テーマ×テーマ小説 (主人公:イケボ×現場:マズいラーメン屋)
こんにちは、葵枝燕です。
この作品は、我が姉の唐突な思いつきから書き始めた作品の第八弾です。
二月中の投稿を目指していたのですが……なかなか書き上げられなくて、結局四月に入ってからの投稿になってしまいました。
詳しくは、後書きにて語りたいと思います。
また、全体のストーリーとしてはそうじゃないのでキーワードとして入れていませんが、物語のクライマックスに微妙にボーイズラヴな文言があります。苦手な方は、中断していただければと思います。
それでは、どうぞご覧ください!
俺がそのラーメン屋を訪れたのは、街で偶然、俺の名前を聞いてしまったからだった。
「ねえ、あれってもしかして!」
「三岡藤岐じゃない⁉︎」
そんな会話を耳にしたら、無意識に踵を返していた。この場から逃げ出しているという事実に、自分で自分が情けなくなる。同時に、どこにでも俺を知っている奴がいるのだと、辟易していた。
有名だとか、人気があるだとか、自分ではそうは思わない。声優としてデビューして約五年が経つが、主人公といえる役を演じたことは一度もない。名前のあるキャラを演じさせてもらうことが少しずつ増えてきてはいるが、それでもモブ以上サブ以下な役ばかりだ。しかし、顔を出して色々な場に出ている以上、知名度はある程度出てくるものなのだろう。これも有名税というものなのかもしれない。
人気が出てきたことも、知名度が上がってきたことも、嬉しいことだし喜ばしいことだ。でも、次第に大きくなっていく“三岡藤岐”という名に、自分自身が圧し潰されてしまうような、そんな錯覚をおぼえることがある。贅沢な悩みなのかもしれないが、それがこわくて仕方がなくなるときがあるのだ。
そんな諸々から逃げるように、路地に入る。薄暗く、人通りのない、静かな場所——俺は、ひたすらにそれを目指していた。願うなら、誰も俺を知らない場所にいたかったのかもしれない。
そして俺は、一軒のラーメン屋に出会した。魚ノ目と書かれた看板は、どこにでもあるような普通のラーメン屋そのものだった。
「らっしゃーい!」
店の引き戸を開けた瞬間、そんな元気な声が、俺の鼓膜を揺らした。顔を上げると、一人の青年と目が合った。歳は――二十歳くらいだろうか。少なくとも二十八歳の俺よりは若そうに見える。薄みたいな色の髪は、男にしては少し長めで、それを無造作に後ろで結んでいる。“らっしゃーい”という言葉から察するに、彼が店主らしいのだが、やけに若いように思えた。
「お一人様ですか? このとおりなんで、好きなとこ、座っていいっすよ!」
青年に言われて店内を見ると、客は誰一人いなかった。カウンター席のみで、椅子は七脚しかないのにもかかわらず、だ。閑古鳥が鳴いている――そんな言葉が頭を過ぎった。
「何になさいます? つっても、醤油ラーメンと、味噌ラーメンしかないっすけど」
カウンター席の真ん中の椅子に座るなり、青年はそう声をかけてきた。そこでやっと、俺は昼ご飯をまだ食べていないことに気付いた。そして、そのことに気付くと、自然と空腹感が押し寄せてきた。カウンター越しにいる青年にチラリと視線をやってから、
「じゃあ、味噌ラーメンで」
と、俺は言った。
数分後。ホワホワと湯気を立てて、俺の前にラーメンが置かれた。
「どうぞ召し上がれっす!」
「いただきます……」
威勢のいい青年の声におされるように、俺はそんな言葉を発していた。一人で食べることの多い普段の俺であったなら、きっと無言で食べ始めたことだろう。最近の俺にとって、“いただきます”なんて、与えられた台詞でなかったら、まず言わない言葉だった。
見ているだけで空腹を刺激する、そんなラーメンに箸をつける。麺を数本つまみ、フウフウ冷ましてから口へ運ぶ。
そして俺は、簡潔に感想を述べた。
「マッズ」
俺は驚いて、目の前のラーメンを凝視した。あたたかそうに湯気を立てているそれは、見た目はとてもおいしそうだった。しかし実際、口にしてみるとものすごくマズかった。そう、マズいとしか表現できない味だったのだ。
そこまで考えてから、やってしまったと思った。目の前には、この店の主人と思しき青年がいるのだ。にもかかわらず、俺はあまりにも正直に、そして、あまりにも簡潔な言葉で、その感想を口にしてしまった。
とりあえず、どうにかして取り繕わないと——そう思い、
「あ、あの……」
と、顔を上げつつ、言葉を発する。
「やっぱり、マズいっすよねー」
そんな間抜けた声に、俺の思考と動きが止まる。
「……え?」
完全に顔を上げたとき、目の前の青年のあっけらかんとした笑顔にぶつかった。それでよけいに、俺は混乱する。
自分でつくった料理を“マズい”なんて表現されて、気分を害さない人はいないだろう。だとするなら、なぜこの青年は笑顔なんて浮かべている?
