29話 危険なこと
「あ……」
フローライトは廊下に木霊する自分の声を遠くに聞きながら、自分のやってしまった行いに愕然とした。
言った。
言ってしまった!
入学試験の試験監督に気に入られたというのに、一時の感情に突き動かされ、大声で思いっきり反論してしまった。兄のように膝がかくかく震え、喉がひりひりと乾いて行くのを感じた。
「す、すみません。わたし……でも、その、大声で人の悪口を言うのは、嫌いです……」
それでも、フローライトは後悔していなかった。
試験には合格したいけど、恩人が馬鹿にされるのを見過ごせるわけがない。がちがちと歯のかみ合わない音を聞きながら、なんとか言いたいことを口にする。
「そ、それに……ロベリアさんは、私の知るロベリアさんは、貴方たちが言うような悪い人には思えません!
私とお兄ちゃんを助けてくれた、命の恩人なんです!」
フローライトが言い切ると、魔法使いたちの目は点になっていた。
彼らはフローライトの言ったことが呑み込めていないのか、明らかに困惑している。まるで、フローライトを未知の魔物みたいに、まじまじと見てくる。
「あ、あの。わ、わたし。これで、帰ります!」
フローライトはくるりと四人に背中を向け、勢いよく走り出した。
背中に突き刺さる視線を感じながら、廊下を全速力で駆け抜け、玄関ホールを抜けて外に出る。門を潜り抜けると、道には自分のような受験生や若い男女、家族連れなど色々な人たちで溢れかえっていた。
「……こわかった」
フローライトは人波に紛れ込むと、大きく息を吐く。
試験の時以上に、心臓が飛び出るかと思った。
「どうしてあんなに嫌われているのかな? とっても優しい人なのに、ロベ――ッ!」
フローライトは慌てて自分の口を押える。
また「ロベリア」の名前を口にしたら、周りの人たちが襲ってくるのではないか、という恐怖が込み上げてきた。独り言もぺらぺら話しそうになる口を抑えつつ、人の目を気にしながら宿へと帰る。
なんとなく、さっきの魔法使いたちが後ろから追いかけてきている気がした。犬が臭いを頼りに追っかけてくるような恐怖に神経を張り巡らせながら、後ろを振りかえっては走り、走っては振り返る。
無事に部屋に転がり込み、鍵をかけたことを何度も確認すると、へなへなとベッドに倒れ込んだ。
「つかれた……」
あまりにも緊張しすぎて、自分がバラバラに縮れてしまうようだ。
魔法学校には入りたい。
だけど、こんなにも王都が怖いとは思わなかった。
「……ロベ、ううん、あの人は、何をしたのかな?
人を傷つけるような人じゃないし、その、男の人をたぶらかすようには思えないもん」
フローライトは回想する。
自分の兄に向ける態度は、フローライトとさして変わらなかった。
草むしりをしたとき、フローライトは仕事を放りだそうとしたら怒られた。だけど、それは頭ごなしに叱るのではなく、理由をつけて穏やかに叱責してくれたので、フローライトも飲み込みやすかった。
それに、フローライトの魔法が成功した時は、ちゃんと褒めてくれた。
もし、あの人たちの言う「男遊びの激しい悪女」なら、兄ばっかり褒めて、フローライトを頭ごなしに叱っていた気がする。
駄目なことは冷静に駄目だと言える人が、故意に他人を、それも家族を傷つけるのだろうか?
