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3話 秘密の庭


『ロベリア、ごめんなさいね』


 母のすまなそうな声が聞こえてきた。

 この声を知っている。

 ルージュが生まれるときの記憶だ。だから、きっと夢なのだろう。


『しばらく、おじ様の家に行きなさい。弟か妹が生まれたら、必ず迎えに行くから』


 ロベリアは、母が幼いロベリアの頬を撫でる姿を遠くから眺める。

 あの頃は、母が優しかった。

 ルージュが生まれ、屋敷に呼び戻されたときには、眼中にもいれてくれなかったけど。


『お前がロベリアか。その辺で勝手に過ごしてろ』


 おじも同様で、この一言だけ残すと、すぐに部屋に戻ってしまった。

 3歳の子どもには広すぎる屋敷に、ぽつんと一人残される。おじは裕福で、使用人たちに囲まれ、快適な暮らしには違いなかったが、酷く寂しい生活であったことには違いなかった。


 そんなときだった。

 乳母のベガが『秘密の裏庭』へ誘ってくれたのは。



『ロベリアお嬢様。御主人さまや他の皆様には内緒でございますよ』


 ベガはポケットから小さな鍵を取り出すと、何もない空間に差し向けた。

 すると、どうしたことだろうか。何もないはずの場所に、古い木を削って作ったような扉が現れたのである。

 ベガが扉を開けると、石灰と湿った木々の香りが鼻をくすぐった。

 何故? とロベリアが思うよりも早く、扉の向こうに広がっていた風景が目に飛び込んできた。


『これは!?』


 ロベリアは言葉を失った。

 樫の大木や幾重にも重なるように生えている。その向こうに小川が流れ、その岸辺を飾るように芝草とスミレが生えていた。少し離れた場所では黄色の水仙が風に揺れ、黄金の川のように波打っている。


『ここは、森ですか?』


 ロベリアは扉を潜りながら興奮気味に尋ねた。


『ベガは森を連れてきたのですね!』

『いいえ、これは庭ですの』

『庭!? これが!?』


 ロベリアは目を疑った。


『なんというか、ここの庭ともクロックフォードの庭とも違い過ぎるもの』


 ロベリアは木々を見渡す。

 ロベリアの知る庭の木は、庭師が丁寧に刈り込み、丸や星形やハートの形になっているのに、ここの木々は自由に枝を伸ばしていた。


『ここは、魔法のお庭なの?』

『ふふ、秘密の庭ですよ』


 小川の方へ進んで行けば、馬と似た臭いが強まるのを感じる。臭いの方へ目を向けると、山羊がからからと首の鐘を鳴らしながら駆けてきた。

 乳母は山羊を優しく頭を撫で始めながら、ロベリアに問いかけてきた。


『ここは、私の家に代々伝わる庭なのです。ロベリアお嬢様、よろしければ一緒に庭を育てませんか?』

『でも、私がここに入って良いの? 他の人に怒られない?』

『大丈夫ですよ。扉を閉めれば、御屋敷の方から人は入ってくることができませんし、私もお嬢様も黙っていれば問題ありません。

 ただ、服が汚れてしまわぬように、こちらで着替えましょうね』


 ロベリアは二つ返事で受け入れた。

 白い指を汚しながら畑を弄り、山羊と戯れながら泥をドレスに付け、色とりどりの花を摘んでは部屋に飾り、林檎の実を集めては庭の隅に建てられた家屋でパイを焼いたり、近隣の村まで降りて買い物をしたり……。



 思えば、これが幼少期最後の幸福な日々だった。



 ロベリアが屋敷に呼び戻される数日前、ベガは病で倒れた。

 

