12話 夕食の頃に
ロベリアは窓の外を見る。
庭は夕焼けの余韻に浸っていた。
つい数分前まで、近くの木の葉の数まで分かったのに、今では薄闇に紛れて見えなくなってしまっている。手元もだいぶ暗く、ロベリアは灯りをつけようかと思い始めた。
夕食の準備は大詰め。
パンはよし、スープもよし、サラダもよし、あとはメインが焼き上がるのを待つばかり。
ロベリアは確認をした後、さてランプに火を灯そうかと振り返ろうとした途端、ぱっと視界が急に明るくなった。
「主、終わったぞ」
必要なランプ全てに明かりが灯っていた。
ロベリアがぽかんとしていると、ドラゴンのナギが天井のランプ器の傍から、すうっと翼を広げて降りてくるところだった。
「私がやるのに……いつもごめんなさいね」
「主、気にするな。それに俺は炎種だぞ? 火を吹くのはお手の物だ」
ナギは得意げに胸を張った。
「ふうっと吹くだけだ。それで全部終わる。ところで、主。そっちの火は良い具合だと思うが」
「え?」
ナギがくいっとオーブンの方へ頭を向ける。
ロベリアもつられて見れば、ちょうど香ばしい肉の匂いが鼻をくすぐった。
「本当だ! ナギ、教えてくれてありがとう」
「礼はいらない」
ロベリアは手袋を嵌めながらオーブンに駆け寄った。
扉を開ければ、薄らとした煙と共にお腹を揺するような香りが部屋いっぱいに広がった。トレイにはミートパイが四つ、お行儀よく並んでいる。焦げ目の付いた黄金色のパイはロベリアの顔より一回り小さい。
「四つも食べるのか?」
作業をしていると、後ろからナギの声が聞こえてきた。
「二つは朝の分よ」
ロベリアは答えながら、パイを皿に乗せる。
そのとき、ふと後ろで何やら足音が聞こえてきた。どうやら、台所とダイニングを行き来しているらしい。
きっと、ナギの足音だ。
ナギが人間に変身して、先に用意したパンやサラダを運んでいるのだろう。
そう思うと、ロベリアは無性に振り返りたくなった。
ナギが人間に変身できることは分かったが、実のところ――あまり良く見ていないのである。
自分を庇ってくれた後ろ姿は、はっきりと覚えている。
しかし、顔を見ていない。
ナギは一度も振り返らず、姿を隠すように煙幕を張った。
そのおかげで助かったのだが、庭に戻ってきたときには普段のドラゴンの姿で、それ以降、人化した姿を見ていない。
かといって、「人間の姿を見せてくれ」とは言いにくかった。
なにせ、ナギは自分を助けてくれた瞬間まで、その事実を隠そうとしていた。
ロベリアには分からないが、彼のなかで人化は葛藤があることなのだ。
そのあたりの事情を根掘り葉掘り聞くのは失礼だ。彼が話したいときに話してくれるのなら、それで良いと思っている。
だが、自らの意思で変身しているなら別だ。
ぜひとも彼の姿を見てみたい!
