34 悪魔は要求しない
空から地上を見下ろしながら、僕は言い様のない焦燥に駆られていた。
ミスティアがいなくなったと聞いてすぐ村の周辺を見て回ったが、その時には既に人影は無かった。一度家に戻ると、同じく村周辺を見て来たらしいザッハさんが残っていたミスティアの匂いから向かった方向を特定したようだった。
それからどれだけ経っただろうか、その方角に飛んでずっと上空から探しているが一向に見つからない。木々に遮られていると言うよりは洞窟など見えないところにいるのか、もうずっと遠くに行ってしまったのか。
時間から考えてそんなに遠くに行けるとは思えない。人間の移動速度なら高が知れている。魔力は感じなかったが魔物や僕の知らない種族の仕業である可能性もあるのだろうか。
日が落ちて辺りが暗くなる。
ミスティアがおとなしく誘拐犯に捕まっているとは思えない。無茶をして怪我とかしてないといいけど………
時間が経つにつれて見つかるのか不安になってくる。
こんなことなら、不当な契約でもして僕のものにしておけば良かった。………そんなことしないけど。
その時、視界に何か動く物が映った。見ると、それは一本角の魔獣で一直線に休むことなく走り去って行く。
あまり見ない珍しいもののような。
誘拐犯が売買目的で子供を攫っているのなら、ああいった希少種も関係あるかもしれない。
そう思い魔獣が来た方向に進みしばらく経った頃、魔法が発動するのを感じた。
ミスティアだ。あの辺りに、彼女がいる。
魔法を使っているということは何かと戦っているのだろうか。
逸る気持ちを抑えてその場所へ向かうと、空を切り裂くように鋭く声が届いた。
「……ジル! ジル!」
耳に入ってきた冷たく澄んだ声は、僕の名前を必死に呼んでいる。
その事実がどうしようもなく嬉しくて、僕は勝手に口元が緩むのを止められなかった。
声のする方に飛んで行くと暗い森の中で一つ、宝石のように銀の光が在った。
早く助けないとと思う気持ちに劣らず、もう少し隠れていればまたこうして名前を呼んでもらえるのではという期待があった。
なんとか振り切り近付いたが、こういうところが僕が悪魔になった所以なのだろうか。
「ジルベール!!」
彼女が僕の名前を呼んでいる。
冷たくて甘いその声で。
「呼んだ?」
傷だらけになった彼女はそれでも綺麗だった。
いや、一層美しかったと言っても良い。
土で汚れた肌は白さが際立ち、乱れた髪が照らされて美しい。所々裂けた服から覗いた足には縄の跡があり、新しい扉を開きかけた僕は頭の中で慌てて閉じてから誤魔化すように魔獣の話を振った。
話しながら、ミスティアを捕まえている男の肩にナイフを投げて離れさせる。
警備隊に引き渡して自供させたかったのとミスティアが殺したくなさそうだったので死なない程度に抑えて処理をした。
「ジル、………ジル。」
ミスティアの手が僕の頰に伸びる。
存在を確かめるように触れる手に、僕の方もここにミスティアがいることを実感する。
見つかって、本当に良かった。
「うん、僕だよ。」
僕の魔女様が賊如きに良いようにされるなんてことはないだろうけど、それでも失うことを考えると怖かった。
少しの間言葉を交わしてから帰路につく。
ミスティア以外のことは、僕より少し遅れてここに来たザッハさんが追っているしそっちに任せよう。
「こいつらは?」
そのことを話し終えると、ミスティアは今度は賊に目を向けた。
「途中で警備隊を探して回収してもらおう。」
あの役立たずの警備隊の連中は交替でその辺をうろついているだろうから、見つけ次第連絡かな。あんなの僕は絶対運びたくないし。
今度こそ懸念のなくなったミスティアを抱えて高度を上げる。
「ジル、ナイフ投げ上手ね。」
「一時期かなり練習したからね。」
時間だけはいっぱいあったから、と付け足すとサーカスでスターになれるわねと茶化した答えが返って来た。
少しいつもと様子が違う。いつもならもっと意地悪そうに、楽しそうにニヤけて言うのに。
それは形だけふざけているようだった。
「────私は、手加減出来なかったわ。」
ミスティアが腕の中でポツリと呟いた。
苛立ったように、僕の服を掴んだ手に力が入る。
「手加減したかったの?」
そう問うと心底悔しそうに、地上遠くなった誘拐犯を見る。
「殺さないのがこんなに難しいと思わなかったわ。」
どこの悪役だよと突っ込みたくなるようなセリフを言っている。
でもこれで納得した。彼女はそれを躊躇したからここまで手こずったのだろう。
「死なない程度に苦しむ威力が出せないかしら。あとは怪我せず気絶するだけとか。」
何だろう、これは我儘と言うのかな?
同じ年頃の子の我儘とは随分違うけれど。
「傲慢だね。」
「そうね。生殺与奪、思いのままにしたいのよ。」
そう言って自嘲するように笑うミスティアは、少し調子が戻ったようだ。
優しいのか優しくないのか、善良なのか悪なのか。
「帰ったら練習するわ。付き合ってくれる?」
「いいよ。」
本当は危ないことは僕に任せて、やりたいことや欲しいものがあるなら召喚者らしく僕に願ってくれたらいいと思う。
だけどそれは、殺したくないから魔法を使わないのではなく、殺したくないから強くなりたいと言う彼女には言えなかった。
そしてそんなミスティアが僕は好きだった。
「殺すのが嫌だから逃げてたら自分がピンチになるなんて冗談じゃないわ………」
眠たそうにしながら一通り愚痴を漏らした後、最後に、家に入る前に絶対身体を洗う、こんな汚れた状態でベッドに寝るのは無理と誰かの血の付いた爪を見ながら念を押して、ミスティアは眠りに落ちた。
体力もほぼ底をついていたし、かなり疲れていたんじゃないだろうか。
「………寝ちゃった?」
返事はない。いつものことだ。
寝息だけが聞こえて彼女の頭がもたれている部分が少し熱い。
「欲しいもの、あるよ。」
昨日のミスティアの話を思い出す。
本当に欲しいものは大抵、求めたから貰えるような物じゃない。
契約で、対価で手に入れるのも嫌だな。
「でもそれは貰えないだろうし、自分で手に入れないと意味ないんだよね。」
あれ、そもそも買える物じゃないとダメそうだったか。………やっぱり小麦粉にしようかな?
「…ミスティ、」
やはり彼女から返答はない。
「僕なしでいられないようにならないかな。」
眼下には、夜にもかかわらず明々と火を灯した村が近づいていた。




