31話 理不尽なこと
ロベリアは、むかむかしてきた。
ミルクなしの茶が悪いわけではない。
本来の香りを楽しむことができるし、砂糖を入れることだって悪いことではない。子どもの頃は砂糖を入れないと、種類によっては渋くて飲めなかったこともあった。
だから、ルージュの主張も理解できる。
しかし、
「それでも、みんな右にならえはおかしいわ!
『甘いお茶などお茶ではない。渋みこそすべてなのだ!』と主張していた人まで、たっぷり砂糖を入れるようになったものだから、王都の砂糖消費量が激増。入手困難になったこともあったのよ」
当時のことを思い出し、ロベリアは堅く口を結んだ。胸の奥にしまい込み、すっかり忘れていた感情が沸き上がり、ぐつぐつと煮え始める。
ただでさえ、砂糖は貴重なのだ。
わざわざ異国から船に積み込み、一週間かけて港に運んでくる。そこから王都まで、早馬で駆けても三日はかかる。冬は海が荒れて船が出せないこともあるし、簡単に何往復もできない。優れた魔法使いがいれば強引に航海を遂行できるのだが、一昼夜、寝ずに風魔法を操り続けることになる。たかが砂糖のためだけに、優れた魔法使いを酷使し潰すわけにはいかなかった。
「砂糖がある国は友好国。他の国より少し安値で売ってくれているの。力関係的には、私たちの王国の方が圧倒的に上ということもあるけど……だから、ルージュの我がままは酷くなるばかり。
『なんで、砂糖を持ってこれないの? 持ってくるのにお金がかかる? そんなの相手の国に支払わせればいいでしょ』」
「うわぁ……」
ナギがドン引きしている。
「それを真に受けた貴族や大臣、商人たちが同意してね。砂糖を運んできた商人に正当な報酬を払わないで、砂糖だけ奪って追い返した事件が勃発したの」
それから一か月。
ロベリアは忙しく働いた。
まず、国王陛下が砂糖だけ奪った者たちを罰した。すぐさま容疑者全員に本来の倍額を支払わせ、投獄した。
そう、投獄。
つまり、本人たちは謝りに行くことができない。白羽の矢が立ったのは、ロベリアが仕える大臣だった。彼は国王の命令で渋々港町まで来たのだが、謝罪当日になって
『わしは何も悪いことしてないのに、どうして謝らないといけないのだ! わしは腹が痛い。ロベリア、お前が行って謝ってこい』
と、言い捨て、部屋から一歩も出てこない。
仕方なしに、ロベリアが怒り狂う相手国に頭を下げて、がんがん怒鳴られた。一言一言、怒られるたびに太い針が心を刺すような痛みが奔る。
『あいつらは投獄されている? そんなこと知るか! すぐに謝りに来させろ! 大臣はどうした!? 国王はどうした!?』
世界が震えるほど叫ばれても、ロベリアは謝ることしかできない。
余計なことを口走って、言質をとられたら余計事態が悪化する。
何故、自分が悪いことしていないのに、怒られないといけないのだろうか。「理不尽だ!訴えてやる!」と旗を上げたかったが、理不尽なことは今に始まったことではないと自分を諦観した。
ひたすらひたすら謝り続け、二時間は経った頃。
向こうの怒りがなんとか収まった。
『まあ、金は支払ってもらったから今日はここまでにしておく。君には悪かったね』
気が付くと、ロベリアは腕一杯の南国の果物を持たされていた。
彼らの宿泊先を出たときには、すっかり日も暮れていた。歓楽街は人の楽しそうな笑い声で溢れていたが、遠い国のことのように思えた。ロベリアは嵐が過ぎた後のように疲れ果てていた。何も考えることができず、とぼとぼと自分の宿に帰ったのだった。
「主。王は妹を罰しなかったのか?」
「罰そうとしたわ。今回の賠償と投獄。
でも、議会で『ルージュ様の言ったことを真に受けた人たちが悪い』ということになってね。結局は一か月の謹慎処分だけ。陛下は『生温い』と怒ったのだけど、覆せなかったの」
今回、自分の四肢が壊れそうなほど怒られていた。
それなのに、妹は謹慎処分だけだった。国王陛下から直々に叱られても、涙を流したのはその時だけ。陛下の前を辞したあとは、すっかりけろっとしていた。謹慎中も家に友だちを招くと、こっそりパーティーをしていた。
妹は、まったく反省していなかった。
「本当、理不尽すぎる」
ロベリアは気持ちを静めるために、ミルクティーを口に含んだ。
ミルクの優しい甘さと茶葉の香りを口の中一杯に堪能しながら、ゆっくりと肩の力を抜いていく。天然の甘みは荒ぶる心を落ち着かせるのに有効だった。
ほっと一息つくと、首を横に振った。
「今となっては、どうでも良いことだけど」
