19話 一方、その頃
※今回は王都の話です。
「えー? まだ、王さまは認めてくれないの?」
王城の一室で、不満そうに口を尖らせる少女がいた。
ルージュ・クロックフォード伯爵令嬢。
王子の子を妊娠したと騒ぎ立て、婚約を結ぼうとする娘である。花を模したソファーに座し、黄金を溶かしたような長い長い髪を侍女に梳かせながら、ゆったりと手を伸ばしていた。別の侍女が、彼女の形の良い爪の手入れをしている。
その様子を、童顔の男が天井から覗き見ている。
国王陛下から密命を帯びた童顔の男は、彼女の目を見ないように注意しながら息を潜めていた。
これにルージュに気づく素振りはない。
いつも通り、棘のある口調で侍女たちに文句を垂れていた。
「私のお腹に、子どもがいるのに?」
「ですが、陛下は認めないと一点張りでして……」
年配の侍女が申し訳なさそうに答えると、ルージュは愛らしい頬を膨らませた。
「私、王さまに挨拶をしたいって言っただけなのよ? エリックさまとの子を宿したから、お義父さまに挨拶したいって。婚約も認めてくれないし、ただ話すことも認めてくれないなんてー。
あなた、本当に真剣にお願いしたの?」
「申し訳ありません」
年配の侍女は苦しそうに顔を歪めながら、深々と頭を下げた。
「まったく。エリックも顔を見せてくれないし……嫌になっちゃう」
ぷいっと顔を逸らそうとしたが、髪を結っている途中だと思い出したらしく、痛みを感じる半歩手前で動きを止めた。それでも、わずかに逸らされた顔と寂しそうに潤む橙色の瞳は庇護欲をくすぐり、侍女たちは労しそうに目を伏せた。
「陛下も何を考えていらっしゃるのでしょう?
ルージュ様とエリック王子の面会を禁ずるなんて……」
「王さまは、耄碌なされたのよ」
ルージュは悲しそうに呟いた。
「そろそろ引退を考えるべきなのに……」
「エリック王子が根回しをされています。もうしばらくすれば、陛下は王位を譲ることになるかと」
「そうですわ。
エリック様は、ルージュ様のために身を粉にして働いております」
侍女たちは黄金姫の機嫌を取り戻そうと、エリックの近況を口早に話し始めた。
現に、ただの貴族の一令嬢でしかないのに、エリックが彼女のために城の一室を手配していた。暖かな春の木漏れ日が窓から差し込み、最も流行りの職人が作った可愛らしい家具が揃っている。
「早く結婚したいのに……ねぇ、エリックに会いたいわ。一分だけでも、会えないかしら?」
「すみません、王子は大変忙しく――」
「会いたいって言ってるの。すぐに連れて来なさい」
「ですが……」
年配の侍女が戸惑っていると、ルージュは手入れしてないほうの手を掲げた。くいくいと白魚のように細く美しい指を動かし、彼女を手招きする。年配の侍女が彼女の指に触れると、ルージュは僅かに冷淡な眼差しを向けた。
「私、エリックに会いたいの。いますぐに。絶対に連れて来て、夕方までに!」
「かしこまりましたわ、黄金姫様!」
年配の侍女は彼女の橙の瞳を覗き込むと、先ほどまでの沈んだ表情から一変し、顔じゅうを輝かせながら誇らしげに立ち上がった。
そのまま長年城に仕える侍女らしく、完璧に整った一礼をすると、風のように部屋から去って行った。入れ替わり入ってきたのは、ルージュの母親だった。つまり、ロベリアの母である。
深緑色の髪を背まで伸ばした女性は、白い顔を扇で顔を隠しながら近寄ってきた。
「ルージュ。私の宝石、具合はどう?」
「絶不調よ、お母さま。王さまがお会いしてくれないし、エリックだって来てくれないのよ」
「あらそうなの。それは大変ね……私が手伝えることはある?」
「ないわ。帰って」
ルージュは冷たく言い放つ。
普段の愛らしく清らかそうな彼女とは不釣り合いな声色だったのに、侍女たちは顔色一つ崩さなかった。朗らかな笑顔を浮かべたまま、髪を結ったり爪を整えたり、彼女が口にするとは思えない紅茶を淹れ直したりしていた。
「お母さまには感謝しているわ。私を産み、育ててくださったのだから。でも、これは私の問題よ。勝手に首を突っ込まないでくれる?
