52 騎士は感化される
「そろそろ出てきたらどうだい?」
騎士団が全員瘴気山脈に向かい誰もいなくなると、最後に一人残った副団長のアニスは馬車の荷台に向かって声を掛けた。
「…気づいてたんですか。」
俺は荷台から降りて、こちらに背を向けているアニスの隣に並ぶ。
アニスは呆れたような、面白がるような、複雑な表情で俺を見た。
「まあね。団長も気づいてると思うけど。」
父の腹心であるこの男は、俺以上に無口である父のことをよく分かっている、数少ない人物だ。
騎士団のくせに俺に気づいていて今まで放置したりと、規則に若干ルーズなところも親父と気が合うようだった。
「で、何で来たの?」
「ドラゴンが出るっていうから………」
「見にきたの?! へー、君も男の子だね~! ぜんっぜん興味ありそうに見えないけど。」
アニスは驚いた顔で俺の姿を上から下まで見回した。
「箝口令を敷いてた筈なんだけど、漏らしたバカは誰かな?」
「王城で騎士が話してるのを聞いた。」
邪竜のことも魔女のことも、どちらも箝口令が敷かれていた。本来ならば騎士団長の息子と言えど俺に知られて良い筈はない。
「盗み聞きかぁ~……!」
アニスは頭を抑えて唸る。
「本当、この忙しい時に仕事を増やしてくれるよね。」
「盗み聞きされる場所で話してる方が悪い。」
「まぁ、それは確かに処分が必要かな。」
アニスはしばらく唸った後、折角だし他の騎士に見つからないなら見ていくか、と訊いてきた。それから、とばっちりで死んでも私は知らないけどと付け足した。
「………………。」
この人は人の良い頭脳派に見えるが結構碌でもない。
「やっぱり帰るって言うなら私が送り届けるけど。」
「見ていく。」
今回を逃すと一生機会は無いだろうし、見ずに帰るとレオが怒るからな。
「なら物資の見張り役がそろそろ戻って来るからさっさと出発して。私は後から行くから。見つからないようにね。」
「分かってる。」
「あと魔物もじゃんじゃん出るから気をつけて。」
俺は頷くとアニスに背を向ける。
一歩踏み出した俺に声が掛けられた。
「セオドア、騎士になるなら竜だけでなく魔女も見ておくといい。」
それは少しの期待と、それより多い諦めの込められた声だった。
「………俺は騎士にはなりません。」
諦めの方に応えて、俺は歩みを進めた。
俺は、剣を振るうのは好きだった。ただ、戦うことが好きだった。
誰かを守りたいとか、騎士の誇りだとか、そういう大層なものを持ち合わせていたわけではない。騎士団長として騎士団を率い、英雄視されている父は格好良く憧れだったが、俺はむしろ騎士団長を目指す気は無かった。
団長の息子と言っても俺は次男だし家は継がない。騎士になる必要も無い。
だからこの家は、騎士団は、武力には秀でていないものの頭は優秀だった兄が当然継ぐものだと思っていた。
逆に剣が得意な俺は、その他大勢の騎士にでもなって適当に兄の手伝いをしたりして、将来レオの騎士になってもいい。そんな風に考えていた。
しかし、ある日突然兄が勘当された。
私は家を出る、家のことはお前に任せるぞ───それだけ言って兄は家を出た。
家を継がず別の道に進むと押し通して勘当されたらしい。
その頃からだ。
努力した分応えてくれる剣の練習は苦ではなかったのに、強くなることが怖くなっていた。
強くなれば縛られる。俺は個で在りたかった。
強すぎる父は国に縛られ騎士団の仕事に追われ、家に帰ることも少ない。
親父の息子であることで周囲には期待されていたが、それに応えるのは怖かった。期待は際限なく膨らんでいく。俺に素質があれば親父のようになることを期待されるし、そうなれば次は親父を超える騎士に、と期待されるだろう。
期待にそぐわず失望されるのも嫌だった。
レオとの約束もあった。第二王子であるレオは幼馴染である俺を護衛にしたいようだった。
あいつはワガママだし俺以外と上手くやっていけるとは思えない。第一王子の方とは違って外面を作ることも出来ないから俺くらいしか友達がいない。
だから、俺くらい、一人くらい気安い奴が側にいてもいいかと思っていた。
けど家督を、まして騎士団長の地位を継げばレオとの約束は守れないだろう。
俺は強くなる意義を見出せないでいた。
強くなっても、やりたいことから遠のくだけだ。
徐々に稽古の時間は減っていった。
「ギシャシャシャシャ」
───変な音がするな。
「ん。」
音の方を見ると、二足歩行? のでかいムカデが口の辺りをモゴモゴ動かしてこっちを見ていた。
魔物が出るとか言ってたが結構でかい。
これはレオを連れて来なくて正解だったな。
王族を連れ出して怪我なんかさせたら大変だ。ドラゴンが見たいとずっと地団駄を踏んで面倒だったから、家庭教師が呼びに来なければ連れて来てたかもしれない。
俺が代わりに見てくるということで妥協してくれて助かった。
「ギシャシャ───ギャッ」
剣を一閃するとムカデは倒れた。
練習量が減っているからか、腕が落ちている。
数匹魔物を倒しながらしばらく行くと、騎士が集まっている開けた場所が見えた。
馬で最短距離を行ったアニスは先に到着していたようだ。親父と向こうから歩いて来て、何か話している。
二人の対面には黒髪の男と銀髪の子供が座っている。女だ、あれが魔女か。
目にした魔女は想像よりも小さい。年は俺より少し下くらいだろうか。
