63 幼馴染は狂喜する
あぁ、なんて僥倖、まさに幸福の坩堝。
遠く市場の一角に見える銀糸の髪を視界に捉え、心が温かなもので満たされるのを感じていた。
ザックスの報告で魔女がミスティアであるかもしれないと知らされ、確認の為に馬を乗り継ぎ王都まで来て数刻。王都に残って魔女の所在を追っていた彼と合流し、僕は市場に来ていた。
ただでさえ人の多い王都で、さらに人の集まるこの場所。これだけ人が居ても彼女の姿が目についた。
思えば父が王都近くの町で仕事があり、連絡を受けてから比較的短時間で来られたのは幸運だった。それでもあまり長く滞在出来ないので限られた時間で見つけられるか心配していたが、杞憂だったようだ。
最後に見た時よりも背も髪も伸びているが確かに彼女だ。
あの日、僕を見たアメジストの瞳。潤んで光を反射して、ただ僕だけを捉えていた瞳。息を漏らす唇。必死で僕に縋るか細い手。忘れるはずがない。
魔石があるのに火事であっさり死ぬのはおかしいと思っていたけど、逆に思ったより魔石に適合していたみたいだ。
蘇生の為にいろいろと考えていたことが必要なくなったが魔女を捕獲しようと調べていたことは使える。
「ザックス、行こう。」
身を翻し、市場から離れる。
「え、もういいんですか?」
「うん。」
「ミスティア嬢だったんですよね? てっきり話しかけに行くものかと………」
「今出て行っても仕方ないからね。それより、やることができた。」
ザックスはよく分からないといった表情のまま僕の後について来た。
「ここは……」
市場や住宅街を抜け、人目につかないよう歩く。王城の傍の森の中、牢獄塔が見えてくると、随伴した彼が怪訝に塔を見上げた。
「ちょっと話を聞こうと思って。」
「…盗賊、ですか?」
塔の中には、ミスティアと接触した処刑待ちの盗賊が収容されている。この収監場所を特定した本人なのに、自信なさげに尋ねてくるのが少し可笑しい。
「一応、下準備はしてあるんだ。ただ魔女を捕まえるだけなら面倒だしいいかと思っていたんだけどね。」
誘拐の件とザックスの報告で、薬物が効果があることは分かっているけど……実際に相対した盗賊なら、もっと色々と知っているかもしれない。
殺すより捕まえておく方が難しいからね。情報はあった方がいい。
「捕まった盗賊のほとんどは錯乱状態ですよ。」
「君の報告で知ってるよ。」
牢獄塔に悪霊が出るんだっけ?
おばけなんて、怖い話だよね。
「でも、まだ話が出来そうなのが一人くらいはいるだろう。」
「はぁ……牢獄塔に忍び込んで、魔女について盗賊から聞き出せばいいんですか?」
「いや、僕が行くよ。」
自分が行くつもりで侵入経路を探し始めたザックスが、呆気にとられた顔で僕を見る。
「しかし、盗賊に尋問……は問題ないとして、見られずに侵入するなら自分の方が適任では?」
彼は、僕が尋問の得意な人種と勘違いしているらしい。
「あはは、拷問みたいなことはやらないよ。得意じゃないし。」
盗賊に近付いてうっかり怪我でもして、他人に何の怪我か聞かれたら面倒だからね。
「………そうですか。」
「目撃者に関しても、ちゃんと考えがあるから。準備してるって言っただろ。」
ザックスは少し納得がいかない様子だったが、そう言うとこれ以上口は出してこないようだった。
少し離れた木陰にザックスを待機させ、歩いて牢獄塔に近付く。
牢獄塔は、ほぼ正方形の土台の三階建ての建物で、石で出来た外壁が冷たい印象を与える。いくつも小さく空いている小窓に陽は差し込むが、外から中を窺うのは難しそうだ。
人間が通れるサイズの、外から見える出入り口は正面の一つのみ。
屋上には侵入者や逃亡者が出たり、不測の事態が起きた場合に人を呼ぶ為の鐘があるので、そこにも内部への入り口はあるはずだ。塔の周囲には高さのある樹木や建物もないため屋上へ飛び移って侵入……というのは出来ないが、ザックスは恐らく壁を登って屋上から入るつもりだったのだろう。
今牢獄塔にいる盗賊達は、脱走したり誰かが連れ出したりする可能性が低いからか、屋上に待機している見張りはいない。見張りは全部で二人、ここから確認できる入り口の前に立っている兵士だけだ。