「うーん、わからないけど……あの人たち、こわかった。まるで、あやつられているみたいで……あ」
フローライトは飛び起きた。
ひとつ、この状況に思い至ることがあったのだ。すぐに鞄を漁ると、何度も何度も読み返してぼろぼろになった一冊の本を取り出す。分厚い本だったが、持ってきてよかったと思いながら、急いでページをめくっていく。
「えっと、そう、これだ!」
フローライトはいつになく真剣にページを読み込む。
もしかしたら、ロベリアに対する皆の誤解を解く手がかりをつかめるのではないか?と期待を込めて。
きぃ。
鍵のかかった扉が開く。
静かすぎる部屋に、扉が軋みながら開く音は異様なほど響き渡る。
フローライトが弾かれたように振り返った瞬間、眩い光が部屋を覆いつくした。
※
ところ変わって、秘密の庭。
雨上がりの空に、白い雲が浮いている。
ほどよい風を感じながら、ロベリアは鼻歌を歌っていた。たがやした土から緑の芽が顔を出し、心地よさそうに揺れている。
「良かった、百合が順調に育って」
茎が伸びて花が咲くのが待ちきれない。
「楽しそうだな、主。表情が緩んでいるぞ?」
「あら、本当?」
ナギに指摘され、少しだけ恥ずかしい気持ちが芽生えた。表情を引き締めようとするが、やっぱり自分の植えた緑の芽が陽光を浴びて一層輝くのを見ると、また頬が緩んでしまう。いけない、と頬を叩こうとすれば、ナギが慌てた様子で口を挟んできた。
「やめろ! 顔に傷がつく!」
「この程度、傷になんてならないわ」
「そういう問題ではなくてだな……俺は笑っている主が好きだ。だから、無理に表情を消すのは……あー、その、だな」
ナギはちょっと怒ったように言い始めたが、だんだんと声がしぼんでいく。結局、最後まで言い切らずに、ぷいっと顔を背けた。
「とにかく、主は笑えばいい。まあ、俺に言われても嬉しくないだろうが」
「……ふふ、ナギもね」
ロベリアが返せば、ナギは黙したまま答えなかった。彼は前足で頬のあたりを掻くと、風に吹き消されそうなほど小さな声で、
「俺は、水をまいてくる」
とだけ呟き、立ち去ろうとする。
ロベリアは、ナギの背中に慌てて待ったをかけた。
「その前に、説明しておかないといけないことがあったわ」
「説明?」
ぴんっと尻尾を立てながら、ナギは不思議そうに振り返った。ロベリアはナギが戻ってくることを確認すると、百合の道を通り過ぎ、小川の辺まで来た。ちょっと前までスミレで彩られていたが、ぽつぽつと寂しげに咲くばかり。ちょっと悲しくも想うが、元気の良い緑のなかに、ぽつぽつと紫の花が咲く様子は、緑地の絨毯の点描柄のようにも見える。そう考えれば、これはこれで良い。
「川に問題が?」
「違うの。ほら、あそこの茂み。見えるかしら?」
ロベリアはスミレの川辺から一歩離れた場所を指さした。ちょっとした低木の茂みだ。一枝ごとに、丸く大きくな薄赤色や濃い紫色、爽やかな青色と言った色とりどりな大輪の花が咲いている。だが、近づいてみると、一つ一つが親指程度の小ぶりの花が密集していることが分かる。それが低木のあちらこちらに花開いているので、若緑色の茂みにブーケを差し込んだような感じに見えた。
「紫陽花よ、西大陸の花だったのだけど、王国で品種改良を重ねた結果、丸く美しい花になったの」
ロベリアはナギが近づく前に説明を始めた。
「この葉を使ったお茶もあるのだけど、百合と一緒で毒があるの」
「毒の茶!?」
ナギは目を丸くした。
「毒を好んで飲むのか? 死ぬだろ?」
「大丈夫な種類があるらしいわ。まだ、私は飲んだことがないの。一度は飲んでみたいわ……」
ロベリアは息を零す。作り方は本に記載されていたが、この葉が無毒かどうか分からない。ミルクを入れなくても蜜のように甘い茶、非常に飲んでみたいが自分で作るには技量と葉を見分ける目が育っていない。
「いつか、西大陸に行ってみたいわ」
ロベリアは嘆息交じりの声を感じながら、ポケットからハサミを取り出した。ナギの鱗を薄めたように赤い紫陽花に手を触れると、ぱちっと枝を切る。切り離された紫陽花は、軽く揺れる。葉や花に乗っていた雨露がぷるんと震え、地面に落ちた。
「主? 毒があるのではなかったか?」
「口に含まなければ平気よ。リビングの花が枯れてたから、花瓶に活けようと思ったの」
もう、王都の花屋のときみたいな失態はおかさない。
最初に危険なものは危険だと知らせておく必要があった。ちゃんと説明したので、ナギは分かってくれるだろう。実際、ふむ……と考え込んだ後、ナギは質問してきた。
「花を飾るということは、水につけるのだろう? その水にも毒があるということか?」
「そうね。花から毒が滲み出るかも。だから、水の入れ替えは気をつけないとね」
ロベリアは飾るのに邪魔な葉を切りながら、彼の問いかけに応えた。
ナギは頭がいい。
こうして説明すれば分かってくれる。危険に自分から近づくような真似は、絶対にしないだろう。
「さてと、これを飾ったら、お茶にしましょう。クロテッドクリームができたから、スコーンをお供にする?」
「ジャムやレモンカードの準備もしないとな」
ロベリアとナギは蜂蜜色の壁の家へ並んで歩き始めた。
危機が迫っていることに、気づかないまま。
ハッピーエンド予定で書いています。
次回更新は3月31日の午後です。




