とあるメイドと庭師の昔語り
ここからは4章エピローグ的な話です。
「ただいま。」
ベレー帽を脱ぎながら老紳士が笑顔を向けると、開いた扉の先の老婦人が微笑んだ。
「おかえりなさい、どうでしたか。」
老婦人は椅子に掛けた夫と入れ替わりに立ち上がり、お茶の準備をする。
リース家のメイドだったこの妻は、お茶を淹れるのが非常に上手い。少しすると良い香りが漂い、老人の鼻腔をくすぐった。
「少し見んうちに新しい店がたくさん出来とったぞ。お前さんの好きそうな菓子もあった、一緒に食べよう。」
「まぁ、嬉しいこと。」
夫が差し出した菓子を見て頰を綻ばせる。
この人はかつて自分を口説く時もこうして王都土産を口実に会いに来たわね、と懐かしさに目を細めた。
「そういえば、帰りの馬車でお屋敷の客人と一緒になったよ。」
「あら珍しい。どんな方かしら。」
夫婦が勤めていた間、リース家も頻度は少ないが人並みに茶会などを催していた時期があり、客人が来ることも普通だったのだが、ある件があってからは催しもなくなり訪問者はパタリと途絶えた。
訪れるのは役人や騎士など、領地運営もしくは騎士団の仕事の関係者のみであった。
「青年とお嬢さんの変わった二人組じゃったな。お嬢さんの方は、いかにもセシル様の好きそうな………」
そう言って老人はただでさえ少ないリース家の催しがなくなった原因の三男の顔を思い浮かべる。
「ようやくご友人ができたのかしらねえ。」
「だと良いのう。そのお嬢さんにうっかり人形の館と言ってしまったんでな、焦ったよ。」
「あなたケヴィンにもあの話を吹き込んだでしょう。全く、セシル様がせっかくのご友人に怖がられたらどうするの。」
老人は、今年から屋敷で庭師として働き始めた孫のケヴィンに、リース家三男の起こす怪奇現象を面白おかしくホラー感たっぷりに伝えた前科がある。
ただそれが無くとも、リース邸は「生き人形の棲む館」として怪しい噂とともに恐れられているのだが。
「なに大丈夫だ、人形がたくさんあるとか適当に誤魔化しておいたわ。」
実際、使用人の間では確かにその内装や可愛らしい家具、三男の収集した人形などから「人形の館」と呼ばれるようになったのが始まりではあった。
ただし領民や貴族にまで知れてしまったのは、それとはあまり関係がない。やはり三男のせいである。
「ならいいけれど。でも、セシル様のことだから結局自滅なさるかもしれないわねぇ。自分のしたいことには制御が効かない方だから。」
「あぁ、あの時はびっくりしたなぁ。」
「まさかあんな遊びをなさるなんてねぇ。」
夫婦がしみじみ思い出すのは、今から4年半ほど前。
事件は、春の花咲く庭でリース家主催の茶会が催された時に起こった。
「一人で何してるの?」
庭で遊ぶ子供たちの集団から離れ、ふらりと薔薇園に出た少年。その背後から、可憐なシルエットが現れた。
「少し、人酔いして………」
「そーなの? じゃあ一緒に木登りしよっ!」
戸惑う少年を力強く引く少女。木登りをするような活発な貴族令嬢は初めて見る少年は、強引に引かれるままに木の元へと辿り着いた。
「登れるの?」
「うん! キミは?」
「いや………ぼくは、父上に怒られるし…。」
まごついていると、痺れを切らした少女が先に木に手を掛ける。
「手伝ってあげるから、ほら!」
「危ないよ、それに君ドレスだし………っ!」
手を握られ、引っ張り上げられる。
「大丈夫大丈夫! ねっ?」
見上げた笑顔は逆光で見えづらいが、屈託無く笑いかけてくる姿は眩しい。初めての木登りへのドキドキか、それとも別の意味でか。少年の鼓動は高鳴った。
「う、うん……………」
慣れた様子の少女になんとか助けられながら登りきり、ようやく太めの枝に腰を下ろす。
「ほら見て! すっごく良い景色でしょ?」
「…うん、そうだね。」
木の上から見る景色は、そんなに高くまでは登っていないにも関わらず、特別に新鮮に映った。
少年は思わず顔を綻ばせた。
「良かったぁ。キミ、元気なかったから。」
自分を元気付けようとしてくれたのだと知って、少年は心が温かくなるのを感じた。ずっとこのまま隣で景色を見ていたいと思った。
「ここお気に入りの場所なんだ。他の人には秘密だよ?」
しかし少女はそう言うと立ち上がり、ひらりと器用に枝を伝って木を下りていく。
追いかけようとするが、木登りに不慣れな少年は下りることが出来ない。
「────あ、ま、待って……!」
ようやく少年が言葉を発すると、既に地面に着地した少女はスカートを翻しながらからかうようにくるりと一回転した。
「ふふ、またね。」
にっこり笑って走り去る少女。
追いかけられなかった少年が木から下ろされたのは、数十分して通りかかった庭師に助けられた時だった。
またある者は、建物の陰で休んでいる時にそれに遭遇した。
「何をしているんですか。」
