76 就寝する
「セシ、ル………」
廊下の突き当たり、椅子から落ちて倒れるマリーちゃんの隣からセシルが現れた。
ぼんやりオレンジに揺らめくランプに照らされ、その姿はさながら生き人形のようである。
セシルと面識がなかったら、何かが取り憑いて動いてる人形か子供の霊だと思って、叫んで逃げ出していた可能性が高い。
「どうしたの?」
ランプを掲げながら、私の表情をまじまじと見てくる。
「お、驚かさないで………心臓に悪いわ。」
「怖かったの?」
セシルからくすくすと笑い声が漏れる。
次いで、涙目になっていることを指摘された。
暗いのに要らんことに気付きおって……
「びっくりしただけよ。」
「一緒に寝ようか? 部屋来る?」
「一人で寝れるわ。」
一度寝たらこっちのものなんだから。
「そーお?」
残念そうな顔で可愛く首を傾げても断る。
なんだかこう、薄々思っていたのだがセシルはぶりっ子なのではなかろうか?
初めの挨拶の時なんかは完全にぶッていた。
時間が経つにつれてだんだん素が出てきているというか、悪戯っ子を感じるというか。上手く言えないが、こいつと一緒に寝たら怪談話をされたり驚かされたりしそうな予感がする。
「ランプ切れちゃったんでしょ? 予備は一階まで行かないと無いから、部屋真っ暗になっちゃうよ。心細くない? 」
表情の端から嬉しそうなオーラが漏れている。
本当は部屋の灯りを点けられるんじゃないかとか、普通予備のランプくらいセシルの部屋にあるんじゃないかとか疑っているが、まぁいい。
私は眠い。
これなら寝られるので問題ない。
寝た後なら霊が出ようが騒ごうが、好きにしてくれ。
「ありがとう、でも今日はもう寝るから大丈夫よ。」
セシルと別れて部屋に戻る。
本当に真っ暗だった。雷の光でベッドの残像を焼き付け、そこに向かう。転がり込むと柔らかい肌触りのシーツが身体を包み込んだ。
真っ暗と言っても、普通に考えたら私の家なんぞ木に囲まれているのでいつも暗い。
廊下で手持ちのランプが消えて慌てたけど、屋敷内にはそれなりに灯りがともっていたので支障はなかった。ホラーっぽい雰囲気にのまれて無駄に不気味に感じてしまったわ。
近くに狂信者の村があり魔物の出る森に囲まれた山小屋の方がよっぽど恐怖度数が高い。麻痺していた。やれやれ。
そういえば、セシルは何故あんなところにいたのだろう。
あそこは突き当たりで、掃除用具入れみたいなドアしかなかった気がする。他人の家だし、外観からの感覚よりも大きい空間で、何かの部屋があるのかもしれないけど。
にしても、この時間に何を………
……まぁいいか、考えても仕方ない。寝よ。
◇
三階の静けさとは打って変わって、一階の談話室では煌々と明かりが灯り、談笑する声が時おり廊下に漏れていた。
「あらぁ、またセドリックの負けね。」
「ミネットさん、お強いですね。」
チェス盤を見下ろすジルベールがミネットに声を掛けると、穏やかな女主人はソファに沈むようにもたれかかり息を吐いた。
「わたくしがこの人に勝てるのはこれくらいだもの。勝てるところは勝たせていただくわ。」
にっこり微笑む目線の先では、セドリックが無表情のままワインを傾けている。
「ふふ、この人ったらこれで悔しいのよ。」
「なるほどなるほど。これは悔しい表情なんですね。」
「ええ。顎に少し皺が寄っているでしょう。あれが証拠よ。」
言われたところを見つめるジルベールの瞳孔が僅かに開いて元に戻る。
「………確かに!」
「でしょう、これでジルベールさんもリース家マスターに一歩近づいたわね!」
はしゃぐ二人に、一家の主人は無表情のまま立ち上がった。
「先に寝る、ゆっくりするといい。」
部屋を後にする背中に向かって、おやすみなさい、と声を掛けてからそれぞれ時計に目を移す。子供たちはもう寝た頃だった。
「もう遅いし、あと一戦だけにしましょう。」
「ミネットさん強いからな~。」
対面に腰を下ろした客人もまた、あまり触ったことがなく所々ルールを忘れていたと言う割に、なかなか出来る。
「わたくしに勝てたらとっておきのティーカップをあげるわ。」
「勝てる気満々ですよね。」
女主人の唇から、ふふ、と微笑が漏れる。
「ミネットさんが勝ったら景品は何が良いですか?」
「そうね…………わたくしが勝ったら、明日のおやつをお願いしようかしら。」
思わぬ対価に、悪魔が目を瞬く。
「ジルベールさんのお話を聞いていたら、食べてみたくなっちゃったわ。」
既に明日のことを想像してか、女主人の顔はほころんでいる。話というのは、恐らくセドリックが部屋を出る前、談笑していた内容である。
焼き菓子がいいかしら、との言葉に、女主人の勝利のイメージが見えた。