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30話 ミルク戦争


 ミルク戦争。

 それは100年以上、長期に渡って続く戦いのこと。

 二つの派閥は互いの言い分を認めず、自らの正当性を掲げて戦っていた。戦いは苛烈を極め、時に武力を持って立ち上がり、血を流す事態になったこともある。


 これは王国史において、ロベリアが語らずにはいられない現在進行形の由緒正しき戦いであった。



 つい、数年前までは。

 











「ナギ、お茶を淹れたわ」


 ロベリアがテラスに行くと、ナギは支度を整えている最中だった。珍しく人間姿の彼は庭から枝ごと採って来た桑の実を手にしており、男らしい指で器用につまんで青い皿に並べている。赤黒の実は良く晴れた日の空よりも深く青い皿にはえ、いっそう美味しそうに輝いて見えた。


「主、すまない。まだ途中なんだ」


 ロベリアが近づくと、ナギはすまなそうな声を出した。


「ありがとう。よい皿を選んだわね」

「つややかな皿だからな。空色の皿は何でも合う。少し待ってくれ」

「手伝うわ。まだお茶を蒸らしきれてないから」


 ロベリアも枝から桑の実をもぐ。柔らかい実なので、ちょっと力を入れるだけで潰れてしまうかと思ったが、予想に反して触れるだけでぽろっともぐことができた。ころころと皿に転がる桑の実は可愛らしく、ひとつだけ摘まんで口に放り込んでしまおうかしら、と思ってしまう。


「主。桑の実がどうして赤黒いのか知ってるか?」


 ロベリアがこっそり口に運ぼうとした瞬間、ナギが話を振ってくる。ロベリアは持ち上げかけた実をそそくさと皿に置いた。


「知らないわ。どうして?」

「むかし、むかしの話だ。

 ラモスとジュリエッタという貴族の若い男女がいた。二人は互いに恋をしていたが、家同士の仲が悪くて結婚できないでいた。だから、2人は駆け落ちすることにしたんだ。夜更けに桑の木の下で待ち合わせようと」


 ナギは桑の実をもぎながら、淡々と話し始める。


「まず、ジュリエッタが待ち合わせ場所に来た。だが、まだ刻限には早すぎたのだ。ジュリエッタはラモスを待っていたのだが、ちょうどそこに狩りを終えたばかりの野生のドラゴンが現れた。ジュリエッタは急いで逃げるが、そのときにショールを落としてしまったんだ。

 野生のドラゴンはちょうど落ちていたショールで口元を拭うと、そのまま森の奥に去ってしまった。入れ替わりに、ラモスがようやく桑の木の下に辿り着いた」


 彼が見つけたのは、恋人のショール。

 いたるところが血に濡れ、ドラゴンの爪で無残にも破れていた。


「もしかして、恋人がドラゴンに喰われたと思ったの?」


 ロベリアはおそるおそる尋ねていた。

 ナギはちらっとこちらを見たが、すぐに切れ長の目を桑の実に落とした。


「彼は悲観し、持っていた短剣で首を切る。ジュリエッタが桑の木の下に戻ってきたとき、待っていたのは愛しい男の死骸だった。ジュリエッタは男の死を悲しみ、後を追うように短剣で自殺をする。

 この悲しい出来事、すべてを見ていたのは、桑の木だけだった。

 桑の実が赤黒いのは、二人の血を吸い、後世まで悲劇を語り継ぐためなのだ」


 ナギは手を止めることなく語り続けた。少し突き放したような冷たい語り口だった。

 気が付くと、ロベリアは手を止め、ナギの話を聞き入っていた。ナギの指先が桑の実で赤く染まっている様を幻視する。ロベリアは背筋が少しずつ凍っていくような気がした。


「ナギ、それ……本当?」


 ナギはこちらを見ない。黙って、実をもいでいたが、彼も震えていた。何かを堪えるように微かに震えていたが、ついに耐えきれなくなったのか。


「…………っぷ」


 ナギは噴き出した。硬い表情が崩れ、小ぶりの花が開くように顔が綻んでいく。


「主、ただの御伽噺だ。昔の飼い主が好んだ物語。

 『貴方は悪いドラゴンにはならないで。私のラモスになるのよ』というのが、口癖だった」

「私のラモスって、あの男が?」

「いや、あの男の前の前の飼い主だ。女だった。話したことなかったか?」

「なかった、かも」


 そういえば、あの男が「祖母から相続した」みたいなことを言っていたのを思い出す。

 ロベリアはナギの過去を聞くことを避けていた。屑とののしられ、暴力を日常的に受けていた時の記憶なんて、二度と思い出したくないだろう。

 だから、あまり聞いてこなかったが……。


「主を怖がらせてしまった。最初はそんなつもりはなかったのだが、あまりに真剣に聞いているものだから、つい……前の前の主は、こういう語り口が好きだったんだ。これからは、気をつける」