妹が好んで着る、レースや飾りのたくさん付いたひらひらしたドレスなんかが似合いそうな女だった。しかしその雰囲気は冷淡でどこか親父に似ている。
集団から離れた木陰に隠れて見ていると、向こうの峰の方から一つの影が近づいて来るのが目に付いた。確か親父が来た方角だ。
その影はだんだん大きくなり、形が分かるようになる頃には俺たちなんぞ簡単に踏み潰しそうな大きさになっていた。
「………………っ!」
思わず息を呑み、その影を見つめる。
騎士団の面々も同じように顔を上げている。
直後、突風が吹き抜け、続いて地面が揺れた。
俺のところまで衝撃が来て、竜の着地点近くにいた騎士たちが逃げ惑う。
着地だけで騎士たちの体勢を崩した竜はさらに、大きな咆哮によってこちらの戦意をくじく。
親父だけがいつもの無表情でその化け物に対峙しており、表情には見えないが心なしか高揚している風だった。
そのまま視線を横に移すと魔女が親父の隣に立っていた。丁度、悪党のような笑みで杖を取り出すところだった。
「総員、体勢を立て直せ!」
散らばっていた騎士たちが意を決して竜に挑んでいるが、まるで歯が立たない。
親父が単騎で飛び出し、実質親父だけが攻撃出来ている状態だった。
俺なら渡り合えるだろうか。
この化け物に対抗できるのは、それこそ英雄ぐらいじゃないだろうか。今の俺には何も出来ないだろう。
実際、竜には親父ですら苦戦していた。相手は広範囲に口から突風を撒き散らし、さらに飛翔する。
このままだと、親父は負ける。せめて俺が使えるレベルだったなら、サポート出来たかもしれないが………もしくは、親父が騎士たちと連携が取れれば多少はマシだっただろう。
「そうだ、魔女………」
魔法がどれほどのものか知らないが、アニスが見ておけと言うくらいだ。
視線を魔女に戻すと、彼女は先ほどと同じ場所に変わらず立っていた。
次の瞬間、魔女は右手に持っていた杖をスッと持ち上げた。
その仕草は、以前連れられて行った有名な楽団の指揮者がしたように静かで、自然な動きだった。とても目の前に竜がいるとは思えない、不可思議な光景。
僅かな動きなのに目を惹きつけた。
一瞬の緊張、張りつめた静寂が訪れ、杖の先を見ているとついにそれが振り下ろされる。
直後轟いたのは音楽でも歌でもなく、どこからか現れた黒い雷が竜の片翼を切り裂く、弾けるような音だった。
どんなオーケストラの演奏よりも豪快に耳をつんざいたそれは、魔女の何倍もある邪竜の左の翼を破壊した。
「うわっ!」
「何だ……?! 魔法か?!」
驚く騎士たちの声をよそに、魔女は本当に、それは嬉しそうに笑った。
そして、その無邪気な笑みを一転、邪気まみれの凶器のような笑みに変えて魔物の背に跨る。
魔狼を走らせながら今度は右の翼に撃ち込み、竜を地に落とした。
「………滅茶苦茶だ。」
魔女の戦闘は本当に滅茶苦茶だった。
デタラメな遠距離攻撃力を持ちながら、前へ出る。絶対に遠距離から魔法攻撃をしている方が確実に、安全に倒せるのに、その辺の子供以下の体捌きで近付いていく。
あんなに非合理的なのに、本人は楽しそうだ。
親父と見つめ合っているが、同類なのかもしれない。結構攻撃のタイミングが合っている。
挙げ句の果てに動きだけは妙に良いナイフ捌きで竜の腕を切断。どう見ても腕力が圧倒的に足りていないが、魔法なのかすんなり斬れていた。
凶器のような女だった。
邪竜を倒すことを期待されているのに、全く気にせず好き勝手やっている。
時折失敗し、無理矢理に脱し、攻撃力以外は全て下の魔狼任せ。
その魔狼から落ちても、しまったという風な顔をするだけで、竜に掴まれても恐怖が見えない。
動きがある度にいちいち騎士たちから悲鳴混じりの声が上がっていたが気にする様子もない。
期待にも失望にも押し潰されない、不屈の人。
地の底に落ちても這い上がって来そうな彼女は、好き勝手する為にその力を使っていた。
見ていると、どうやら本当に好きなことだけ極めている。原理は分からないが魔法は威力も範囲も自由に出せるようだし、ナイフも動きだけは良い。
逆にその他は素人以下。
それは魔女と言うよりも、攻撃性の権化、武器そのもの、折れない剣だった。
あの子を、使いたい。
あの子と、あの子を使って戦いたい。
俺も、何にも負けない人間になりたい。
そんな欲求が頭を満たした。
強くなりたい、邪魔されたくない。でもそれは矛盾した希望に思えた。
立場も家族も放り投げて好きに生きるには、全てを捨てるには俺には捨てられないものが多すぎる。
親父ぐらい強くなれば多少の単独行動は許されるが、その分期待されるものは大きい。
親父と同じでは駄目だ。
その時、俺は見た。
魔女の仲間が密かにドラゴンの腕を回収するのを。騎士団はドラゴン本体に気を取られ、誰も気づいていないようだった。
「………そうか、バレなきゃいいのか。」
馬鹿正直に全部見せる必要はない。
ズルをすれば良い。
知られなければ、無いのと変わらないのだ。
折れないこととは、曲がらないことではない。うまく曲がることだ。
俺にあと必要なのは重圧を受け流す覚悟、期待を裏切る覚悟。兄のように自分の道を押し通す利己、それを表に出さない不実さだ。
方針の決まった俺の眼前では、竜が断末魔の叫びを上げていた。




