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17話 夜の森

いつも誤字の指摘、ありがとうございます。



 森は一足早く夜が訪れる。

 ランプに火を灯せど、明るくなるのは手元ばかり。

 道は見えても、先は薄ぼんやりとしか見えない。さほど風が吹いていないのに、木々の擦れる音が異様に響く。それはまるで獣や魔物が唸る声のようだ。


「……うっ」


 フローライトは小さく身震いをしている。

 気が付けば、彼女の細い指がロベリアの手に伸びていた。ロベリアが握り返してやれば、きゅっと力が籠るのが分かった。


「もう少しよ」


 ロベリアが言えば、フローライトは微かに頷くと殊更身体を寄せてきた。

 兄の方も夜の森が恐ろしいのだろう。黒い目を忙しなくきょろきょろと動かしながら、少しでも身体を小さく見せようとしているみたいに背を丸めていた。右手で剣の柄を力いっぱい握りしめ、自分が踏みしめた落ち葉が割れる音に、ひぃっと小さな悲鳴をあげている。


「手、繋ぎます?」


 ロベリアは空いている方の手を伸ばした。

 すると、ジェイドは一度、首を横に振った。


「い、いいえ。僕は、男ですから」

「私が怖いのよ」


 ロベリアが頬を緩ませると、彼はおっかなびっくり指を伸ばしてきた。剣を握り慣れているのか、指にたこができている。

 

「貴方、冒険者を目指しているの?」

「え、僕ですか?

 僕は騎士になろうと思っているんです。三男坊なので、家を継ぐことができないから――」

「私は、魔法使いになりたいの」


 妹は兄の言葉を遮り、ちょっとはしゃいだような声を上げた。

 

「一月後にね、王都に行くの。王都の魔法学校の入試に。それに受かったら、九ノ月から魔法学校の学生よ! それでね――っあ」


 フローライトの声はどんどん大きくなり、最後の方は夜の森一杯に響き渡るほどだった。獣か魔物か、どちらかが大きな声に驚いたのだろう。がさっと近くの茂みが揺れ、本人はしまったと片手で口を押えた。


「大丈夫かしら……」

「主、問題ない」


 ロベリアが身構えていると、ナギが淡々と答えてくれた。


「ただの兎だ。奥へと跳ねて行った」

「良かった……ナギは夜目が効くのね」

「俺はドラゴンだぞ」


 ナギはロベリアの前に躍り出ると、先導するように尻尾を高らかに掲げた。


「明かりが見える。あと十分も歩けば着くだろう」

「よかった……」


 ジェイドが息を零した。

 

