92 昼下がりの聖歌
午後。騎士団の馬車で向かった先は、王都の中でも閑静な住宅街の外れで、のどかな草原の近くだった。
騎士に促され馬車から降りると、草原を背にした教会が目に入る。
緑の中にぽつんと佇むその外観は、しっかりとした石造りで、少し年季が入っているがその古ぼけた様が温かみを出しており、本来の荘厳さとうまく調和している。
隣には同じ雰囲気の、神使さまや孤児のための居住用の建物がある。
「我々は見られるといけませんから、ここで待機していますね。」
騎士と別れて教会に向かう。
手筈はこうだ。
目的の地下へは教会の中の階段からしか入れないため、まずは聖歌隊に紛れて教会へ。
この教会では、パート分けの後には建物の中と外と分かれて練習をするらしいので、移動のどさくさに紛れて階段で地下に降りる。
パート練習の間に魔物を駆除して、何食わぬ顔で聖歌隊の群れに戻る。
ジルは万が一のために近くの木の上で待機するということで、途中まで一緒に行く。
まぁ万が一の時は教会を破壊してでも逃げるから大丈夫だけどね。ネズミの数が尋常じゃないとかでなければ、普通に駆除できるでしょうし。
「悪魔って教会大丈夫なの?」
「前世のは知らないけど、この世界のは入っても平気。」
入ったことあるのね。
「あ、昔ミサ出て歌ったこともあるよ。」
「何にでも手を広げすぎじゃない?」
むしろこの依頼ジルに行かせても良かったんじゃ?
いや、騎士団にジルまでヤバいと思われたら困る。そもそも背の高い男とか目立ち過ぎるからダメか。子供じゃないし。
「魔女様も歌うんでしょ? あの辺なら聞こえるかな?」
「聞かなくていいわ。」
教会に近付くと、既にたくさんの子供が集まっていた。ジルに手を振り、内気な演技に入りつつ歩いて行く。このまま他の子の流れに合わせて中に入って良さそうだ。
教会の中には祭壇とズラリと整列した椅子。全体的に木材の茶色で落ち着いている。庭らしき裏手の草原には洗濯物が揺れ、教会の子だろうか、子供たちが走り回っている。
春の陽気や周囲ののどかな風景と相まって穏やかな空気を放っているが、ここから魔物が飛び出したという話だ。
見た目と中身が違うのは世の常だけど、こんな無害を煮詰めたような場所からそんな物騒なものが飛び出すなんて………エリル村の教会なら分かるけど。
エリル村といえば、前に十字架を魔のモニュメントに改造して掲げた教会を作るという恐ろしいやらかしをしたが、実際に教会の屋根の上には十字架が掲げられている。
キリスト教でも何でもないのに変な話だが、信仰の対象であるゼーゼリアのシルエットがこの形状らしい。
前にそのポーズの絵を見たことがあるが、左右に大きく広げた両手にそれぞれ果物と金貨を持っていて、奇術師みたいな感じだった。もしくは守銭奴。
とまあ、この世界ではこういう理屈だが、ゲーム的には単純に教会のイメージから十字架を採用しただけかもしれない。
「あれ、初めましての方ですね?」
入り口に差し掛かると、三つ編みの面倒見の良さそうな女の子に声をかけられた。
箒を持っていて、他の子供たちを仕切っている感じがするので、教会の人だろうか。
「あ………はい、えっと……今はおじいちゃんの家に来てて………アンといいます………」
楽譜を握りしめて目線を合わさず、もじもじしながら言っておく。
最初にどもる奴だと思わせておけば、この先返答に困る質問がきて詰まっても誤魔化せる。
この内気設定は正解かもしれない。
「そうなんですね! 私はジョゼです。案内しますね。」
教会では孤児を預かっていて、年の大きい子は教会の手伝いをするようになり将来も教会に仕えることが多いと聞くが、ジョゼはその模範生のような感じだ。