ロベリアはオーブンの片づけを素早く終わらすと、思いっきり振り返った。
「ナギ、パイの準備ができたわよ」
「ああ、主―――ッ!!」
赤髪の青年が見えた!と思った次の瞬間、するするするっと縮んでしまう。
あっという間に、子どもサイズの小さい身体。
床に蹲っていたのは、林檎のように赤い鱗のドラゴンだった。
「ナギ、その……ごめんなさい」
ロベリアは屈みこんだ。
しかし、小鹿のような角を生やした頭は恥ずかしそうに俯いている。おかげで、切れ長の深緑色の瞳と目が合わない。
「手伝ってくれていたのね、ありがとう」
「…………すまない、主」
ナギはかすれ声で囁いた。
「見苦しいものを見せた」
「見苦しい……?」
ロベリアは瞬きをする。
ナギの言った意味を理解するのに、瞬き二回ほどの時間を要した。
「ナギの姿が?」
ロベリアは目が点になった。
しかし、ナギはこの事態を深刻に捉えているらしい。いまだに目を合わせてくれない。それどころか、ますます頭を丸めて、苦しそうな声で話し出した。
「俺の姿は、あまり好まれる姿ではない。とくに、女性には」
「……つまり、自分のことが醜いと?」
不思議そうに尋ねれば、ナギは案の定というべきか。わずかに頷き、質問を肯定した。ナギは、まるで世界が滅亡したかのような空気を出している。
ロベリアはその姿をしげしげと見た後、
「……っくっく、ぷっ、あはははは」
思いっきり、高らかに笑ってしまった。
最初こそ奥歯を噛みしめ堪えようとしたのだが、あまりにもおかしいものだから噴き出してしまった。そこからは、もう笑いが止まらない。
歯が見えるほど大きく口を開け、お腹を抱えて笑ってしまう。
子どもの頃以来の令嬢らしからぬ大笑いは、薄ら涙が浮かび始めるまで続いた。
「主……?」
今度は、ナギがぽかんと口を開ける番だった。
床にめり込みそうなほど俯いていた頭を持ち上げ、こちらを呆然と見つめている。
「ごめん、ごめんなさい……本当、おかしくて」
ロベリアは指で涙を拭った。
「私、その程度で嫌うような女に見えます?」
今度は目が合った。
深緑の瞳の奥に、見たことがないほど表情を崩した自分の姿を見つけて、また頬がピクピク動き出しそうになる。ロベリアは胸に手を置くと、一度深呼吸をした。昂った気持ちが落ち着くのを待ってから、ナギに語りかけた。
「あの男から、ナギが助けてくれた時……とてもカッコ良かったわ。
これまでの人生で出会った、どの男よりもずっとずっとずっと」
そもそも、自分を助けてくれた男はいなかった。
知り合いの男はルージュの取り巻きだったし、上司には嫌われた。同僚は知り合い以上友達以下で、婚約者は最悪最低な男である。
自分が誰かを助けることはあっても、救われることは一度もなかったのだ。
「顔が醜い? 大事なのは心よ、心。顔で差別する奴なんて、最低だわ。そう! 顔が良いから何でも自由に願いを叶えられるとか、大きな間違いなのよ!」
話し始めると、だんだんと熱がこもってくる。
17年間、ずっと押さえ続けてきた鬱憤が込み上げてくるようだった。
「勘違いしないで、顔が綺麗で心も素敵な人は世界のどこかにいると思うわ。
だいたい第一印象は顔だものね。醜いのは不利よ。隣に美しい人がいたら、絶対に比べられるもの。綺麗な人に見惚れた後、隣の人を残念そうに見るのよ。まあ、理解できるわ。
大事なのはその後、人間性を見ないといけないの!
美しいからって、見境なく男に手を出して、あまつさえ私の婚約者を寝取って妊娠するような女は最悪ね!
顔が綺麗なだけの女に、ころっと騙される馬鹿王子の気が知れないわ。ルージュに比べたら、私のなんてその辺の雑草よ、見た目は。認めるわよ、雑草だって。でも、あーもう! どうして、毎日別の男といちゃいちゃしてる女に引っかかるのかしら! 会う機会が少ないからって、ルージュの魅了に陥落するな、馬鹿王子――!!」
ひとしきり叫んでから、ロベリアは我に返った。
最初の笑いが生み出した高揚感が尾を引いてしまった。最後まで言い切った時は、奥底でくすぶっていた気持ちが一気に開放され、大空に飛び出したような爽快感が身体の隅々にまで染み渡った。
だがしかし、これはナギへの答えではない。
特に後半は、ルージュとエリックへの罵詈雑言である。
ロベリアは一瞬、さすがに引かれたかな……と、さあっと血の気が引いて行く思いがした。
ところがである。
「……、っくっくっく」
ナギは噛み殺すように笑っていた。
全身を覆っていた悲壮感は微塵もなく、心地よさそうに微笑んでいる。
「……ナギ?」
「主、一つ間違ってるぞ」
ナギは目元を緩めると、後ろ足で立ち上がった。
「主は雑草じゃない。俺の太陽だ」
「太陽……?」
「ルージュって、屋敷であった女だろ?