「その、ぜひ家に来てください。僕……お礼、したいから」

「お兄ちゃんの言う通りだよ。ロベリアさんとドラゴンちゃんを紹介したい!」

「ドラゴンちゃん……」


 ナギが不服そうな声を出した。

 ロベリアは微笑んだまま、可とも不可とも答えなかった。

 二人には申し訳ないが、送り届けたらすぐに帰るつもりだった。二人が無事ならそれでよいわけだし、礼などされるほどのことではない。


「あ、み、見てください!」


 ジェイドは剣から手を離すと、前を思いっきり指さした。

 少し先の木々の隙間から草原が見えた。風が草原を渡り、葉裏が白く波打っている。そのさらに向こうに、ぽつぽつと家の明かりが見えた。


「誰かいる……あ、あれは!!」


 木々の隙間から、草から少し浮き上がったところに炎が揺れ、黒い影がうようよしているのが見える。

 少し近づけば、その影が松明を掲げた人の影だと分かった。


「お、お母さんー!」

「ここだよ、ここだよー!」


 兄妹はぱっと手を離すと、喜び勇んで駆けはじめた。

 あっという間に木々の隙間を潜り抜けると、草原を仔馬のように走り抜けていく。


「良かった。さあ、帰りますか」


 ロベリアは兄妹が家族と抱き合う姿を遠目で確認すると、もと来た道を引き返した。

 夜が更けてきた。

 奥に進めば進むほど、森は比例するように暗さを増した。兄妹とつないでいた掌の温かさが薄れ始め、少し肌寒くなる。

 けれど、ロベリアは自分が思ったより怖くなかった。


 二、三歩先に、ナギがいた。

 赤い鱗は殊更輝きを増し、ランプの灯りよりも、兄妹の両親たちが持っていた松明の炎よりも明るく、心強かった。


「誰も見ていない。いまなら、扉を開けるぞ?」


 しばらく歩くと、ナギは少し周りを見渡した。

 怖くはなかったが、ロベリアも夜の道をこれ以上歩きたくはなかった。ポケットを探り鍵を取り出す。ナギの鱗同様、小さな鍵は闇の中でも薄ら銀色に輝いていた。


 鍵を差し出せば、ぽっかりと明るくなった。

 たった今ついた明かりの下に、古びた扉が昔からその場に合ったかのように鎮座している。


「帰るよ、ナギ」


 ロベリアは扉を開けた。

 扉を抜ければ、庭は静けさに包まれていた。ハーブもスイセンも石壁に這った蔦草もなにもかも、寝静まっている。昼間、種や球根を植えた土だけが、くっきりと明るく見えた。

 ロベリアとナギは、草花を起こさないように静かに庭を抜けた。


「……はぁ、疲れた……」


 家に帰ると、ロベリアはランプをテーブルの上に置くと、そのままソファーに座り込んでしまう。兄妹たちを寝かせていた場所はすっかり冷え込んでいたが、身体を休めるには丁度良い所にあった。


「主、食事はどうする?」

「……ごめんなさい、ナギ。私、眠くて……すぐに……ちょっと休んだら、夕食を作るから……」


 ロベリアは動けなかった。

 思い起こせば、朝から昼にかけて、ずっと身体を動かしていた。二人の看病をし、森の向こうまで送り届けて帰ってきたのだ。ちょっとくらい休んでも罰は当たらない、と思う。


「主……」

「お腹空いてる……? ごめんね、どうしても無理だったら……たしか、朝の残りのスープが鍋にあるから……温めて……食べて……」


 ナギの返事は聞こえなかった。

 重い重い瞼を閉じた途端、それっきり意識が途絶えてしまった。





 目が覚めると、ロベリアはベッドに横になっていた。

 服はそのままだった。

 おかしいな、ソファーで横になったはずなのに……と身体を起こせば、足元ではナギが丸くなり、寝息を立てていることに気付いた。


「ん……うう、ん。ああ、主。起きたか」


 ロベリアが動くと、ナギは大きく伸びをした。ぐわりと口を開け、白い牙が光る。


「主は、あまりにも気持ちよさそうに寝てたから起こすのが忍びなくてな……昨晩、ここに運んだ」

「昨晩……? あ!?」


 ロベリアははっとした。

 部屋が夜にしては明るい、と思ったら、もうすっかり朝になっていたのだ。とはいえ、太陽は出ていない。窓の外は雨で、庭は灰色に沈んでいた。


「ごめんなさい。夕食作れなかった」

「残りのスープとパンを食べたから大丈夫だ」


 ナギはそう言うと、一枚の紙を渡してきた。

 今朝、渡してくれた身長と体重が記載された紙だった。加えて、肩幅や足の長さなどが事詳細にまとめられている。ロベリアの格式ばった字より少し丸目で、可愛らしくも丁寧な字だった。下に線を引いたかのように、まっすぐ揃えられている。