そんな俺の気持ちをよそに、青年は笑顔のまま、
「いやー、オレも思うんすよね。オレのつくるラーメンって、めっちゃマズいなぁ――って。だからなんすかね、お客さん、全っ然来ないんすよー」
と、述べた。それは、いっそ清々しく、爽やかとさえ思えるほどに明るい声だった。
「マズい自覚はあるんですね、このラーメン」
注文した以上、残すのはさすがに気が引けて、俺はラーメンをひたすら口に運んだ。心を無にして、味のことは考えないように食べ進める。
「そりゃあ、まあ。一応、バカ舌じゃないつもりなんす、オレ」
「それでこの味……?」
一体全体、何をどうしたら、どんな具材や調味料を入れたら、こんなマズいラーメンができるのだろうか。いや、自覚するほどマズいラーメンを、どうして客の前に出そうなどと思うんだろうか。俺には、この青年のことが理解できそうになかった。
「おやっさんに色々と教えてもらってたら、きっとおいしいラーメンがつくれてると思うんすけどねぇ」
「おやっさん?」
ずっとこの青年が店主だと思っていたが、そうではないのだろうか。ひょっとして、その“おやっさん”なる人物こそ、この店の本当の主なのだろうか。そして、今はやむを得ない事情で、この店を青年に預けている——そういうところなのだろうか。
「おやっさんは、この店——魚ノ目の主人っすよ。つっても、元、なんすけどね」
青年は、どこか寂しそうにそう説明してくれた。そして、こちらは何も訊いていないのに、
「いやー、おやっさんの頃はもっとお客さんでいっぱいだったんすよ、この店。『店主はこわいけど、味は超一級品!』って感じで、そこそこ有名だったんす! でも、そのおやっさんが病気で逝っちまいましてね。もう八年になるんすけど」
「八年⁉︎」
俺は目の前の青年を、てっきり二十歳くらいだと思っていた。俺もよく、実年齢を言うと「嘘でしょ⁉︎ もっと若いと思った!」と驚かれるのだが、青年はそんな俺よりも若く見えたのだ。
そんな俺の疑問など知る由もない青年は、
「そうなんすよー。おやっさんが八年前に病気で逝っちまって、それ以来、ただのバイトだったオレが跡を継いだんす! でもっすね――」
と、続ける。
「継いだとこまではよかったんすけど、オレ、ラーメンのつくり方なんて何も知らなくて。オレの仕事は、無愛想なおやっさんの代わりに接客すること、だったんすよ。ラーメンつくるのは、もっぱらおやっさんの役目――どころか、おやっさん、オレを厨房に入れてくれたことなかったし」
「あぁ……」
そんな青年の言葉で、何だか謎が解けたような気がした。青年が、誰も客のいないラーメン屋を開け続けている理由も。俺は、残っていたスープを飲み干した。やっぱり、マズい、としか形容できない味だった。でも、確かにマズいそれを、俺はどこか幸せな気持ちで飲み干していた。
「本当は、おやっさんがいた頃みたいに、めっちゃ繁盛とまではいかなくても、お客さんに来てほしいんすけど……」
「そうなるようにすればいい」
不意にそんな言葉がついて出た。青年が目を丸くして俺を見る。
「このままでいいとは、思ってないんですよね? ならせめて、おいしいラーメン、つくりましょう。俺でよければ、手伝います」
「お疲れ様でした」
事務所が同じ先輩声優と二人でやっている生放送のラジオ収録を終え、俺は鞄の中からスマートフォンを取り出した。ロック中の画面には、メールやSNSの通知がズラリと並んでいる。それらをザッと流し見ていると、一つの名前で自然と俺の手が止まった。
【らいち】
思わず口元がほころぶのを感じた。ロックを解除し、メッセージを確認する。
【こんにちはっす! ラーメンの試作品五号ができたんで、よかったら食べに来てほしいっす!】
字面だけで、その相手の顔が浮かぶ。俺はそのメッセージに、
【仕事終わったから、今から向かう】
とだけ打ち、送信した。我ながら、無愛想な言葉だと思うのが、何だかおかしかった。
一時間後。俺は、あのラーメン屋――魚ノ目に来ていた。
「さ、どうぞ召し上がれっす!」
店主である青年――魚見良壱は、どこか自信満々な顔だ。
「いただきます」
手を合わせてから、割り箸を割り、ラーメンに箸を付ける。それを息をかけて少し冷ましてから、口へ運ぶ。そして、ゆっくりと吟味する。
