15 供物は心酔する
「蜘蛛の魔物の被害からも立ち直っていないと言うのに……これでは我々は立ち行かなくなってしまう。」
「既に村の男に家畜、被害が出ている。幸い死人は出ていないが…」
ぼくは広場の隅から、村人全員で行われているこの会議を絶望した気持ちで見つめていた。
いや疾うに絶望していたのだ、今在るのは諦めか。
「警備隊はどうなっている?依頼した筈だろう。」
「どうせ、余程の事がないと動かんよ。」
「余程の事でしょう!!」
会議の中心の方に居る中で比較的若い男が、声を荒げて床を叩きつける。
そう、村人にとっては余程の事。
でも警備隊には限りがある。人手が足りないのだ。常駐しているのは栄えた町や重要な物資のある場所。その他は、先ほど話題に上がった蜘蛛の魔物程度ならば各々で処理するのが普通だ。ただ今回は異常な数だった。
「分かってくれる筈だ、我々の現状を見て貰えば…!」
「ここは辺鄙な村だ、巡回も滅多に回って来ない程だ…難しいだろう。」
村の誰もが自分達は見捨てられるのでは、という不安に駆られていた。この不安が行き着く先を知っている。きっとそうなるだろう。
「警備隊に魔女のことを言えば良いじゃないか、貴族の坊ちゃんだって見たんだ、信じてくれる。」
「この時代に誰が魔女を殺せると言うんだ。下手に手を出せば我々が火の粉に晒されるのは自明だろう。」
誰もが口々に不安を言い募る中、村長が静かに、しかしよく通る声で言った。
「…やはり、魔女の怒りを鎮めねばなるまい。」
あぁ、やっぱりそうなってしまった。
自分には未練などない。だが、この事実が、それだけが、途轍もなく悲しいのだ。
「エリック、こちらに来なさい。」
ぼくは、それが自分だと知っていた。
この村はまるでぼくのようだ。
村長に命じられた村の年長者の女性が、数人がかりでぼくの身を清め身なりを整える間、ぼくはただじっと虚空を見つめていた。
以前にもこんなことがあったのだろうか、老婦は手際よく支度している。
とうとうぼくは捨てられる。
だがぼくの命には使い道があった、存在した意味があったと思えばいくらか悲しみは和らいだ。もう麻痺していたのかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
「おまえには悪いと思っている。しかしおまえは村で一番美しい、魔女も満足なさるだろう。村はきっと救われる。」
最後に町長はそう声を掛けた。
いずれ見捨てられる、ぼくのようなこの村。
身寄りの無いぼくをここまで育ててくれたこの村を救えるというのに、そのことには些かも喜びを感じないぼくは心が冷たいのだろうか。
或いはぼくに似た村がぼくとは違い救われることが悔しいのか。
「…役目を果たします。」
村からしばらく馬で運ばれた後、山の中で一人降ろされた。魔女は山の奥に住むと言う。
村の為ではあるが村のことなど微塵も顧みずに、自分の使命の為だけにぼくは歩いた。
途中、巨大な虫の魔物に遭遇したぼくは木陰に座り込んでしまった。こんなところで、こんなものに殺されるのは嫌だ。
死ぬ恐怖よりも無為に散る恐怖が勝っていた。
恐怖に歪む視界にそれでも何とか魔物から目を逸らさずにいると、それは突然降り注いだ。
鋭い一筋の黒雷が空を裂き、魔物を穿つ様に目を瞠る。自分にもそれが落ちたような心地がした。
「あなたが、魔女……様、ですか。」
黒雷の後に現れたひとは宵闇のような瞳でこちらを見た。
このうつくしいひとの手で終わることが出来るのならば、それは幸せと呼べるのではないだろうか。思わず伸ばした手は震えるばかりで届きはしない。
そんなぼくの手に魔女様はその白磁のような手を重ねた。引き起こされながら、ぼくはこの人の温度のなさそうな手にも温度があるのだななどと、どうでもいいことを思っていた。
魔女様は村を襲うような野蛮な方ではなかった。むしろ蜘蛛の魔物から村を守ってくださった、素晴らしい方だった。
一撃で巨大な魔物を倒す様相は恐ろしくもあるが、それ以上に荘厳で息を呑んだ。
だがそれと同時に気付いてしまったのだ。村を脅かす魔物が討たれた今、供物の役目は要らず、魔女様に望まれなかったぼくは本当に意味のないものになってしまった。
「………では村に戻って報告しますね。」
これからぼくはどうすれば良いのだろう。
村に戻るまでの道、ぼくは成るたけゆっくりと歩いた。魔女様は文句も言わずぼくに歩調を合わせている。
優しいこの方はぼくを送ってくれると言う。
でもぼくを必要としてはくださらないのだ。
村に戻ると、魔女様は村長を呼んだ。
恐縮する村長をよそに、魔女様は卵を見て目を輝かせていた。
光を水面のように反射して宵闇の瞳が不可思議に煌めく。
その様を横で眺めていると、魔女様は卵を使ってお菓子を作って貰うのよ、と嬉しそうに言った。
「村長には後ほどまた話しておきます。」
村長はかなり混乱していて魔女様のお言葉を理解していなかったので、よく話す必要がある。
「よろしくね。」
これでこの方とはお別れだ。
次はいつ村に来てくださるのだろう。
「ねぇ、これは思いつきなんだけど。」
村の外れで魔女様は振り向いた。
「私とこの村の連絡手段になる気はない? 魔物についての連絡とか、卵の配達とか。」
「ぼくが、ですか。」
連絡手段、つまり村との橋渡しになれということだろうか。こんな発言権もないようなぼくに任せて、上手くいくだろうか。
「嫌なら無理強いしないけど。」
そう、ぼくに何が出来ると言うのだろう。
この貧弱な体は畑仕事をするにも他に劣り、かと言って特別な技能もないのに。
「…魔女様の、お役に立てますか?」
やっとの思いで紡いだ言葉はみっともなく震えていた。慈悲深い魔女様はぼくを励ましてくれるかもしれない。ぼくを肯定してくれるかもしれない。
そんな甘えたぼくの期待を魔女様は試すような笑顔で打ち砕いた。
「役に、立って。」
愚かなぼくは今更思い知った。ぼくは価値のある人間になりたいと思いながら、その実何もしてこなかったのだ。
「……っ、頑張ります。」
それでもこの方の役に立ちたいと、強く思った。価値がないなら作るのだ。この方にお仕えする為に。
「私が悪い魔女じゃないって、皆に伝えておいてね。」
「もちろんです。」
そうだ、村長達は誤解していた。
魔女様の素晴らしさを村中に広めなければ。
この日ぼくは生きる意味を、ようやく見つけたのだ。
エリック少年は信仰に目覚めてしまったようです。




