32話 来襲
「早く出てこい。出てこないと、この娘の命はないぞ!」
ナギは冷水を浴びたような感覚に陥った。
身体から血の気が失せ、尖った爪の先まで凍えていくのが分かる。恐怖に震えそうになる身体をよそに、頭は冷静だった。
ナギは茂みに隠れると、こっそり青髪の男を直視する。
男とはいうが、おそらく少年だ。
大人になり切れていない顔つきからして、年齢は14,5歳だろう。一見すると美少年に見えるのに、狂気じみた赤い目を吊り上がらせている様子は明らかに尋常ではない。
「主に知らせるか。いや、駄目だ」
ナギは小さく首を振る。
ロベリアのことだ。フローライトが人質にとられていることを知れば、すぐに身を差し出すに違いない。貴族の娘が魔法使い相手に正面から戦えるはずもなく、男の想うがままにことは進んでしまうだろう。
「そんなことさせるものか」
ナギは決意した。
幸いなことに、少年魔法使いの甲高い声は、ロベリアのいる家まで届いていないようだ。ロベリアが動く気配はない。ならば、とるべき行動は一つだけだ。
ナギは息を潜めると、身体を思いっきり伏せた。地面に撒いた石灰の匂いを強く感じながら、ゆっくりと接近する。腹を地面すれすれにこするような体勢で進んでいるので、かすかにくすぐったい。くすぐったさに尻尾を持ち上げたくなる気持ちを堪え、徐々に、徐々に近づく。
「……!」
途中、とある木を越えたとき、不自然な風が鱗をなでた。
ぞくりとした感覚に、見つかってしまったかと身体を固くしたが、少年は見当違いの方向を見ている。音を立てずに後ろを振り返れば、庭の存在が影も形も見えなくなっていた。蜂蜜色の家はもちろん、さっきまで後ろで揺れていた桑の木すら消え失せ、樫の森がどこまでも広がっている。
「秘密の庭」から出てしまったのだ。
だが、庭から出ない限り、少年に干渉することができない。
ナギは帰ることができるように、近くの枝に爪で印をつけた、その時だった。
「こそこそしてるのは誰だ? 大きさからして、でかいトカゲか? まさか、ドラゴンではないだろう?」
少年が口を開いた。
瞬間、少年の爛々と輝く赤い瞳と目が合ってしまう。ナギが動きを止めると、少年はくっくと喉を鳴らした。
「不思議そうな顔をしているな。隠密に行動していたのに、どうして見つかったかのかと。聞きたいなら教えてやってもいい」
「魔法だろう?」
ナギは伏せたまま答えると、少年は得意満面の顔で語り始める。
「正解だ。風の精霊が君の居場所を教えてくれたのさ。
だが、ここまで良く近づけたな。褒めてやろう」
少年が言うと、風の精霊が浮かび上がった。
精霊は薄らとした緑の翼を羽ばたかせ、くるりと少年の頭上を一周する。しかし、ここで妙なことに気付いた。
「その精霊、顔色がおかしくないか?」
フローライトが操っていた精霊より青ざめていた。目は熱に浮かされたように虚ろで、苦し気に顔が歪んでいる。飛び方も優雅ではなく上下に揺れていた。魔法を詳しく知らぬ者ですら変だと思うのに、少年は不敵な笑みを崩さない。
「ほう、言葉を操るだけでなく、精霊が見えるとはな。まがりなりにも、ドラゴンのようだ。
だが、魔法には明るくないようだ。私の精霊を病気とみるとは」
「お前こそわからないのか? どう考えても普通じゃない」
「っふふ、魔法の何たるかを学んですらない愚か者だな。まったく話にならぬ。ああ、自己紹介が遅れたな」
少年魔法使いはやれやれと頭を振ると、杖を高らかに掲げた。
「私の名はアーロン。アーロン・スコーピウス。王国立魔法学校の最終学年にして首席。そして、このあたりに潜伏する悪女、ロベリア・クロックフォードを捕らえ、ルージュ様の寵愛を得る者の名だ。
さあ、お前も名乗るといい。ロベリアを捕らえるのに協力した暁には、ルージュ様にお前の名を囁いてやろう」
「寝言は寝て言え」
ナギは吐き捨てる。
ロベリアを悪女と断定されたのが腹立たしい。腹から喉の奥にかけて、徐々に熱くなり始める。ロベリアと生活をし始めて、わずか三か月あまり。彼女のすべてを知っているわけではないが、悪女な面は見たことがない。
「なぜ、悪女と言い切る?」
ナギは身体を屈めると、茂みから身体を現した。
「はぁ? 馬鹿だな。決まっているだろう? ルージュ様を悲しませる者だからだ」
アーロンはへらへら笑った。あまりにも馬鹿にした顔だったので、ナギは炎を吹きつけてやりたい気持ちに襲われる。しかし、ここで炎を吹いてしまうと近くの木々を燃やしてしまう。「秘密の庭」自体は魔法の護りで無事かもしれないが、樫の森が焼失してしまったら元も子もない。ナギは喉元まで登ってきた炎をやっとの思いで圧し戻し、じろりとアーロンを睨んだ。
「悲しませる? 俺の知る限り、ルージュの方が悪女だ。あの人のことを悲しませ、ずっと傷つけてきた。そして、いまも」
ナギはアーロンから目を離さず歩いた。
