40 密偵は辟易する
俺のご主人、アルフレッド・マグワイアは少し変わった人だ。
俺がまだご主人の父親であるマグワイア侯爵に仕えていた頃は、死んだ幼馴染を探す健気な坊ちゃんという感じだった。グレンヴィル邸の瓦礫をひっくり返したり辺りを捜索させたりと、屋敷の有り様を見る限り生きているのは絶望的なのに、諦めが悪いなといった程度だった。幼馴染が生きているのを信じて疑わないようなその姿は、子供だから分からないのか、受け入れられないのかと周囲の同情を買ったものである。
マグワイア侯爵もそんな息子を哀れに思ったのか、俺を与えた。俺はこう見えて優秀だ。俺を使って探しても見つからなければ、諦めがつくだろうと考えてのことだった。
ミスティア嬢の辿った可能性は、グレンヴィル邸の瓦礫に埋もれている、周辺の森のどこかで行き倒れている、誰かに拾われて保護されている、人身売買組織に拐われた、の4つだ。
前者2つは俺が来る前に既に捜索が終わっており、子供の足で行ける範囲は調べ尽くされていた。俺の仕事は子供を拾った家がないかの調査と、人身売買組織の調査。ミスティア嬢が拐われたのなら、その後売られたのか、売られたならどこに行ったのかを調べるぐらいか。
時間はかかりそうだが、坊ちゃん相手の気楽な仕事だと思った。
しかしご主人に引き合わされた俺は正直ビビった。引いた。ドン引いた。
顔合わせの際、何の気なしに気軽に、なんでそんなに熱心に瓦礫を掘り起こすのかと聞いたのが間違いだった。他の誰もが、「今更見つかってもどうせ死んでるのに」と思いつつも、可哀想な坊ちゃんに気を遣って言わないでいた事だった。俺は自分の無神経さをこの時ばかりは呪った。
ご主人は古の魔術や死者蘇生の何々なんて書かれた本を広げながら、屈託無い笑顔で俺にこう言ったのだ。
死体があれば生き返らせられるかもしれないだろ、と。
これがお伽話を信じている子供なら微笑ましいものだったが、ご主人は既に鼠や何やらで実験を始めていた。魔術なんて古代文明のお伽話を実践しようとしているご主人を、周囲は現実逃避と思っていたようだが、俺はその執念が恐ろしかった。
この部屋を見たら、可愛い子供の夢想などではなくマッドサイエンティストの所業だと確信してもらえることだろう。
その後もさらに恐ろしい目に遭った。
ご主人は死体でも良いと言う一方、グレンヴィル邸焼失の後に騒がれた誘拐・人身売買組織の方に期待していた。少し時期はズレているが、可能性はあった。
なんでも犯罪者に酷い目に遭わされていたり、売られた先で奴隷にでもされていたら良いなぁ…とのことである。
俺は怖くて何故かとは聞けなかった。
しかしそんな俺の気持ちは無視してご主人は答えを教えてくれた。曰く、可哀想なミスティアを助けに行くのだと。まだ売られていなかったら人に頼んで買うのもいいかもねとも言っていた。
買ってどうするのか。会ったこともないミスティア嬢が心配だ。人に好かれるというのはどうも良いことばかりじゃないらしい。
訂正だ。俺のご主人は、かなり狂った人だ。
そして今俺はそんな狂ったご主人の下に一つの報告を齎そうとしている。
件の人身売買組織についての報告だ。
「まず、例の組織に扱われていた者の中にはお探しの方は居ませんでした。」
念のため他のマーケットも調べたが、銀髪紫眼のその年頃の少女がいた痕跡は無かった。
ご主人はうん、と頷いて続きを促す。
「その組織についてですが、つい先日警備隊に捕まったようです。それに協力したのが魔女だという噂がありまして。」
そこまで言うとご主人の目の色が変わった。怖い。
「あの、ミシガルの酒場で誘拐犯である盗賊についての話を探っていたところたまたま耳にしたのですが……魔女は美しい少女の姿をしており強力な魔法を使うとか。」
こんな非現実的な、噂話をこの頭のおかしいご主人にするのはいささか気が引けたが、俺の勘がこのネタは本物だと言っている。
ネタを漏らしていた警備隊の連中も詳細は知らないようで、その後もミシガルで探ったがこれ以上の話は出てこなかった。
真偽の確認が不十分な話をして不興を買うのも怖いが、報告せずに後で咎められる方がもっと怖い。こと、このご主人に関しては。
「いいね、その魔女。すごく欲しい。」
あれ、これ別の意味で言わない方が良かったか?
この笑顔は警告色と同等である。
俺の本能が逃げろと告げている。
「魔女の肉体ならそうそう滅びないかもしれない。いろいろ耐えられそうだし………」
宙に目をやりブツブツと言いながら考え事を始める。
絶対ロクな事じゃないぞ………。
「うん、じゃあミスティア探しと並行して、その魔女のことを引き続き調査して。僕は僕でいろいろ考えておくから。」
「…承知しました。」
一礼して逃げるように退出する。
気楽な仕事なんてとんでもない、今までで一番心臓に悪い職場だ。
これにて2章終了です。