18話 雨の日
「美味しかった……!」
ロベリアは皿を片付けながら、朝食の余韻に浸っていた。
自分で作るをするのも好きだが、ナギが作ってくれた料理は格別だ。心なしか、いつもと同じパンも殊更美味しかった気がする。
「まさか、根セロリがスープにできるなんて……!」
「すまない、主」
反面、ナギは項垂れていた。
人間の姿のまま、世界が滅亡したような絶望顔で洗った皿を拭いている。丁寧に拭いてくれているのはありがたいのだが、こちらが気の毒になるほど落ち込んでいた。
「まさか、薬の調合用の植物だとは思わなかった。
それを使ってしまうとは……俺は……」
「落ち込まないで。私が言わなかったのが、悪いのだから」
ロベリアは言ったが、ナギの様子は変わらない。
「主、気を遣わないでくれ。どうせ、俺は……その程度のドラゴンなんだ」
ナギは呟いた。
まるで、窓の外の雨雲を背負ってきたような空気を纏っている。ロベリアは少し悩んだ後、最後の皿を棚に戻した。そのまま、自分の右手をナギの頭に伸ばした。ナギの方が頭二つ分ほど高いので、普段は到底彼の頭を触れない。だが、今は彼はずん……と頭を垂らして落ち込んでいるので、赤髪に手が届いた。
「私、セロリを美味しく食べたのは初めてなのよ」
ロベリアはナギの頭を撫でた。
見た目的には粗雑な赤髪だったが、触ってみると意外と艶やかだった。ちょっと撫で心地が良い。そんなことをちらっと思いながら、ロベリアは言葉を続けた。
「作ってくれて、ありがとう。私の料理人さん」
「……べ、別に。主が喜んでくれたら、それでいい」
ロベリアが撫で続けていると、ナギはドラゴンの姿に戻ってしまった。ふるっと角の生えた頭を振り、リビングの椅子に飛び乗った。こちらに顔を向けてくれないが、全体的に普段より鱗の赤味が強い。
「それで、主。今日は何をする? 生憎の雨だが」
「もちろん、ナギの服作りよ」
そう言うと、あからさまにナギの空気が変わった。さっきまで照れくさそうだったのに、いつもより少し薄い程度の赤に変わってしまう。ナギは半分だけ顔をこちらに向けた。
「本当に作るのか? 俺の服を?」
「あの服は見てられないもの。奴隷じゃあるまいし……それとも、ナギはドラゴンではなくて妖精?」
「ぶらうにー? 菓子か?」
「家事をしてくれる妖精よ。お礼に服をあげると、家を出ていくらしいの」
本当にいるとは思わないけど、と付け足した。
一般的な妖精でさえ、最近は珍しくなっているのだ。家事をする妖精なんて、もういないに決まっている。第一、そんな珍しい妖精がいたら闇で取り引きされているはずだし、裏社会で有名になっているはずだ。
元上司の大臣あたり、率先して欲しがっているに決まってる。
「ナギは妖精?」
「違う! ……はあ、いい。主の好きにすればいい」
ナギは降参だ、と伏せた。
ロベリアはくすっと笑うと、型紙作りを始めた。
型紙用紙は物置に眠っていた。少し湿っていたが、型紙なので問題ない。そのまま自室の本棚に向かうと、手芸の本を取り出す。隣に長い定規も挟まっていたので、それも一緒に取ろうとしたとき、本棚の奥に小物らしきものが光った。なんだろうか、と指を伸ばしてみる。人差し指が触れたのは、埃を被った瓶だった。
「なにかしら、これ?」
蓋を開けようとしたが、堅くて回らない。
体重で圧すように力を込めてみるが、全くもって微動だにしない。仕方ないので、ロベリアは型紙と本を脇で抱えると、空いている方の手で定規と謎の瓶を持ち、よたよたとリビングに戻った。
テーブルの上に型紙や本を広げていると、ナギが少しだけ頭を上げた。
「大荷物だな、主」
「しっかり作りたいもの。ところで、ナギ。これ、開けられます?」
「ん?」
ロベリアはエプロンの裾で瓶を拭うと、ナギの鼻先に置いてみる。
ナギはふんふんと嗅ぐと、前足を瓶にかけた。
「む……堅いな。……んっ!」
トカゲのような足では、蓋を持ちにくいらしい。首を捻るように力を込め踏ん張ると、ぱかっと空気の漏れる音と共に蓋が空いた。
「どうだ?」
「ありがとう! で、これは……種?」
瓶のなかには、たくさんの種が入っていた。
一粒が爪ほどのサイズで、芋のような薄橙色をしている。どこかでみた形だな、と思っていれば、ナギが興味深そうに瞬きをした。
「これは……カボチャの種だ」
「へぇ……確かに……」
ロベリアは掌に種を広げながら、しげしげと見つめた。
ざっと数えて数十粒。
これを庭に植えたら、秋には大きなカボチャが収穫できるのではないだろうか?