交代の時間までこの付近には他に人は来ない。そして交代まではまだ時間に余裕がある。
これは魔女について探っている間、一応並行して定期的にザックスに調べさせていたのだが役に立った。
屋上から出入りすれば入り口の兵士からは見えないので、ザックスは自分なら気付かれずスムーズに事が済むのに…と思っているわけだ。
ただし、牢獄塔は狭い。
侵入に成功しても、盗賊と話していればいずれ気付かれる。盗賊が最初から協力的に小声で話をするとも限らない。
ザックスならば人を呼ばれる前に逃げられるだろうが、騒ぎになれば面倒だし、調査をされても厄介だ。事件性は無いに限る。
それに話す時間はじっくり欲しい。
「何か御用ですか?」
遮るものが何もないので、歩いてくる僕を遠目に確認していたのだろう。少し離れたところから、塔の前に立つ見張りの兵士が問う。
僕は服装からして貴族の子息、怪しい人物とは見做されないだろうが、一人でこんなところに来るのが不思議なのには変わりない。
しかし幸い今日の牢番は僕のことを知っている。
彼は警戒しないだろう。
「ご苦労様です。」
「あれ、アルフレッド様……」
入り口の左右に立つ兵士に声を掛けると、向かって左の男が一歩前に出る。
「お久しぶりです、シャックスさん。」
「こんなところに、どうされたのですか。侯爵様とご一緒で?」
彼、シャックスとは父に付いて王城に足を運んだ際に何度か顔を合わせた。僕のことをマグワイアの子息だと分かる兵士は彼以外にもいるが、彼とは数度会話したので人となりも分かっている。当たりだ。
「いえ、今回は僕一人です。父に頼まれて。」
「そんな話は聞いておりませんが………。」
右の兵士が口を挟む。
「すみません、急な話で……一応父から手紙を預かっているのですが………」
そう言って封のされた手紙を渡す。
直筆の手紙に目を走らせ、シャックスが首を傾げた。
「死刑囚への聞き取り、ですか?」
手紙には、我が領で起きた事件の目撃情報からここに収容されている盗賊が関係している可能性があり、容姿の確認と、話を聞きたいので僕を遣わせるといった旨を書いた。
「はい、処刑が近いと聞いたので、こうして急な訪問になってしまいました。」
「そうでしたか、えっと………………」
わざわざ僕が来たことが引っ掛かるのだろう、シャックスは言葉に迷っている。
「丁度王都に用がありまして、ついでに僕が。」
いろいろ不審な点があるのは承知しているが、笑顔で押し切る。今回さえ乗り切れば、後々どう思われようが関係ないのだから。
「すみません、それが盗賊は……錯乱している者もおりますし、アルフレッド様とお話できるような状態では…」
シャックスが言葉を濁す。
盗賊は話どころか暴言を吐く可能性が高いし、それ以上に秘匿されている魔女のことを勝手に喋られると困るので、面会謝絶状態なのだろう。この兵士たちはそのことについては知らされていないと思うが。
「そうなんですか、困ったな。」
箝口令のことで、普通に通してもらえないのは想定内だ。どうせここですんなり通されてもやることはあまり変わらないし、問題ない。
「───確認を取ってくるか?」
右の兵士とシャックスが小声で話し合う。侯爵の依頼なら融通が利くと考えてだろうか。
「あの、ではお二人にこれを確認していただくことは出来ますか?」
話を遮って小箱を出す。
「それは?」
「中身は指輪です。犯人が残したものらしいんですけど、犯人の体には指輪の模様と同じ刺青があるみたいで。」
二人の間に、それなら、という空気が流れる。
上に確認を取るのはやめたようだ。
「では、中で拝見します。」
「ええ、もし同じ刺青を見たら教えてくださいね。」
シャックスに促され牢獄塔一階の小さなテーブルに着く。
そこで小箱を渡し、二人はそれを検めた。
◇
ギシギシと、階段を上がる音がする。
見回りも、食事もしばらく来ないだろう廊下に軽そうな靴音が響いた。
「何だ、お前………?」
