18 魔狼は恐怖する
私は今まで恐怖というものを感じたことが無かったように思う。
生まれてこの方天敵と言える生物はいなかったし、自分の好きなように、自由にやってきた。
予想のつかない事態というのも記憶の限りは無い。
しかし今、私は恐怖している。
それは何故か。
壁を一枚隔てて聞こえてくるあの悪魔の囁きのせいである。
あの娘が私が留守の間に召喚したと言う悪魔。家で大人しくしていると言いながら悪魔を召喚しているなんて誰が予想出来るというのか。
帰る途中ミスティアのものとは違う、怪しい気配を感じた時は初めて冷や汗をかいた。そいつは私の警戒とは裏腹に実に呑気な態度だったが。
この悪魔、何を考えているのかさっぱり読めない。あの娘をじっと見つめているかと思えば慌てて目を逸らすので、初めは取って食おうとでもしているのかと心配したが、どうも違うらしい。
以前この小屋に居た人間に聞いた悪魔の像とはかなりかけ離れているように思う。見た目は聞き及んだ通りなのだが…
好戦的な顔つきの割に毎日家事ばかりしているし、料理の材料を求めてどこかへ消えたり服を作りに町へ通ったりと何とも奇妙。無駄に器用で、私の毛も綺麗にカットした。その手際は賞賛に値するがそれは別の話。
とにかく奴は変なのだ。
しかし何より気味が悪いのがこの囁き。
私の寝所のすぐ隣はあの娘の寝室との壁になっている。そこから毎夜、あの悪魔の話し声が聞こえてくるのだ。あの娘は眠っているのか声は聞こえない。つまり奴は一人で喋っている。
不気味なことこの上ない。
奴がここに来た当初、あの娘が眠ってから少しして家事を片付けた奴は寝る訳でもないのに寝室に入っていった。夜這いを警戒して様子を見に行った私は、日記のように独り言を言う奴を見て、悪魔は頭がおかしいのだなと妙に納得した気持ちで静かに部屋を後にしたものだ。
あれから放置していたが、こう毎日では気になって落ち着いて眠れん。
そろそろ文句を言わねばなるまいと思い、仕方なく部屋に入った私は思わず顔を顰めた。
《…何をしているんだ。》
「えっ、ザッハさん、ちょっ……」
ドアを開けて入室した私に慌てて顔を向ける奴。
その指はミスティアの頰を突いている。
「これは、その、ほんの出来心で…」
と言いながらも突つく指を止めない。
《全く、何をやっているんだ。》
「ちょっと癖になっちゃって。」
《やめなさい、起きるぞ。》
「全然起きないよ、ほら。」
今度は両頬を引っ張って伸ばす。ミスティアは嫌そうな顔をして小さく呻いたが起きる気配はない。
「あ、痛かったかな…」
奴は慌てて手を離して確認してから、ベッドの横の椅子に座り直した。
《────お前、毎晩ボソボソと何を言っているんだ。》
丁度いい機会なので気になっていることを聞いてみた。前に見た時はその日の食事の話を呟いていたと思うが。
「え、秘密。」
《変な呪文でも唱えているのではないだろうな。》
「ないない、それはない。」
この胡散臭い悪魔は胡散臭いが悪意はない。
気味が悪いので聞きたくないが、今度抜き打ち検査でもすれば良いか。
《気味が悪いから控えてくれ。妙な真似をしたら追い出すからね。》
「前から思ってたけど僕のこと変なモノとか気味が悪いとか傷付くな〜。」
《そんなタマではないだろう。》
ヘラヘラと文句を言ってくる奴を置いて寝所に戻る。
明日は私を恐怖させる第二の存在、村の小僧が来る日だ。早く寝て備えねばならない。
全く、あの娘を拾ってからというもの心休まる暇がない。この短期間でこれだけ問題が起こるのだから、これからも何かあるのは間違いないだろう。
しかし私は、あの娘に振り回されるのが嫌いではないのだ。
ここまでが第1章、次回から第2章の予定です。