あんな奴より、主が百倍好きだ! だいたい、あの女は変な臭いがした。あの目は嫌いだし、気持ち悪い」
「あ、ありがとう……」
正面から褒められて、ロベリアは気恥しくなった。
なんとなくナギの顔を直視できなくて、少しだけ目を逸らす。
「でも、ルージュはそんなに臭かったかしら……?」
ロベリアが再びナギに顔を向けると、ドラゴンの姿は消えていた。
代わりに、ナギが立っていた場所に長身の男が立っていた。
林檎のような赤髪を伸ばし、後ろで軽く結わいている。自分の顔に自信がないのか、前髪で半分目元が隠れていたが、切れ長の目が見えた。
「ナギ……」
ロベリアの視線は顔から身体全体に移る。
顔だけ見れば、人間に見える。
少し痩せてはいたが、服の上からでも筋肉がついてることが分かる。
だが、背中の両翼が人外だと現していた。
縮めているが、それでも肩から尻の辺りまでの高さがある。思いっきり両翼を広げれば、人一人くらい軽く包み込めるほど大きいのではないだろうか?
尻尾は見覚えのある。上面に凹凸があり長く伸びていたが、太さは切り株ほどになり、ぎこちなく揺れていた。
「……主……やっぱり……」
「全然醜くないわ」
ナギが何か言いかけたが、ロベリアの方が先だった。
「鼻もすっとしているし、顔立ちも整ってるもの。カッコいいと思うわ」
「……本当に?」
「本当よ!」
ロベリアはナギの手を握った。
武骨な硬い手だった。爪は人のものより鋭く、肌のところどころに赤い鱗がへばりついている。ランプの灯りを受けて、鱗の一枚一枚が宝石のように輝いていた。
「野性味があるっていうのかしら。私は好きよ」
ロベリアが褒めれば、薄っぺらく尖った耳が動いた。
頬の辺りが薄ら赤く染まり、尻尾を嬉しそうに振っている。
「そうか、良かった……!」
ナギが笑うと、口の隙間から牙が見えた。
「でもね、ひとつ駄目なところがあるの」
しかし、ロベリアは肩を落とした。
これから、ナギに残念なことを伝えないといけないからだ。ナギは見るからにしゅんっとなった。顔つきは男前なのに、眉を下げて悲しそうにしている。
「駄目なところか?」
「そうよ。その服が駄目なの!」
びしっと指摘してやる。
色素が抜けきったよれよれのシャツ。先端がぼろぼろで糸くずが飛び出ているズボン。
正直、これだけは見過ごせない。
ロベリアは手を解くと、その指先で服に触れた。
「在庫処分の品より悪いわ……予定変更よ、ナギ。
明日から畑に専念しようと思っていたけど、貴方の服作りの方が大事ね」
「え、主? 俺の服なんて、どうでも――」
「よくないわよ。
安心して。私、こう見えても裁縫は得意なの。布は……まあいいわ。この家に置いてある布の方が、ずっとましだから。確か、そこの引き出しにメジャーがあったはず……!」
ロベリアは戸棚からメジャーを取り出すと、意気揚々と身長を測ろうとした。
つま先立ちで身体を伸ばせば、ぐっと距離が縮まった。ナギの顔が目と鼻の先に見える。ロベリアはナギの顔を一瞥すると、そのまま肩にメジャーを近づけようとした。
「えっと、まず肩から……」
「主!!」
ところが、ナギは顔を鱗以上に赤く火照らすと、あっという間にドラゴンの姿に戻ってしまった。
「ナギ、あの姿に戻って。サイズが測れないわ」
「お、俺の服なんて、どうでも良いから! それより、夕食にしよう! ほら、冷める!」
「すぐ測れるわ、ほんの数分よ」
「やめてくれ!」
ナギはテーブルの向こう側に隠れてしまった。ロベリアが近づけば、また反対側に逃げようとする。
近づいては離れ、逃げたと思えば捕まりそうになり。
夕食の前のちょっぴり長い攻防戦は、2人のお腹が鳴るまで続くのだった。




