32 渇望する
ガサガサと枝を掻き分けて、私は森の中を走っていた。
盗賊の頭はふらついているものの、私の足ではすぐ追いつかれる。出来るだけ木の多いところを選んで逃げるが何が最善か分からない。
「へへ、もう魔法は使わねぇのか?」
それよね。
回復したら直ぐにでも爆散させてやりたいが、如何せん絶賛追い掛けられ中なので休む暇もなければ当然回復もしない。
それどころか体力が限界を迎えようとしている。前世でも鬼ごっこでは序盤で捕まっていたのに盗賊のおっさん相手に撒ける訳がなかろうがという話である。
「………っはぁ、……クソが………!」
今の低くざらついた悪態はおっさんではなく私のセリフだ。これだけスパルタ運動部の走り込み並に追い込まれれば口も悪くなるというもの。実際はそこまで走ってないのだろうが私にとっては限界だし真面目な話をすると昼から何も口にしてないし脱水で死ぬんじゃないだろうか。
足もめちゃくちゃ痛い。生まれた時から草原でも走り回っていれば足の裏も耐性がついたかもしれないが、お嬢様暮らしの軟弱な足裏で何が落ちてるかもわからない地面を踏みしめるなんて自殺行為じゃないのか?
普段なら土で汚れるとか虫を踏んだら最悪だとか考えるところだがそれどころじゃない。うっかりささくれた木の枝なんて踏もうものなら樹木にまで殺意が芽生えてくる。
片足だけ靴があるのでそっちは痛くないが走りにくいことこの上なし。でも脱いだら左足もズタズタになるぁあ゛あ゛ぁぁっくそ!!
「っぐ!」
苦し紛れに拾って投げた石は幸運にも相手に命中した。これで当たらなかったら労力と時間の無駄だわ。ほぼ博打ね。
頭は石で少し怯んだものの、またすぐ動き出す。さっきの雷撃でダメージを受けているにも関わらず薄ら笑いを浮かべながら追ってきているし………私ってよっぽど金になるのかしらね。
ひたすら走っているうちに方向すら怪しくなってきた。多分こっちで合ってるはず、恐らく、きっと………そもそもここどこ? エリル村からどのくらい離れてる………?
こんな事ならあの悪魔と契約か何かしとけば、呼べば来たのかしら。契約によって魂の繋がりが何とかとか、厨二的な……そういうオプションが付いているかどうかは知らないけど。
「……………くっ!」
ついに追いつかれたらしく、後ろから肩に手が伸びた。触れかけたのをすんでのところで振り払うがもう頭との距離はほぼない。
このまま、捕まる。
そうなればどうする? 最後の体力を使ってこいつの頭に魔法を流し込めば殺せるかもしれない。そのまま私も力尽きて心中になる可能性もあるが、助けが来れば或いは………。
そもそも初めから殺していれば今頃子供たちも解放出来ていたのではないか。弱いくせに、殺さずに済めばと、そんな余裕はないのに。
もっと力が欲しかった。私の魔法は強いけれど、私自身は未熟者だ。
中途半端に力があるから、こんなにももどかしいのか。
「諦めが悪いぜ。」
追跡者に背中を押される。もはや惰性で動いていただけの足はもつれながら力を失い、私の身体は呆気なく地面に投げ出された。
「うっ………」
どうして私がこんな目に……泥と土に塗れ、枝や小石を踏んで走って、ゲーム内のヒロインでもこんな目に遭ってないわ。
「ははは、捕まえたぞ……」
起き上がろうと地面についた右手は男に掴まれた。肘でも食らわせてやろうと思ったが、素人の肘鉄は不発のまま後ろに引き寄せられる。
誰か、助けに来てくれないだろうか。
分かっている。周りに音もないこの場所に助けが来ないだろうことは。
エリル村の信者達はきっと探してくれているだろう。警備隊も動いていた。だけど今、この周囲にいないのなら間に合わないのだ。
「………うぉっ?!」
土を一握り盗賊の顔に向けて撒き、その手を顔に擦り付ける。あわよくば、目に入れと。
まぁそんな悪足掻きが通用する訳もないのだけど。
「あぁっ………!」
土まみれの左手も後ろ手に捻り上げられた。乱暴に動かされ肩が痛む。
無理に動かすと痛いが、この手は盗賊の体に触れられる。もう他に出来る事はない。
自分の命が何より大事だわ。
座った状態で、背後から両手をそれぞれ掴まれた格好になった私に盗賊は勝ち誇ったように笑った。
「はは、無駄なあがきだったな。」
「……ジル! ジル!」
猶予も、選択の余地も無くなった私の口からは、何故か契約もしていない悪魔の名前が出ていた。
「誰を呼んでも無駄だ。」
蹄の音も、足音もしないけれど。
「ジルベール!!」
「呼んだ?」
魂の繋がりも血の盟約もない、野良の悪魔は宙から赤い瞳で見下ろしていた。