箒をさっさと片付けて私を誘導する。
今のうちに地下への階段を見つけないと。
入り口近くのドアは、さっきジョゼが箒を仕舞っていたので関係ない。左右は窓と壁。
残るは祭壇の後ろ、左右にある扉だけど………どちらにせよ神使が立ちそうな場所の後ろになるから行きづらいわね……。
「神使さまが来るまでは皆さんこちらで座って待っています。空いている席へどうぞ。私は小さい子たちと前列にいますから、何かあったら声をかけてください。」
「……ご、ご親切に、ありがとうございます、あのっ…………神使さまは、今どちらに?」
「地下だと思いますよ。」
よし、なら神使が出てきたドアが当たりね。
あとはうまく入れるか………
出来るだけドアの近くに陣取りたいけど、最前列は神使に覚えられると面倒だ。近くにいるとジョゼに世話を焼かれるかもしれないし。
仕方なく、内気っ子らしく最後尾の隅っこに座り待機していると、向かって左のドアから神使が現れた。にこやかに出てきて、祭壇に立つ。
「ゼーゼリア……彼の者はその昔、我々の祖先が飢餓に苦しんでいるとき、天から舞い降りたといいます。彼の者から与えられた赤い果実は、一口齧ればたちどころに力がみなぎり、祖先は飢えから救われました。」
これはよくある教会の前置き、ゼーゼリアと人間の馴れ初めのようなものである。
ここに通っている人は耳にタコができるほど聞かされているはずだが、みんな黙ってお利口に聞いている。
「感謝のしるしに金貨を捧げると、彼の者はその心に感動し、また飢餓に襲われたとき現れて、さらなる赤い果実をお与えになりました。こうして我々の祖先は生き延びることができたのです。」
いつも思うのだが、赤い果実とはドーピング剤か何かなのでは?
「感謝の気持ちを忘れないこと。そうすれば、ゼーゼリアはこの先も我々をお見守りくださることでしょう。───ゼーゼリアに感謝を。」
全員が黙祷を捧げる。
今のうちに整理しよう。パート分けが始まったら、左のドアへ滑り込む。外に出る子供は良いとして、中に残る子供の視線を逸らさないとね。ガラスでも割るか………? 派手すぎて神使も飛んでくるか。地味にこう、椅子を割る……とか?
「では、まず全員で一度通しで歌ってみましょう。」
考えているうちに黙祷が終わってしまった。
楽譜を開いて目立たない程度に歌っておく。
通しが終わると、分かれて練習しましょうと言って神使は外に出て行った。高音が中、低音が外らしい。通っている人は流れるように建物の外と中に分かれていく。
その間さりげなく壁際に寄り、壁伝いにドアへと近づく。
が、高音パートは祭壇の辺りに集まろうとしていた。私はそこに用があるのよね。
一番しっかりしていそうなジョゼの注意をまず逸らしたいけど………
いろいろと考えながらジョゼを見ていると、ジョゼと手を繋いでいる二歳くらいの子が目についた。
ジョゼは小さい子の面倒を見ているし、この子が外に出たりしたら追いかけるのでは。魔法の光で擬似ホタルでも生み出して、この子を外に誘導しよう。黒い光だけど、このくらいの歳の子なら何でも興味持つでしょう。
ちびっ子の目線の先にバチっと光らせようと、杖を出して慎重に場所を選ぶ。うっかり人体にぶつけたら恐ろしいものね。
しかし実行に移そうというところで、ちびっ子と目が合った。
「うぇええぇぇええ!!」
唐突に泣き出すちびっ子。
なぜ泣く?! まだ何もしてないけど?!
「あらあら、どうしたの? いつもはおとなしいのに………」
いつもはおとなしいってどういうことだ。
私か? 私と目が合ったのが悪いのか?