「何作ろうかしら。カボチャパイ、カボチャプリン? 楽しみね」
「そうだな。秋が来るのが楽しみだ」
ナギも賛成するように尻尾を揺らした。
今から夢が膨らむ。ロベリアは心を弾ませると、カボチャの種を瓶に戻しながら話し始めた。
「秋になったら、林檎の実もなるわ。向こうの柵に這わせたブドウも採れるし、栗や木の実もたくさんとれる。
ジャムもそうだけど、果実酒やジュースを作りたいわ。ナギはお酒平気?」
「見くびるな、主。ドラゴンだぞ」
ナギの目が不敵に光った。
前足を組み、その上に顎を乗せると自信たっぷりに笑いだす。
「主こそ弱いだろ?」
「心外ね。私、酒は強いわよ?」
ロベリアも不敵に笑いかえす。
ルージュに勝てる数少ない特技の一つだ。貴族の令嬢なので自慢はできなかったが、ただのロベリアになった今なら思う存分語ることができる。
「ルージュがね、お気に入りの男の子たちを集めて、屋敷で宴会をしたことがあったの」
この国の成人年齢は16歳。
16歳になれば、飲酒も許された。もちろん、度数の高いものは暗黙の了解で禁止されていたが。
あの時、ロベリアは16歳になったばかりで、ルージュは当然飲酒できないが、ルージュが呼んだ友だちのなかには16歳以上もちらほらいた。故に、宴席には酒も数種用意されていたのである。
「私は参加したくなかったのだけど、クロックフォード伯爵邸でやっているのだもの。主催者の家族として、顔も見せないのは失礼でしょ?
だから、顔だけ見せに行った時にね、ルージュが言ったのよ。
『お姉さまはお酒が飲める歳になったのよ! ねぇ、飲み比べしたら?』」
ルージュの甲高く甘い声色を真似しながら、ロベリアは型紙に線を引き始めた。
「ビストール伯爵とか、騎士のブリュッセルとか。
そういう人たちをけしかけてね、どんどんボトルを開け始めたの」
もしかしなくとも、ルージュはロベリアが酔っ払い、皆の前で我を失うのを見たかったのだろう。
実際、彼女は幾度か
『お姉さま、顔がほんのり赤くなってません? まっすぐ歩けます? 歩いてみてくださいな』
とかヤジを飛ばしていた。
ロベリアはまっすぐ歩けたし、あまり顔も赤くならなかった。ちょっと心が前向きになったこと、お酒に後押しされて『ルージュの取り巻きに負けるものか!』とムキになって飲み比べをしたこともあいなり、最後に騎士の男をべろんべろんに酔わせて呂律を廻らなくさせたところで、宴席が終わった。
飲み比べには勝ったが、『はしたなく飲み続ける令嬢』との評判が流れ、父親からきつく怒られたのは別の話だ。
「……この家に酒はあるのか?」
「そうね……昔、ベガと作ったものを貯蔵したものが地下室にあったかもしれないわ」
「探してくる」
ナギは軽快に椅子から降りると、酒を探しに行ってしまった。
赤く揺れる尻尾が角を曲がり、消えていくのを見ると少し寂しい気持ちが芽生えてくる。
「さて、真剣に頑張らなくちゃ」
ロベリアは言い聞かせるように呟くと、型紙と向かい合った。
途中、よく考えたら布に直書きで作った方が楽だったのでは?とも思ったが、ナギに作ってあげる真面な服第一号なのだ。きちんとした物をあげたい。
「上着は……赤髪だから赤色? それとも、瞳の色に合わせようかしら」
ロベリアはくすっと微笑むと、服作りに専念した。
雨が降っている。
とん……とん……と、屋根を打つ。
しんみりとした沁み込むような音に混じって、地下でナギがごそごそと動き回る音が遠くに聞こえた。
秘密の庭に来て、初めての雨の日。
こうして長閑で静かに過ぎていくのだった。