角の向こうから聞こえる不規則な足音にそちらを覗けば、少女が一人ステップの練習をしている。
「わ、見られちゃった……恥ずかしい。」
顔を赤らめ足を止める少女。
「何をしているのかと聞いているんです。」
「ダンスが苦手で………誘われないうちに逃げてきちゃって。練習してるんです。」
確かに、向こうでは茶会の参加者の子供たちがダンスを始めていた。自分もその空気が苦手で離れてきた少年は親近感を持ち、少し気を緩めた。
「………私もだ。ああいう騒がしいのはどうも苦手だ。」
「じゃあ、お邪魔でした……か?」
少年のセリフに対し、自分も騒がしいのではと気にしたのか、上目遣いに恐る恐る窺う少女。
「あ、いや、………一人で練習しても上達しづらいだろう。付き合ってやってもいいが。」
「本当ですか? 心強いです!」
両手を取って嬉しそうにピョンと跳ねた少女に一瞬目を奪われる少年。
一通りステップで気になるところなどを指摘した後、人気のない廊下で通しで一緒に踊った。
小鳥のさえずりをバックに二人が楽しそうに踊る姿は、まるで童話の一幕のように穏やかで微笑ましい。軽食の追加を運んでいたメイドは遠目に二人を見てそう思った。
「あ、もうこんな時間! 行かなきゃ……」
「お、おい………!」
突然思い出したように走り去る少女が向かった先、追いかけて角を曲がった少年が誰もいない廊下を見つめて立ち尽くす────そういった光景を同じ日に三度見るまでは。
「あの頃からセシル様は隠し通路に詳しかったわねぇ。」
「あぁ………。あの隠し通路は、古い使用人なら知っておるし、封鎖した方がいいんじゃないかのう。」
ああも頻繁に使っていては、知る者も出てくるというもの。しかし防犯上の問題に関しては、セシルが自身で鍵を取り付けたり仕掛けをしてあるので、実際は入り方まで知っている者はおらず危険はなかった。
なお、当主のセドリックは「誰かが通路に潜んでいても気配でわかる、捕まえる場合は壁を破ればいい」と考えていたので放任していた。
「本当に、あの日は何かに化かされているのかと思ったわ。」
「お前は最初からセシル様の仕業と分かっておるからいいがな、わしなんて木に登って下りられないお坊っちゃんを何人も見るものだから、自分の頭がおかしくなったのかと思ったぞ。」
老人はその日、行く先々で果物の如く木になっている少年を見かけ、大変混乱した。流行りにしては皆で遊ぶのではなく一人ずつなので、不気味に思いながら全員を下ろして回ったのだった。
「想像したら面白い光景よねぇ。」
「笑い事じゃないわい。」
実際、当時笑っていたのは三男だけである。
というのも、茶会翌日から存在しないリース家令嬢への婚約打診が殺到したのだ。
初めの挨拶の際に夫人の横に居たことからリース家の者ではと推察され、招待したあちこちの家から是非お嬢様を婚約者にとの声がかかる事態に発展。持ちかけてきた全員に「うちに娘はいませんが」と返答したところ、あれは幽霊だの生き人形だの集団催眠だの噂が飛び交い、最終的に少女の霊が人形に乗り移って動いたという説に落ち着いた。
これを受け、当主と夫人は邸宅での催しを控え、三男の催し参加を禁止した。
それで収まったかと思った矢先、再び事件が起こる。
翌年王城で開かれた、第二王子レオナルドの友人・婚約者候補にと同年代の令息令嬢を集めたパーティにて………と、ここまで来れば誰しもが最悪の事態を予測し、三男欠席の流れに傾いた。しかし王家の誘いを断る訳にもいかず、きっちりと令息らしい格好をさせて出席の運びとなった。
「レオナルド殿下のことを考えると、そちらはまだ笑い事ですよ。」
老婦人はその時のことを思い出す。もっとも、この夫婦はパーティには同行していないのだが、当時耳にした内容はこうである。
持ち込んだドレスに着替えて婚約者候補の令嬢に紛れた三男が複数の貴族子息に接触し、一目惚れさせることに成功。
その中にはレオナルド王子もおり、後日友人である次男セオドアにそのことを相談したことで、事が発覚。
その時セオドアが放った一言「妹は男だぞ」は、今なおレオナルドの忘れられない言葉上位にランクインしている。
「初めにお話しになったのがセオドア様で良かったわい………」
「大事になっていたらと思うと、背筋が凍る思いでしたわねぇ。」
幸い、王子とセオドアのやり取りで話は収まり事なきを得たが、この件で三男はどのパーティにも出禁になった。
友人が出来ないのも、ほぼこのせいである。
ステキな恋をプレゼントしただけなのに………とは三男談。
「まぁセシル様は見た目だけならご令嬢たちに負けておらんからな………。」
「女性だったら本当に国を傾けたかもしれませんから、まだ幸いだったかもしれませんよ。」
遠い目をした夫婦は、かつて自身が勤めていた屋敷の方角を見る。
この晩嵐になるのだが、今はただ穏やかな秋空が窓の向こうに広がっていた。