数回、廊下を軋ませた足音は、髭を汚く伸ばしたままの男の前で止まった。
牢獄塔の内観に似合わない、小綺麗な身なりの子供だった。
「俺に面会は許可されていない筈だが。」
盗賊の頭だった男は、その奇妙な訪問者を見上げて口を開く。
自然と口をついて出た、単純な疑問だった。
「ちょっと牢番が知り合いで。ラッキーでした。」
何日も牢で過ごし、ただでさえ薄汚れた身なりをさらに犯罪者の成れの果てに相応しい風貌に落とした男を前に、訪問者は厭う様子もなく人好きのする笑みを浮かべて近付いた。
その様子に男は、親の権力や金で好き放題している貴族の物好きのガキが、と内心毒づいた。自分のような底辺の気持ちなど分からない、呑気に大切に育てられたであろう柔和な表情に吐き気がした。
これならば、こちらを見下す態度の鼻持ちならない貴族の方がマシだと思った。
「へへへ、お貴族様がこんなとこに何の御用だぁ? 」
嫌みを隠そうともせず、顎を上げて訪問者を下目遣いに見る。男の右脚に繋がっている鎖が音を立てて揺れた。
「貴方が一番話が出来そうだったので。少し話を聞かせてもらえますか。」
確かに、捕らえられた他の仲間は魔女の呪いか知らないが頭痛や幻覚に悩まされ、精神を病んでしまっている。まともに話は出来ないだろう。
そこまで考えて、ようやく少年が魔女の話を聞きに来たのだと悟る。
かく言う男も、他よりは強靭な精神力で正気を保っているものの、幻覚からの不眠でよく頭が働かず、これまでただ虚ろに処刑を待つ身であった。
「………見返りは?」
これは男の性根に染み付いた問いだった。
魔女の何に興味があるのか知らないが、今となっては自分以外の盗賊から聞き出すのは困難。自分の機嫌を取る為に、世間知らずの坊ちゃんがあれこれ頭を悩ませるのを見物してやろうと、心の内でほくそ笑む。
「そうですね………貴方が処刑されずに済むよう計らいますよ。」
お行儀の良い少年は、洗練された仕草で懐から紙を出すと、それを男に見せつけた。
高価そうな紙には、金を支払う代わりに男の身柄を引き受けるという旨の文章と、最後にサインがあった。
そこにある名前がマグワイア家のもので、それがそれなりに効力を持つだろうことは男にも理解できた。
「ははぁ、こりゃ驚いたな。まずはこっちに寄越せ。」
「どうぞ。」
思いのほか周到な準備に面食らいつつも少年の染み一つない白い手袋から紙を奪い取ると、まじまじと見る。
どうやら偽物ではないようだ。
見かけによらず油断出来ない相手かと思ったが、本物を簡単に渡すところを見るに、ただ頭が良いだけの坊ちゃん。所詮良い子ちゃん教育の賜物、裏をかいたりいやらしく騙すことには慣れていないのだろう。
話を聞くだけ聞いて紙を破り棄てるなんてことはなさそうだ。その手の契約に関しては潔癖そうですらあった。
「一つ答えるごとに、これもお渡しします。」
少年が見せたのは先ほどと同じような紙で、結構な金額とそれを渡す旨が書かれている。それを数枚用意していた。
この少年が、勝手にそんな書類を何枚も作成していることを少しも不審に思わずに、桁だけ数えた男は取引に応じた。
「何が聞きたい。」
「では、まずは魔法発動時の様子から。」
それからは、作業的に質問、応答、報酬の受け渡しが行われていく。
それを数回繰り返して、少年が手に持っていた最後の紙を渡した。
「ありがとうございました、参考になりました。」
もう夕方だろうか、向かいの小窓から西日が差している。赤い光が塔の内部まで浸透する。
その光を目に赤く反射した少年は、綺麗な所作で礼をした。
「よし、じゃあ看守を呼べ。今すぐ出してくれるんだろ?」
「あはは、せっかちですね。今すぐは無理ですよ。……まぁ、今日中には檻からは出られるでしょう。」
少年の言う事はもっともだった。
いくらマグワイアでも、男をいきなり出すのは無理だろう。男も押し黙る。
今日中というのなら十分に早い。この幽霊塔からもうすぐ離れられると思うと気持ちも軽くなる。
「そろそろ、灯りをつける時間かな。」