幸いと言うべきか、ジョゼは小さい子が泣き出したのでそっちに掛り切りになった。練習の邪魔にならないように、あやしながら外に連れて行くようだ。
結果として成功だが、なんだか腑に落ちない。
まぁいいわ。気持ちを切り替えよう。
残るは他の参加者。
目的のドアと対角線上に位置する、最後尾の椅子の背に黒雷を落とし、少し割ってみる。
子供たちはバキッという音に反応はしたが顔を向けただけで動かない。
もっと派手に壊すか………? でもそんな怪現象起こしたら騒ぎになるわね。
「ミャ~」
どうするか困っていると、ふいに猫の鳴き声がした。
「あ、猫だ!」
「どこ? 猫どこ?」
ちょうど私から遠い位置、反対側の窓の外から聞こえた猫の声に、子供たちがわらわらと集まっていく。
「ミャーオ」
子猫みたいに可愛い声で私も気になるが………これジルだわ。木の上で鳴いているのだろうか……窓の外、上の方から尻尾だけ出して祭壇の方を指している。今のうちに行けということか。
ナイスアシスト、それにしても猫の鳴き真似まで上手いとは。芸達者な悪魔ね。
子供たちが存在しない猫に夢中な間にドアの中へ入り込むと、そこは狭い空間だった。ちょっとした休憩室だろうか。簡素なテーブルと椅子、そして対面にもう1つの扉がある。
これが地下に続いているはず。
「げっ………。」
開こうとするも、扉には簡易なロックが付いており、その輪上の出っ張りに南京錠が通され施錠されていた。鍵は神使が持っているのだろう。
鍵を壊すことは出来るが、それだと神使に知られずに駆除することが出来ない。
………鍵が劣化して壊れた、と思ってくれることに賭けるしかないわね。唯一神ゼーゼリアよ、願わくば神使がバカでありますように。
音がしないように気をつけながら、南京錠の掛け金のアーチ部分を闇オーラを纏わせた指で切断して外す。
劣化感を出すべく切断面を少しでこぼこにして、床に落としてから中へ入る。
「♪~」
階段を降りていると、上から聖歌隊の歌が聞こえてきた。練習が始まったようね。
練習の間はこちらの物音も聞こえづらいし、神使も来ないだろうからやりやすいわ。
上の歌に合わせて口ずさみながら地下の長い廊下を歩く。
廊下の中盤に差し掛かったところで、廊下の先、突き当たりの場所に魔物入りの鉄柵のようなものが置かれているのを見つけた。
魔物が移動しないように、巣の上から神使が被せたのだろうか。よく見るとウサギ用くらいの大きさのケージの中に、魔ネズミが数匹蠢いている。これが駆除される様はあまり近くで見たくないわね。
少し距離のある位置で止まり、アタリをつけてから杖を振る。距離感がズレると困るので高さだけ合わせて真っ直ぐ、ケージにぶち当たるまで黒雷を走らせた。
「………ふぅ。」
ケージごと標的を破壊し、確認のため進み出る。
壊れたケージから這い出た生き残りの一匹を追加で攻撃して駆除を終えると、違和感に気づいた。
魔ネズミと鉄柵のカスのようなものは散らばっている。しかし残骸の中や壁面、床にも巣のようなものがない。
「巣じゃないわね………ただの檻だけ? まさかペットにしてたんじゃないでしょうね。」
そうなると、騎士団が入ってくるのを拒んだのにも納得がいく。まさか神使サマが魔物をペットにしていたなんて、世間体が気になるどころの話じゃない。
地下への扉に鍵をかけていたのもそういうことか?
悪趣味すぎるわ。
………というか、騎士団の方も中に入らないよう強く言われた時点でおかしいと思ったんじゃないの? これ、意図的に私を巻き込んでない?
「……ニルガータ…」
騎士団への不信感を募らせている私の耳に、透き通った、か細い声で謎の単語が飛び込んできた。
何? 煮るガーター?
意味不明だが、そんなことよりも。魔法で魔物退治しているところを誰かに見られた。
そう思い顔を上げた私の目に飛び込んで来たのは、右手の壁から突き出た二本の腕だった。