「どっすか、どっすか? 今回は自信作なんすけど」
良壱のそんな声は無視しつつ、俺は無言でラーメンを完食する。端から見れば、仲の悪いように映るかもしれないが、俺がラーメンを無言で完食した後に味の感想を口にするのはいつものことだ。その間、良壱は大人しく俺を見守っている。
「ごちそうさま」
そう言いながら、良壱を見る。その目は、キラキラと眩しく輝いていた。俺は、思わず出かかったため息を、喉奥に追いやる。
「で、どうっすか?」
「率直に言って——……」
わざと勿体ぶった言い方をする。我ながら、意地が悪いと思った。
でも、嘘はつかない。良壱が真剣なのがわかるから、俺もそれに応えなければならないのだ。
だから俺は率直に、簡単な言葉で答えを出す。
「マズいな」
「え〜っ⁉︎ 何がダメなんすか?」
不満げに口を尖らせる良壱は、やはりとてもじゃないが俺と同い歳とは思えなかった。そういう態度の端々に、彼の子どもっぽさは現れる。それでも、良壱も一応は大人だ。だから、俺は決して良壱を子ども扱いしない。子ども扱いはしないが……弟、のようには思っている。そこはまあ、複雑な心持ちだ。
それはさておき。俺はいつも、正直にその感想と見解を述べることにしている。
「しょっぱすぎる。良壱お前、塩とか醤油入れればどうにかなると思ってるだろ」
「うぇっ⁉︎ 何でわかったんすか! 藤岐さん、エスパーっすか⁉︎」
「そんなわけないだろ。ていうか、前回も同じことしてたろ。そのときも俺は、それを指摘したはずだけど」
「そうだったっすか?」
色々と試作を繰り返して、良壱についてわかったことがある。
彼——魚見良壱は、料理が下手なのだ。それだけなら、まだよかったかもしれない。問題は、彼自身にその自覚が全くないことだ。
「カレールー使ってカレーライスつくるのも失敗するし、カップ麺も失敗するし……良壱、よく生きていけてるよな」
「そんな褒めないでくださいよー。照れちゃうじゃないっすか」
“褒めてねーから”と突っ込もうと思ったが、なぜだかバカバカしく思えて、俺はその言葉を飲み込んだ。
「あ、そういえば」
不意に、良壱が話題を変える。食器を洗い終わった良壱は、紅色のエプロンに大雑把に手を拭いた。
「この間、藤岐さんが出てるアニメ、見たっすよ」
「へぇ、そりゃありが——は?」
礼を言おうとした口が止まる。思考が正常に働かなくなる。きっと、今の俺は呆けた顔をしているに違いない。
だが、そうなるほどに俺は驚いていたのだ。
「何を、見たって?」
「藤岐さんが出てるアニメっすよ。ほら、木曜の深夜一時にやってる」
「おま、アレを見たのか⁉︎」
声が奇妙に裏返るが、そんなことはどうでもよかった。
俺が今季出ているアニメは、一作品しかない。それはつまり、わざわざ確認しなくとも、初めから答えはわかりきっていたということだ。
「何で、よりによってアレを見る⁉︎」
毎週木曜の深夜一時に放送されており、しかも、俺が今出演しているアニメ——それは、ジャンル的にいえば恋愛モノだ。だが、恋愛モノは恋愛モノでも、男性同士の恋愛を描いた作品だ。原作は小説で、そこから漫画化され、昨年末にアニメ化が決まった。原作小説、漫画、アニメ――共に、評判は上々だという。
「しかも、この間やってた回って……」
俺は必死に記憶を手繰る。そして、最近放送された回のあらすじを再確認して、思わずこめかみを押さえた。
「藤岐さん、大活躍だったっすね! 知人として鼻が高いっすよ、オレ」
そんな能天気な良壱の声を、俺は聞かなかったことにした。
最近放送された回では、俺の演じるキャラクター——二歳上の同性の幼馴染みに言い寄られている彼女ありの男——の相手役である幼馴染みが主人公となって、話が進んでいた。つまり、自然と俺の出番が多くなる回だったのだ。それはそのまま、俺の台詞が多かったことも意味する。
「何で、よりによってその回を見るかな……」
「そんなの、当然っすよ」
やけに真剣な口調で、良壱が言う。表情も、真剣そのものだ。こういうときの良壱からは、いつもの子どもっぽさが消え、歳相応の大人の男が顔を見せる。
「大事なお客様であり、大事なアドバイザーでもある御仁の活躍は、オレにとっても嬉しいんすもん。応援するに決まってるじゃないっすか」