少年の言葉に顔を向ければ、彼は小窓に目を向けていた。沈みゆく陽を見て、壁に挿してあった松明を手に取る。火をつけると、風を受けて赤い光が揺らめいた。
「もう帰るんじゃあねぇのか。」
「すぐ帰りますよ。」
一階に降りるだけならば全く必要のない松明を片手に、もう片方の手で鞄から掛け布を出す。
「今日は風が強くて寒いですね。」
唐突な世間話に男が怪訝に見上げる。
用が済んだのなら早く去れと言いたげな目線に対し、少年はまぁまぁ…と眉を下げて笑った。
「今日、この時間に塔の見張りをしている牢番………シャックスさんというんですけど、彼は気の利く人でして。彼ならこういうのを用意しそうですよね。まぁ処刑前に寒さで死んだら困るというのもあるんですけど。」
そう言って掛け布を男の方に差し出した。
意図が読めないまま、男も取り敢えず手を伸ばす。
「例えば、こうやって見回りついでに渡して……気休め程度に、壁の松明にも火をつけるかもしれない。」
そう言って、訪問者の少年は持っていた火のついた松明を壁に戻した。
男の額からは汗が一筋落ちた。それは、松明でほんのり温かくなったような気がしたからではなく、手にした掛け布のせいだった。
「おい、お前! 火がついてるぞ、危ねぇだろうが!」
受け取る時には見えなかったが、掛け布は松明の火が移ったのか、端から徐々に燃えていた。
男は木の床に燃え移らないよう注意しながら必死ではたいて消そうとする。
「そうだな、こんな風に………収容者の様子を見ながら。」
火を消す男の様子を見つめながら例え話を続ける少年の様相に、続けて「俺を殺す気か」と言おうとしていた男はその言葉を飲み込んだ。分かりきったことを口にしても意味がない。冗談ではなく、本当に殺す気だと感じた。
「おい! 看守! 来てくれ!!」
その代わり、牢番を呼ぶ言葉を叫んだ。
目の前の少年は相変わらず人好きのする笑みを浮かべている。牢の前で姿勢良く立つ姿には、得体の知れない不気味さがあった。
「でもちゃんと固定出来てなかったんだろうね、松明が落ちてしまう。立ち去る時には気づかなかったのかな。」
言いながらついさっき自分で壁に戻した松明を床に落とす。木の床に火が広がる。
「なんなんだ、なんなんだよ!」
男は訪問者の不可解で異常な行動にパニックになりながらも、まず先に手元の───松脂でも塗ってあるのか、なかなか火の消えない掛け布を小窓から捨てようと立ち上がる。
高い位置にある小窓には届かず、投げようと纏めた布は火の塊になった。手に感じる熱に顔を顰めているうちに、小窓から吹き込んだ風が火の粉を散らした。
「………熱っ…」
投げるより前に堪らず離してしまった布は牢の中に落ちる。このままでは自身の檻が火事になる、と慌てて格子の外に放り投げた。
そして格子の外の火が掛け布だったものを飲み込むのを目にする。
徐々に火が燃え広がっていた。
「それから牢番は気付かないまま下に降りて、入り口で見張りをする。異変に気付いて中に戻るも既に火は広がり、焼け落ちた天井の下敷きに…………どうかな? ちょっと無理がある?」
火を避けるように少しずつ後退りながら少年が訊ねる。男にはそれを聞いている余裕は無かった。
「看守! いねぇのか?! いるだろ!!」
格子から距離を取りながら叫び、床を叩く。
人が上がってくる気配はなく、牢獄塔の中は叫ぶ男を除いて静けさを保っていた。
「おい! 看守、仕事しろ! 火を消せ!」
収容されている間に体力の落ちた足に、出来る限りの力を入れて床を踏み鳴らす。それに合わせて鎖も音を立てて揺れる。
床を抜く勢いだが、相変わらず人の動く気配はない。上階が燃えているため屋上の鐘で火事を知らせるのは無理にしても、走って人を呼ぶことはできる。地上は騒がしくなっても良い筈だ。牢番が不在とは考えられない。
何度も何度も踏み鳴らす。
荒く呼吸をしながら、何かしら音の返って来るのを待つ。
不自然な静けさ。風の音といやな熱だけが塔を満たしている。
「おかしいだろ! お、お前看守に入れてもらったんじゃねぇのか………?!」
必死の形相、血走った目で男は少年を見た。