『お嬢様、この庭を継いでくださいませ』

『ベガ、気弱なことを言わないで! 貴方が病を治したら、一緒に庭へ行きましょう』


 ロベリアはベガの手を強く握りしめると、クロックフォードの屋敷に戻った。


 ベガが死んだ知らせを受けたのは、それから数年後だった。

 手紙には鍵が同封されていた。

 掌にやっと収まる古びた鍵は裏庭へ通じるものに違いなく、しかしながら庭に行く時間もなければ、ルージュに見つかって『私が欲しい』と取り上げられたくなかった。


 ロベリアは鍵を本邸の自分の机の奥底にしまうと、それっきり庭に出向く時間はなかった。











「でも、今は違うわ」


 ロベリアは目を覚ますと、早速荷造りを始めた。

 旅行用の鞄を開けると、衣装や秘書官として働いた給金などを詰め始める。

 予想通りというべきか、クロックフォード伯爵領の本邸に戻り、両親に婚約破棄の話をした途端、彼らは手を挙げて喜んだ。


「『ルージュが王子の子を産むだなんて! クロックフォード家の栄誉だ!』ですって。

 なにが栄誉よ。妹に婚約者を寝取られたなんて、完全に醜聞じゃない」


 ロベリアが旅行鞄を乱暴に閉めると、すぐに部屋を出る。

 運の良いことに、ちょうど、自分付きになった侍女と遭遇した。


「朝食を用意しました。それから、旅に出る? というので、頼まれていた数日分の食糧を」

「ありがとうございます」


 ロベリアが礼を言えば、侍女は面倒くさそうに頷くと、食事を載せたカートを置いて去ってしまった。

 普通に考えれば「主家の令嬢に対して、その態度はなくない?」と思えなくもないが、基本的に『ルージュ絶対至上主義』の屋根の下では、ロベリアは邪魔者扱い。下手すれば、使用人よりも地位は低い。

 

 ルージュが物心ついた頃から、食事は自室で一人が常だった。

 なんでも、ルージュが、


『私、お父さまとお母さまだけと食べたいわ! お姉さまはマナー? の練習をしないといけないのでしょう? おひとりで十分ですよね?』


 と、言ったかららしい。

 私が何をした!と、ロベリアは泣いたが、だからといって好転することもなく、今日に限って言えば一人で良かった。


「旅に出るというのに、その行き先も内容も聞かないなんてね。まあ、しかたないことですけど」


 食事のカートを部屋の中に入れる。

 ロベリアが食事の支度を整えていると、視界の端で枕もとの籠が動くのが見えた。籠を覗き込むと、ドラゴンが薄眼を開けていた。


「すみません、起こしてしまいましたか?」

「……あ、いや……」


 ロベリアが尋ねると、一瞬、深緑色の瞳に怯えが奔った。

 ドラゴンは毛布に包まったまま、小さく縮こまっている。


「とりあえず、朝食にしましょう。君の分も頼んでおきましたので」


 ロベリアは燻製肉のはいったポリッジをテーブルに置くと、ドラゴンを抱え上げた。昨晩、湯で洗ったので、小綺麗にはなったが、それでも、赤い鱗に艶はなく、やせ衰えていることには違いなかった。


「昨日はお風呂の後、食事もせずに寝てしまいましたから、今日からはしっかり食べて、元気になりましょう」


 ロベリアは自分の対面にドラゴンを置くと、食事をし始めた。心なしか、味付けも大雑把な気がする。昔はもう少し美味しかった気がしたのだが、と思いながら食べ進めていると、ドラゴンが固まっていることに気が付いた。

 ドラゴンはポリッジが入った器を凝視している。


「食べませんの? 嫌いなものでも入っていましたか?」

「……いいの、か?」

「ここまで出しておいて、食べては駄目という選択はありませんわ」


 ロベリアが言うと、ドラゴンはポリッジを慎重に舐める。ぺろり、と一口舐めてからは、一心不乱に食べ始めた。あっという間に食べ終え、まだ足りないと言いたげな顔をしていたので、つい、自分のパンも渡してしまったほどだった。


「では、出かけましょうか。これから住まう場所へ」


 ロベリアは身支度を整えると、白い帽子を被った。


「……ここは違うのか?」

「ええ。ここに戻るつもりはありませんわ。頼まれても戻るものですか」


 ロベリアはふんっと鼻を鳴らすと、旅行鞄を手に取った。

 そのままドラゴンも抱えようと手を伸ばしたが、彼は首を横に振り、歩けると主張する。彼は弱っているので歩けるか不安だったが、それは杞憂だったらしい。ロベリアの半歩後ろを静々と歩いている。無理している様子はなく、むしろ表情が少し明るく見えた。




 ところが、である。

 ちょうど、ロベリアたちが玄関に着いた時だった。



「ただいまかえりましたー!」


 弾んだ空気を一変させる、明るすぎる声の主が大扉を勢いよく開いたのは。






次回、3月1日17時に投稿予定です。


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