しいていうなら、お姉さまを探して来てよ」
「それは駄目よ」
母親は薄橙色の瞳を細めると、ルージュの濃い瞳を睨み付ける。
「あの子には手を出さないの。クロックフォードの娘でしょ?」
「えー、お母さまはロベリアお姉さまを娘だって思ってるのー?」
「あら、面白いことを言うのね」
ルージュが不服そうに尋ねれば、母親は扇の後ろでころころと笑った。
「私は、あの子に手を出せないの」
「ふーん。なら、いいわ。お母さま、もう帰って」
「……そう。貴方がそのつもりなら、それでいいわ。それじゃあね、私の可愛いお姫様」
母親が背中を向けると、ルージュは小さく赤い舌を出した。
彼女は娘の侮蔑に気付いたのか、それは分からない。だが、一言。
「帰る前に一つ、いいことを教えてあげるわ」
母親の薄橙色の目が、まっすぐ天井に向けられた。
身体が蛇に睨まれたように、硬直してしまう。すぐさま逃げようと思ったが、足が全く動いてくれない。まるで、石になってしまったかのように。
「誰かいるの!?」
ルージュは弾かれたように叫ぶと、母親の目線を追って来る。
「―—ッ!」
このままでは、彼女たちに見つかってしまう。
小柄な青年は奥歯を強く噛み、元々仕込んでおいた薬を破裂させる。その刺激が一気に身体中を駆け巡り、痛みで身体を縛っていた恐怖を解いた。
青年は一目散に天井裏を走り出す。どこまで走っても、彼女たちが追って来るようで、息を切らして走りに走った。とにかく追跡を撒くように、走っては止まり、角に曲がっては別の隠れ家を経由して、他の家に入り込んだりと。
青年が、ようやく息をつける場所に転がり込んだときには、とっくに日は暮れていた。
「ネザーランド!? どうした!?」
青年が床に倒れ込むと、青髪の男ランス・ロット以下数名の者たちが慌てて取り囲んだ。
ランスは童顔な青年を抱え込むと、すぐに水を用意させた。彼の背中は真夏のように汗で濡れ、すっかり冷え切っていた。
「あ、あの女を監視、していたのですが……母親に、見つかって……」
「そうか……よく頑張った。ゆっくり休め」
ランスが水を飲ませると、ネザーランドは疲れ切った顔で微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
ランスは部下に彼をベッドで休ませるように命令すると、やれやれと頭を振った。
「……天井の監視が見つかったとなると、別の方法で見張らないといけないな」
国王陛下の命を受け、ルージュを監視しているが上手く進まない。
もっと早くから対策すればよかったと悔いても、今さらの話である。ルージュがロベリアから婚約者の座を盗ろうとしていることは事前につかんでいたし、彼女が不慮の事故されないように、わざと大臣の秘書官に誘い、近くで監視していたのだが、まさか、エリックの方が堕とされるとは予想していなかったのである。
「あの馬鹿王子……陛下の息子だというのに、ほいほい引っかかるなんて!
あんな女を未来の王妃にしたら、国が破綻するのは目に見えているだろうが!」
ランスが頭を悩ませていると、別の部下が案を打ち立てた。
「侍女に紛れ込むのはいかがでしょう?」
「駄目だ。侍女は直接接触する機会が多い。警備の衛兵でも危険だな……」
ランスは腕を組みながら唸った。
ルージュを警備する者は、顔立ちが厳つかったり彼女好みでなかった場合は解雇され、そもそも近づけない。逆に、王子様のようなイケメン的な顔立ちの騎士は、もれなく彼女に触れられ、魅了された一団の仲間入りだ。
「エリック王子を引き離し、魅了を抜こうとしているが……なかなか上手くいかないな。やはり、ロベリア様がいなければ!」
「しかし、足取りが全く掴めません」
ランスが悔しがると、別の仲間がすまなそうに声を上げる。
「一度、屋敷に戻ったところまでは分かったのですが、その先は全く……」
「ひとつ、不確かな情報を手に入れたのですが、実証がなく……」
「なんだ、その情報とは」
ランスが尋ねると、その部下は難しそうな顔で語り始めた。
「ブリオッシュ男爵を知っていますか?」
「ああ。博打好きで節操のない奴だろう? 近々、陛下が取り潰そうと動いているが……」
「その男が、潰されたのです。物理的に」
「は?」
ランスは眉を上げた。
「数日前、若い娘と口論していたらしいのですが、娘に手を挙げようとした途端、どこからともなく赤髪の男が現れたかと思えば、黒い煙が通り中に広まり、煙が晴れると、娘たちの姿が影も形も消え、ブリオッシュ男爵が意識不明の重体で発見されたそうなんです。
肋骨が何本も折れ、内臓も相当のダメージを受けているのですが、奇跡的に急所は外れているので、現在も入院をしてます。
もしかしたら、わざと急所を外したのかもしれませんが……」
「……それで、その若い娘がロベリア様だと?」
満月のような金髪に橙色の温かい瞳。
その特徴は、ロベリアと一致するが、まがりなりにも伯爵家の娘が古びた真紅のエプロンドレスを着ているとは到底思えず、ロベリアの窮地を助けるような赤髪の青年に心当たりはない。
「ロベリア様に高貴な魔力が流れているのは確かだが、こんな数日で空間転移の魔法を習得できるのか……?」
ランスはしばし考えたが、憶測すら難しい事象に頭を振った。
「とりあえず、娘が消えた場所は分かるか? 追跡の魔法で調べてみよう」
「はい! すぐに案内します!」
ルージュを追い出すのも先だが、ロベリアを探す方も負けないほど大事だ。
ロベリアさえいれば、婚約破棄は無効となるし、ルージュを処理する一手にもなる。
「それに、あの御方は……王家のためだ。必ず見つけ出す」
ランスは頬を叩くと、夜の街に繰り出した。
ロベリアを、探し出すために。
※3月17日、一部改訂




