めて呟く。
ルージュが謎の魅了を使っている以上、今後なにかしらの対策をしなければ、第二のアーロンが攻めてこないとも限らない。アーロンのような人物なら簡単に追い返せるし、魅了を解くこともできるだろうが、圧倒的な武力や大図書館並みの知識の持ち主が大挙してきたときには、完全にお手上げた。
そうなる前にも、魅了の正体くらい解明しておきたい。
しかしながら、ロベリアには魔法の知識は薄く、フローライトも勉強中。ともなれば、不本意ながらアーロンの知識にたよるしかない。
そこには、ナギも同意見らしい。うぐぐ、とうなりながらも反論することなく、ロベリアの影に隠れるように身体を丸めた。
「ロベリアさん!」
こそこそ話していると、ジェイドとフローライトが駆けてきた。
「見て! こんなに採れたよ!」
「ど、どうですか?」
二人は無邪気な笑顔でかごを見せてくる。
青黒とした美味しそうなブルーベリーが二人のかご一杯に詰まっていた。
「すごい! たくさん採れたわね!」
「えへへ」
「こ、これ、どうしますか?」
フローライトが照れる傍ら、ジェイドはほんわかした笑顔で問いかけてくる。
ロベリアは空を見上げた。すかっとした青空に雲はなく、太陽は真上で輝いている。
「午後、ジャムでも作りましょう。でも、まずはとりあえず、お昼にしますか」
「やったー! ロベリアさんのサンドイッチ、美味しいんだよね!」
「僕、お茶も好きです」
フローライトがぴょんぴょん跳ねながらかごを持ってテラスへ走って行った。兄は妹の背中を転びそうになりながら追いかける。
「あなたもどうぞ」
「すみません。では、ありがたく頂戴します」
ロベリアはアーロンを先に行かせると、数歩後ろを監視するように続いた。
足元のナギが神経を張り巡らせているのが、ひしひしと伝わってくる……が、
「……」
お昼になって、状況は少し好転した。
心の不安を落ち着ける茶を淹れたことも要因の一つかもしれない。ロベリアもわざとリラックスした様子を見せると、ナギの緊張は少し和らいだ。
「ロベリアさん! これ、食べて良い?」
「食べていけないものは出さないわ」
不届き者以外は、と心で付け足すと、フローライトはサンドイッチをぱくりと食べる。ジェイドもおそるおそる手を伸ばし、はむはむとリスのように頬を丸めながら食べた。
「これは美味い」
アーロンはロベリアの淹れた茶を飲むと、目を見開いた。
「花のような可憐な香り、まろやかで仄かな甘み……素晴らしい。どこかで修行なされたのですか?」
「いえ、独学ですわ」
なるほど、とアーロンはまじまじと鮮やかな赤い水色の茶を観察している。
ナギは彼の反応を見て、ふんっと鼻を鳴らした。
「主のお茶は美味い。当然のことだ」
「ナギ、ありがとう」
ロベリアはナギの頭をなでる。
依然としてむすっとした顔をしているが、床にたれた尻尾は心地よさそうに揺れていた。ロベリアがナギの分だけ摘みたてのブルーベリーをボウルに入れると、ナギは憮然とした顔のまま食べ始める。
「どう、ナギ?」
「……悪くない」
ナギは薄らと口元を青く染めながら答えた。
警戒するように耳が立っていたが、いつかのイチゴの時同様、わずかに目尻を緩めて食べていた。
ナギは意外と甘いものが好きだ。
あの低木がブルーベリーで良かったと心底思う。口が曲がるほど酸っぱいクランベリーだったら、ロベリアはもちろん、ナギも食べるのに苦労したに違いないし、気が遠くなる思いで消費したに違いない。
ロベリアは視線の端でナギの薄ら幸せそうな顔を映しながら、自分の淹れたお茶を一口飲む。ブルーベリーの甘さとお茶の仄かな渋みがあわさり、ほっと息をつく。
心を落ち着かせると、ポケットから二つに折り畳んだ紙を取り出した。
そのままナギたちが見ていない隙を見計らって、アーロンに紙を机を滑らせるように渡した。
「ん、これは……?」
「実はこれ、西大陸で有名な茶葉を使っているんです。本当、こちらの大陸でも素敵な茶葉が生産されると良いのですけど」
ロベリアはまったく関係ないことを口にすれば、アーロンも理解したらしく、受け取ったばかりの紙をポケットに入れた。
「なるほど……王都でも探して来ますね」
「いいんですか? お願いします」
ロベリアは頬を緩めると、もう一度お茶を口に含む。
ロベリア自身の葛藤を抑え、彼を招き入れた理由は二つ。
ひとつ目は、ルージュの魅了の正体を探ること。
もうひとつは、王都での情勢を探ることだった。
ナギには、彼の手を借りないといけないと言ったが、正直なところ上は自分でも探ること自体はできる。ベガが残してくれた図書には、魔法や魔物に関する書籍が数多存在してたのだから。
しかし、王都での情勢は別だ。
ルージュが本拠地を置く都。
彼女は王子の妻となり、未来の王妃になることを望んでいる。そのようなことを国王陛下が許すわけないと理解しているが、どこで情勢が引っ繰り返るか分かったものではない。
フローライトに探りを入れてもらっても良いが、不慣れなことは頼みたくない。
今後の対策を考えるうえで、アーロンの存在は必要不可欠なのであった。
この状況が、ナギを苦しませているのは痛いほどわかる。
いまはブルーベリーを食べて少しばかり心を安らげているとはいえ、彼は針で作られた絨毯の上にいるような気持ちだろう。
だが、その状況をこれ以上悪化させたくない。
ロベリアは、自分にできる手段はなにを使ってでも、秘密の庭での生活を守りたかった。
たとえ、一度は敵対し、絶対に許したくない相手を利用するとしても。
もう、これ以上かけがえのない同居人を傷つけないために。
次回更新は、4月21日を予定しています。
少し期間が空いてしまいますが、今後ともよろしくお願いします。
→申し訳ありません。都合により、更新日は22日に延長します。