あまりに近づきすぎたら、魔法の餌食になってしまうかもしれない。魔法を放たれても対応できるよう、一定以上の距離を保ちながら、ゆっくりと円を描くように進む。
「何故、ルージュとやらに従う気になるのか。俺には理解できない」
「そうか、お前もロベリアもルージュ様の素晴らしさが分かっていないようだ。まあ、こんな僻地に住まうドラゴンなんぞがルージュ様の偉大さと神々しさを知っているとは思えない」
アーロンもナギから目をそらさない。
余裕をもった態度を崩すことなく、ナギを赤い目で追っている。アーロンが動くと、風の精霊やフローライトも連動するようにふわりと空を移動する。
「しかたない。ならば、特別に教授してやろう。田舎者にも分かりやすく、彼女の素晴らしさをな」
「耳が汚れる。聞きたくはないが……」
「まず、彼女の素晴らしい所は美だ! 身体から溢れんばかりの美しさ、神が造形したような顔! 平素からも美しき立ち振る舞い。誰よりも優しく、男女ともに平等に扱う御方だ」
アーロンは恍惚とした顔で語り始めた。
甘いお菓子を口いっぱいに食べたような感極まる声色で、ルージュを賛美し始める。とはいえ、赤い双眸はナギを見据えたままだった。隙をなかなか見せようとしない。
「自分を虐める姉に対しても、偏見の目を向けない。ああ、なんて素晴らしい方なのだ」
「……あの人がルージュを虐めた? お前は、それを見たのか?」
「ルージュ様がおっしゃられたのだ。ならば、それが真実に決まっておろう。確かめる必要すらない」
「呆れたな。聞いたことだけで判断するとは」
ナギは鼻を鳴らした。
「ルージュだったか? 俺が見た限り、最低の部類だぞ? あの人を馬鹿にし、舐めた態度。本当に優しく誰でも平等に扱う方なら、俺を見て『私ならいらないわー』など口が裂けても言うまいよ」
彼の言い分が正しければ、『すぐに手当てをしないと』が先に来るはずだ。
もしくは、『散歩なんか行かせないで、寝かせておかないとダメ』あたりだろうか。
彼女の言葉から出たのはどちらでもなく、ナギを軽蔑し小馬鹿にする言葉だった。
わずか数分しか接していないのに、ルージュの器のなさを知ることができた。アーロンはナギよりずっと長くルージュの傍近くにいるのに、そんなことまで見抜けないのだろうか。
「いや違う。お前が人を見る目がないのか」
「お前、ドラゴン風情が……言わせておけば調子に乗りやがって!」
アーロンは杖を振り上げる。
風の魔法を扱うのだろう。げっそりとした顔の精霊が杖の先端までよたよたと上昇する。
「風の精霊! この薄汚いドラゴンに天罰を下せ!」
ナギに杖を向けると、鋭い声で宣言する。
とはいえ、さすがはここまで来た魔法使い。精霊は気持ち悪そうに身体を震わせたが、身体に風を纏うとナギを貫こうとしてきた。轟と周囲の風を巻き込みながら精霊は加速し、二秒と経たぬ間に目と鼻の先まで到達する。
「いけ、精霊! ドラゴンを木っ端みじんにしろ!」
「―—ッ!」
疾風はナギの顔を切り裂いた。右頬から顎にかけて、一文字の傷が生じる。思った以上に傷が深く、どくどくと血が流れ出るのを感じた。おまけに目のほど近くを切り裂かれたので、思わず右目に血が伝い視界が潰れてしまう。
ナギが痛みで足をもつらせれば、アーロンは勝ち誇った笑顔を浮かべた。
「よし、そのまま――」
「―—ッ、なんて、想い通りにいかせるか」
ナギはにたりと口の端を持ち上げる。
今度は下から攻撃を仕掛けようとする精霊を左目で見据えると、素早く右足を動かした。もともと精霊自体が弱っていたこともあり、あっさりと踏むことができた。精霊を踏み殺さないように力加減を気をつける。ナギの足の下でじたばたと動いていたが、だんだんと力尽きたのだろう。ぐったりと四肢を投げ出し、気を失ったらしい。
「精霊がいないと魔法は起こせない」
フローライトが部屋を綺麗にしたとき、風と水の精霊が通った道のみ掃除されていた。
今回もそうだ。
魔法使いが攻撃魔法を使ったときも精霊の通過点だけが切り裂かれている。深々とした尋常ではない痛みが口を動かすたびに奔るが、別に大したことではない。数か月前まで日常茶飯事受けていた虐待の方が百倍辛かった。身体も、心も。
ナギの平然した様子を見ると、アーロンは狼狽した。
「お前、まさか……わざと傷を負ったな? 顔だぞ? 顔に傷を負うなんて!」
「顔に傷? そんなこと、どうでもよいだろう?」
これまで、百の傷を受けてきた。いまさら傷の一つや二つで右往左往するまい。
ナギは淡々と答えながら、威圧するように低い唸り声をあげた。
「取引だ、アーロン。
この精霊を解放する代わりに、そこの少女とロベリアから手を引け」
投稿時間が遅くなってすみませんでした。
次回は4月6日を予定しています。今日よりは早く投稿したいです。
はやくほのぼのパートを書きたい