熱さも構わず、火に囲まれつつある鉄格子を掴んだ。
「てめぇどういうつもりだ?!」
「僕が先に質問したのに、無視して質問してくるなんて酷いなぁ………あぁ、そうか。もうあの紙が無いからだね。大丈夫、最後の一枚がありますよ。」
いつの間にか手に持っていた、先ほどの金を渡すと書いた紙と同じもの。それを廊下の火にかざす。これも布と同じくよく燃えた。
「このクソが……! 最初から、そのつもりで………!」
燃える紙を格子の間から牢に滑り込ませ、少年は上品な所作で手を引き戻す。
男がするりと入ったその紙を目で追うと、床の上でさっきせしめた書類も同じように燃えているのが目に入った。
「今日はすごくいいことがあったので、それは交換条件なしであげますね。」
全く男の反応を気にすることなく一方的に喋ると、本当に嬉しそうにニコニコしながら鞄を後ろ手に持ち一歩二歩と後退る。
「今日みたいに乾燥して風の強い日は、火事が多いそうですよ。では、僕はこれで。」
それだけ言うと、翻って、少年は軋む階段を降りていく。
見誤った。あれを良い子の坊ちゃんなんて、何を馬鹿な。善人ぶった悪人なら腐る程見たが、あれに善悪の別はなかった。
子供が生き物で実験をするのに近いだろうか。あれはただああいうモノだ。
男には理解の及ばないモノ、思考回路が微塵も分からないのに命乞いのしようもない。
少年が去って間もなく、他の牢から手下だった者達の声が聞こえてきた。恐らく火が回ってきたのだろう。幻覚やらで虚ろな状態だった彼らの叫び声を、男は久し振りに聞いた。
鎖に繋がれた足枷の熱に足首から焼かれ、自身の死に様を想像した男は、もういなくなった訪問者に向けて叫んだ。
「待て!! 待ちやがれ!! クソがぁあぁぁあぁぁあ!!!」
男の絶叫は、煙で喉が焼けるまで続いた。
◇
階段を降り、一階のテーブルに伏せて眠っている二人の兵士を見る。
目の前には中身が空の小箱がある。小箱の内側は、元々の中身が漏れないようガラスびんのようになっていた。
「これは燃えないから、持って帰らないと。」
テーブルの上に残したままだった小箱を拾い上げ鞄に仕舞う。
そのまま外に出ると、少し離れた茂みでザックスが待っていた。
「あの、塔から煙が出てるんですけど………。」
塔の上の方を指差しながら僕の前に出る。
「うん。人が来る前に早く行こう。」
「いや…あの煙、あれ火事ですよね?」
「火のないところに煙は立たないって言うだろ。」
持っていた鞄を渡しながら言うと、彼は複雑そうな表情をしている。
あれ、伝わらなかったかな? まぁいいか。
「大事にしたら目立つんじゃないですか?」
言いながら僕についてきたザックスの後ろで、塔の中から大きな音がした。
恐らく上階が焼け落ちたんだろう。
「大丈夫、目撃者はいないよ。」
遠く背後で牢獄塔が燃えている。
あの日、ミスティアの屋敷が燃えた日。その様を想像していたあの時を思い出す。
きっと、人間というのは幸せを認識し辛いように出来ている。
外から見ればそうと分かるものであっても、当人は手に入れている時には気付かず、失くした時にそこにあったのだと気付く。「幸せ」そのものではなく、かつてそれがあった穴を見るのだ。
それならば、そこに幸せを、愛情を注いでやれば幸せの量が分かるに違いない。
砂漠で飲む一杯の水のように、死の淵を彷徨って生を取り戻した時のように。
減ったものを補充した時に、失くしたものを得た時に、人間は最も幸せを認識する。
僕だってそうだ。
消えたと思ったものが蘇った時、そこにあった時、これほどの喜びはないだろう。
「……君が幸せそうで良かった。」
もっと幸せになってもらわないと。自覚しないうちに、大事なものをたくさん抱え込んで。
そうして容量の多くなった幸せの容れ物が空になって、君がどれほど幸せだったかを知った時に。
僕が注いであげる。
君の空っぽの穴に、一杯になるまでの幸せを。
「その為には、僕にも準備が必要かな。」
また、僕の手を握って。
どんな困難も、必ず排してみせるから。