 ナギは綻んだ顔を引き締め、気まずそうに喉を鳴らした。


「気をつけなくていいわ」


 ロベリアが言うと、ナギは後ろ暗そうに目を逸らす。もう枝に実はついていないというのに、もぐように指を動かしていた。


「いや、主の反応を楽しんだ俺が悪い。調子に乗り過ぎた」

「そんなことないわよ。だって、私たちは家族じゃない」


 むしろ、ナギが心を開いてくれた証拠だ。そう思うと、脅かされた気持ちが吹っ飛び、心が気持ちくなってきた。


「そ、そうか?」

「もちろん、あまり怖いのは苦手だけど……って、落ち込まないで。ほら、お茶にしましょう」


 ロベリアがポットの蓋をとると、丁度良い具合に茶葉が開いていた。見事なまでに琥珀色の水面が揺れ、ほうっと息をつきたくなるような香りが広がる。


「良い具合だわ。ナギ、ミルクは入れる?」

「……」


 ナギは少しだけ頭を下げる。

 それを肯定と受け取ると、ロベリアは今朝搾りたての乳をカップに注いだ。魔山羊のアリエスの乳は臭みも薄く、牛の乳よりも甘く濃厚で、お茶にぴったりなのだ。ロベリアはふんふんと鼻歌を歌いながら、ポットのお茶を少しずつ注いでいく。白いミルクに琥珀色の茶が注がれ、少しずつ調和されていく様子を眺めていると、ナギが不思議そうに話しかけてきた。


「主。なぜ、先にミルクを入れる? 後ではないのか?」

「……ナギ、それはどこで習ったの?」

「前の主が『ミルクは後だ』と」

「……そう。ミルクは後派ね」


 ロベリアは少し声のトーンが下がるのを感じた。


「ナギはミルク戦争を知っている?」

「初耳だ」


 ナギは目を瞬かせている。

 まるで、先程の攻守を逆転させた再演のようだ、と思ったが、これから話すのは事実である。御伽噺ではないので、むやみやたらに怖がらせるのは止めようと誓った。


「100年前から続いている戦争だったの。

 ミルクを先に入れるか、後に入れるか」

「……それ、戦争なのか?」

「戦争よ! どうすれば、より美味しくミルクティーが飲めるのかという由緒正しき戦いなのだわ」

「論争ではなく?」

「それはね。基本は論争よ。でも、たまに過激な人が拳で勝者を決めようとすることがあるの」


 だいたい、敵対派閥の者同士でお茶を飲むときに起きる。

 ストレートも良いが、息も凍るような寒い日にはミルクティーが飲みたくなるものだ。そう言った場合、話し合いでは埒があかず、茶会をする前に時間が終わることもあるので、基本的にはコイントスをするのだが、極稀にコイントスの結果に不服を抱き、拳が出る者もいるのである。


「ナギ、誤解しないで。私は殴り合いなんて優美に欠けることはしないわ。

 それに、私はミルクを先入れ主義だけど後から淹れるのも好きよ。お茶の分量が決まっているときなんかは後から淹れた方が味の調整がしやすいもの。

 はい、どうぞ」


 ロベリアはミルクティーを差し出した。

 続いて自分の分を入れながら、言葉を紡ぎ続けた。


「温めたミルクで作るミルクティーも美味しいのよね。特に、蜂蜜を入れるとまろやかになって……」


 絶対、冬になったらミルクを火にかけようと心に誓う。

 異国風で邪道だと言われることもあるが、あれはあれで美味い。邪道でもほっこり心が和らげばよいのだ。


「ナギ、冷めないうちに飲んで」


 ロベリアは琥珀色の液体に注がれたミルクがくるくる混ざっていく様子を見つめていると、ナギがふと……思い出したように口を開いた。


「ちなみに、今はどちらの主張が優勢なんだ?」

「……どちらもないの」


 ロベリアはミルクの瓶を置いた。

 こんなこと言わなければよかったと後悔する。せっかく胸の中に仄かな温かさ広がっていたというのに、一気に苦い薬を意味なく飲まされたような感じになった。


 だが、ナギが悪いのではない。

 ミルク戦争なんて言葉を出した、ロベリアが悪いのだ。


「ミルクは入れない主義が圧勝したの」


 ロベリアは長く息を吐くと、できるだけ冷静に言った。



「ルージュがね、言ったの。『ミルクのことで喧嘩しないで!! お茶はね、ミルクじゃなくて、お砂糖をたーくさん入れて飲むのが一番なんだから!』ってね」





次回は4月2日に更新します。

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― 新着の感想 ―
[一言] ミルクで紅茶を煮だそうとしても 上手に入れることは出来ません チャイティー等は、濃いめに煮出した紅茶をいっぺん作ります。 そこに暖めたミルクを追加します 最後にシナモンの棒でかき混ぜます …
[一言] 狂信者共の分布範囲と狂信っぷりがよく分かるってか伝わる……
[一言] ミルクは後派だな。
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