「それは嬉しいけど……」
そう、気持ちとして“嬉しい”のは本当だ。応援してもらえること、自分の活躍を自分以上に喜んでくれること――ありがたいことだし、本当に嬉しいことだ。だが、問題は良壱が見たというその回の内容だ。
その内容は、俺の演じるキャラクターの相手役が、俺の演じるキャラクターに自身の好意を告白したうえにキスをしてしまう――というものだ。熱で浮かされ、意識が朦朧としていたための行為だったのだが、俺の演じるキャラクターも相手役も、互いに苦悩することになる。しかも、その回のクライマックスは、俺の演じるキャラクターの彼女が、相手役の気持ちに感付いているように思える場面なのだ。色々と波乱を呼びそうなまま、次回は別のペアの話だったはずだ。
それはさておき。
いくらキャラクターとして演じているだけだとしても、それを良壱に視聴されてしまったことが、俺はとにかく恥ずかしく思えて仕方がなかったのだ。
「だーいじょーぶっすよ! 藤岐さん、めちゃくちゃかっこよかったすから!」
「ほんと、嬉しいんだけどさ……。恥ずかしくなるから、もうやめてくれ」
顔を覆って、項垂れる。そんな俺に、良壱がさらに称賛の声をかけてくる。冷やかしているわけじゃなく、本心から言っているとわかるから、無理矢理止めることもできない。
――誰も俺を知らない場所に、か。結局ここでも、俺のことを知られてしまっているじゃないか。
そんな後悔が、ムクリと芽を出す。けれど、いつもと違って、なぜか“それでもいいか”と思えたのだ。
『テーマ×テーマ小説 (主人公:イケボ×現場:マズいラーメン屋)』のご高覧、ありがとうございます。
この小説は、前書きでも述べたとおり、私の姉の唐突な思いつきで書くことになった作品です。その思いつきというのが、「主人公と現場のテーマを五つずつ出し合って、それぞれから一つずつ引いて、それで何か書こうぜ!」と、いうものです。
そして、第八回となる今回のテーマが「イケボ×マズいラーメン屋」でした。主人公テーマは姉の考案で、現場テーマは私の考案です。
話としては、最近有名になってきた男性声優がとあるラーメン屋と出逢うが、そのラーメン屋のラーメンの味はマズいとしかいえないものだった――という感じですよね。いつも以上に簡潔ですが、これが適切な気がします。
さてと。登場人物について、色々と書いていきたいと思います。
まずは、主人公で語り手の三岡藤岐さんから。人気、知名度、共に上がってきた声優五年目の男性です。年齢は、二十八。実年齢より若く見られがちで、ファンや仕事仲間から「笑顔がかわいい」とよく言われます。人気が出てきたことは嬉しいと思いつつ、オフの日にファンに見つかったり話しかけられたりするのは正直苦痛だと感じています。あと、料理が得意です。名字の“三岡”は姉の案、名前の“藤岐”はハマっているゲームのキャラクター名とそのキャラクターを演じている声優さんの名前からそれぞれ一字ずつ取り、この名前になりました。ちなみに、藤岐さんのモデルも、名前の由来になった声優さんだったりします。
次に、魚見良壱さん。ラーメン屋魚ノ目の店主をしている男性です。年齢は、藤岐さんと同じ二十八。藤岐さんに負けず劣らず、実年齢より若く見られがちで、ときには高校生くらいに見られることもあります。自覚なしの料理下手で、カップ麺も上手くつくれません。名字の“魚見”はラーメン屋の名を魚ノ目にすると決めたときに“魚”と付いた名字にしようと思ったから、名前の“良壱”は私の作成した「困ったときのキャラ名案」から、この名前になりました。
そんなこんなで、今回もどうにか、無事に一つの話を作り上げることができました。投稿予定日、だいぶ過ぎちゃいましたけどね。
あ、主人公テーマにある“イケボ”とは、イケメンボイスのことです。その声を聴いただけで、整った容姿の男性を想像させる声のこと——らしいです。ふむふむ、私もひとつ勉強になりました。
さて、第九回のテーマは、まだ決めていません! というか、言い出しっぺの姉がやる気をなくしているような感じです。まあ、いざとなったら勝手に引いて、勝手にやることにします。
さてと。今回はこのへんで。
この度は、拙作のご高覧、誠にありがとうございました!