「ナギ、ありがとう。それにしても……丁寧な字を書くのね」


 ドラゴンは粗雑なイメージだったが、前言を撤回する。

 ナギは几帳面だ。もしかしたら、自分より物事を丁寧に進めるかもしれない。


「風呂に入ったら、すぐに朝食の支度をしますか」


 ロベリアがくうっと伸びをすると、ナギは軽快にベッドから降りた。


「なら、俺は先にリビングにいる」

「……そういえば、ナギはお風呂に入ったの? 良かったら、一緒に――」

「断る!!」


 ナギは滅多に出さないほど大きな声で断言すると、逃げるように部屋から出て行った。

 ロベリアは彼の背中を見送ると、風呂の支度を始める。


 ナギは仕事の手伝いを頼んだ時や身支度をする時以外、ロベリアの傍から離れない。

 風呂に入るときも同様だ。

 元飼い主から無理やり奪い取った当日は、ぼろぼろの泥だらけの状態のナギを風呂に入れるのに苦労した。非常に弱っているのに、どこにそんな力が残っているのか!?と思うほど激しく抵抗したが、取り押さえて洗ってあげた。

 それ以後も、なんどか風呂に誘っているのだが、頑なに一緒に入りたがらない。


「雄だから? 別に気にしないのに」


 ドラゴンのナギは可愛らしいドラゴンだ。それ以上でもそれ以下でもないのに。



 ロベリアはそんなことを考えながら風呂と身支度を終えると、腕をまくりながらリビングへ急いだ。

 

 ところが、である。


「主、作っておいたぞ」


 そこには、人間姿のナギが待っていた。

 赤髪のナギがフライパンを振っていた。先日、市で買った卵を器用に割り、目玉焼きを作っている。テーブルには、先に出来た目玉焼きが皿に乗っており、隣の椀には薄黄色のスープが湯気をあげていた。


「ごめんね、私が作るのに……」

「たまには、俺が作る。別に嫌いじゃない」


 実際、ナギの横顔は楽しそうだった。

 基本、この状態のナギは表情が少ない。基本、黙々と仕事をするか恥ずかしそうに目線を合わせずに耳を赤らめるかだ。

 今のナギは、まるでふんふんと鼻歌でもしそうな空気がある。


「ほら、俺の分もできた」


 ナギは自分の分も用意すると、いつも座っている場所に腰を下ろした。


「主、食べてみろ」

「そうね……それじゃあ、いただこうかしら」


 結果、ナギの料理は物凄く美味しかった。


 卵は良い感じで半熟に仕上がり、ナイフを入れた瞬間、とろっと黄身が流れ出た。自分ではこんなに上手くできないし、下手したら伯爵家で食べていた目玉焼きより美味い。


「どうだ、主?」

「美味しい。これまで食べた目玉焼きで一番かも」


 ちょっと悔しいな、と思いながら、ロベリアはスープを飲んだ。

 ナギは何も答えない。

 すっと目を上げると、ナギは笑みを浮かべていた。満面の笑み、というわけではない。森のような深緑色の瞳を緩め、いつも固く結ばれている口元がスプーン一杯分だけ微笑んでいる。


「良かった……気に入ったか」


 心から嬉しそうに、ナギの優しい口元から言葉が零れた。形の良い耳の先と頬のあたりが朱に染まっている。

 こんな笑顔、初めてだ。

 ナギ以前に、これまでの人生で一度も見たことのない笑顔だった。

 ロベリアは、ちょっと呆然と見入ってしまう。指から匙が落ち、ことんと椀の縁に落ちたところで、ロベリアはやっと我に返った。

 

「う、うん、物凄く美味しいわ!」

「主? どうした? ちょっと顔が赤いぞ?」

「そんなことないと思うけど……?」


 指摘されて初めて、顔が熱くなっていることに気付く。

 ロベリアは熱を紛らわすように匙を持ち直すと、急いで別の話題を探すことにした。


「ところで、このスープ。初めて食べるけど、何味? 芋のスープ、ではないわよね?」

「ああ、これは根セロリだ」

「え?」


 本日、二回目。

 根セロリのスープ?


 気が付くと、ロベリアは再び匙を落としていた。








次回、更新は14日の17時を予定してます。



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[一言] 根セロリ? 食べた事無いなぁー。
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