だから、ルージュが王妃になったら国がめちゃめちゃになる。
それが見抜けない時点で、エリックは次期王として失格だったのだ。
「主。主は今、理不尽か?」
「え……?」
「今の暮らしは理不尽か、と聞いている」
ロベリアは瞬きをした。
ナギがじっとこちらを見ている。深緑色の落ち着いた眼差しだった。赤髪を風で揺らしながら、ただまっすぐこちらを見ている。
「いいえ、違うわ」
「……よかった」
ナギの目元が緩んだ。
「俺には、主の過去が分からない。だが、今の方がずっとマシなのだろう?」
「もちろん」
「主はこれまでたくさん苦しんだ。だから、その分以上の幸せを満喫しないといけない。そうじゃないと、それこそ理不尽だ」
ナギはそれだけ言うと、武骨な指で器用にカップを取った。形の良い唇でミルクティーを一口、ゆっくりと運ぶ。喉がこくりとうなり、ほうっと息を吐いた。
「……美味いな。全然味が違う」
彼は落ち着いた声で感想を述べる。ナギは今まで出会ったどの男性よりも穏やかな顔をしていた。
「主、俺は先入れが好きだ」
「そ、そう? 無理しなくてよいのよ?」
「無理なんかしないさ。さてと……」
ナギは全身を震わすと、ドラゴンの姿に戻る。羽を気持ちよさそうに伸ばし、真っ赤な首を見せつけるように大きく回した。
「せっかくだ。森のほとりに杏の木があった。かなり熟れていた。その実を採って来る」
「ちょっと、待って。それは嬉しいけど、私もついて行くわ」
「主は心を休めるべきだ。採って戻って来るだけだ。すぐに戻る」
ナギは落ち着いた声で言うと、軽快な足取りで庭の奥へと去っていく。赤い鱗が草の影からちらちらと見えたが、すぐにまったく見えなくなった。
「ナギ……」
ロベリアはカップを握った。
ミルクティーの温かさがカップ越しに伝わってくる。だが、ミルクティーとは異なる温かさが胸の内に宿っていた。
「……ありがとう」
彼がここにいなくて、本当に良かった。
なぜなら、自分の視界が潤み、頬に冷たい感覚が伝っている。
貴方の言葉が嬉しいのだと伝えても、優しい彼は「自分が泣かしてしまった」と戸惑ってしまうだろうから。
※
「まったく。なんなんだ、主の妹は!」
一方、ナギは鼻息荒く歩いていた。
「主ばかり理不尽な目に合わせるなんて。あの屋敷で会った時からいけ好かない女だったが、話を聞けば聞くほど悪女ではないか!」
自分の口から悪口が留めなく溢れ出る。
悪口を言うのは好きではないが、ルージュに対してだけは別だ。ロベリアはふとした拍子に妹のことを思い出す。本人は気づいていないと思うが、妹にされたことを話すたびに眉根を寄せ、すべてを諦めたような寂しそうな顔をする。
その顔を見ていると、こちらまで胸が苦しくなるのだ。
「俺は吹っ切れているが、主は完全に無意識だ。まったく気づいていないのだろうな」
自分は男からされた仕打ちについては、そこそこ吹っ切れている。これまでの仕返しもしてやったから興味はない。ときどき悪夢を見ることもあり、実はロベリアとお茶を飲む幸せな時間こそ夢なのではないかと思うこともあるが、甘く幸せな現実を満喫している。
しかし、主は仕返しをしていない。
ずっと、やられっぱなしだった。
「だが『嫌なことをされたからやり返す』というのは主に似合わない。今の幸せで過去を上塗りし、時が忘れさせることが一番なのだろうが……」
ナギは唸った。
そこまで頭が良い方ではないと自覚している。あまり高等な教育も受けてこなかった。自分にできることはあまりにも少ない。
いくら悩んでも良い案は思いつかず、気が付くと、杏の木の下に着いていた。
柔らかな赤い実がぽつぽつと付いている。ドラゴンの短い手では採れそうにない。仕方なしに、もう一度人間に変身するか……と、思った。
その時だった。
「あれは……!!」
樫の森に少年がいた。
青髪の少年は魔法使いなのだろう。黒いローブで身を纏い、きょろきょろとあたりを見渡している。「秘密の庭」の守りの力で、こちらは見えていないらしい。それならそれで無視すれば良いのだが、その人物は一人ではなかった。
フローライトを連れていた。
ただ連れているのではない。空中に浮かしている。意識はないのか、だらんと四肢を垂らしていた。
これだけでも異常なのに、少年は高らかな声で叫んでいたのだ。
「ロベリア・クロックフォード、どこにいる! 早く出てこい。出てこないと、この娘の命はないぞ!」
次回更新は4月4日です。
もうちょっとだけ、シリアス続きます。




