ある男の話
その男は空を見ていた。少なくとも私には空を見上げているように見えた。
「どうしたんですか?」
私は、少しの間を埋めるように、聞いた。
「どうもしませんよ」
その男は、まだ空を見ていた。
このそろそろ日も暮れかかる空のどこがそんなに面白いのだろう。私は、地べたに直接腰を下ろした。スーツが汚れるかもしれないなんてことはひとつも頭に過ぎらなかった。
「鳥は夕焼けが近づくと、みんな黒色になりますね」
その男は少し笑いながら言った。
確かに、その通りだった。鳥だけではなく、ビルも、山も、全てが黒色に見えた。
私はタバコに火をつけた。
「いりますか?」
「いえ」
「そうですか」
一口吸い込んだタバコは、煙となって黒色の世界へ流れていった。夕焼けは充血した眼のようだった。
「久しぶりに会ったことですし、このあと飲みにでも行きますか?」
その男は、まだ空を見上げていた。
「そうですね。久しぶりですね。もう会うことはないんじゃないかと思ってました」
「そりゃまたどうして」
「いえ、特に理由はないのですが、なんとなくそう思っていたんです」
「でも、またこうやって会えましたよ」
「そうですね。こういう縁もあるんですね」
私は深くタバコを吸い込んだ。タバコの先が悲しくひかり、白くなって落ちた。
「いきますか」
その男は言った。もう空は見ていなかった。代わりに私の方を見ていた。
夕焼けのせいもあり、彼は黒色に染まっていて、表情はよくわからなかった。
「ええ。いきましょう」
私はタバコをもみ消し、立ち上がった。
夕焼けは充血した眼のようだった。