『逃亡』
激しい頭痛に見舞われる。
「ぅっく……」
原因は恐らく先程のあの状態だろう。
刀を鞘から抜き去った。
意外なことに眼帯男はいきなり攻撃を仕掛けてこなかった。
「どうした、まさか素晴らしすぎる俺に怖じ気づいたか?」
「否。汝の人となりは理解した。だが実力はまだ故に剣を構えた」
真面目に説明しやがった。
「――貴様ッ、なにをやっているんだ!?」
態度が変わった眼帯男の短く簡潔な説明が終わったタイミングでシグマの声が届けられた。
本人は真っ直ぐリュウヤたちのもとへと走っている。
走りながらとは器用な奴だ。
「見ればわかるだろ。眼帯をつけた奴と戦闘中なのだ」
「相手が誰か理解しているのかと訊いている!」
訊いてないだろと言言いそうになるも、時間の無駄だと判断して仕方なく飲み込んで返答した。
「さすがにもうわかったさ。〈王国の守護者〉序列1位――〈隻眼の剣聖〉ギルシア・S・アイオンだろ」
眼帯、この強さ、そのふたつが揃う人間は世界に一人しかいない。
「汝は当方を存じているのか」
驚いたように瞼を上げる。
「あんたを知らない奴は、この世界にはいないさ」
そうだ。この眼帯男は子どもでも知っているような有名人だ。
シグマの憧れである、世界で〈剣聖〉と呼ばれる人物はたったふたりだけ。――人間のギルシアと、魔族のバルレウスだ。
序列1位がここにいる……となると、王都に進行していた〈法儀国〉の連中は捕虜にでもならなければまず生きてはいまい。
「あんたが誰なのかはさておき、そこを退いてくれ。俺は妹と旅のお供を助けねばならないのでな」
「……承諾した。当方は左から、汝は右からだ」
「誰があんたの指示なんか――おいっ、ちょ待てよ」
人の話も聞かずに、散々思い知らされた速さで敵の左側面に移動していた。
あいつ、普通に立っていやがった。地面の上、地上なら不思議ではなく当たり前だ。
だが、ここは地上ではない空中だ。そこに平然と立って、剣を構えていた。
今も見間違いでないのだとしたら、空中を蹴って移動した。
浮いたり飛んだりするのは簡単に習得できる。
しかし、立つことだけに関しては難易度がまるで違う。
つまりあの眼帯男は、敵なら確実に面倒な相手に決定だ。
「わかったよ、右をやれば良いんだろ、やれば」
眼帯男――もといギルシアに従うのは癪だが、あいつとの戦闘を回避できるのなら悪くない策だ。
あいつを相手にするならば、あれを使わなければ……ったく、面倒事はごめんだ。
俺もギルシアと同じように空中を蹴り、一度の跳躍で敵の右側面に到達。勢いがつき過ぎていたようで、着地時に地面に筋を描いた。
「誰だ貴様は!」
「奇襲だッ、返り討ちにしてやれ!」
「敵は一人だ、数で押し潰せ!」
右側面に展開していた敵が、派手な登場をした俺に気付いて攻撃してきた。
前方からシグマが突進し、両側面から俺とギルシアが攻める。
作戦として理に適っているのが少々悔しいな。
「……そう言えば」
シグマの素性がバレないように仮面を装着したは良いものの……呼び名変えてない。
思わず苦笑い。
「死ねえぇ!」
どうしようかと考えていると、そんなことなどお構いなしに敵が仕掛けてきた。
「うるさい!!」
こいつらのような連中にバンガスが造った刀を使うわけにはいかない。
「「うわぁぁぁあ!」」
刀を鎌に持ち変えて考え事を邪魔した奴らを吹き飛ばした。
「〈電双雷閃〉」
ふと気になって左側面に視線を送ると、凄まじい雷が降り注いだり空へと伸びたりして戦場を掻き乱していた。
「あの野郎っ、俺を巻き込む前提で攻撃していやがる!」
悲鳴やら轟きやらが反対側にいる俺まで届いた。ついでに攻撃までもがだ。
「良いだろう。俺も負けてられるか――〈双黒円舞〉」
鎌を回転させ、円形の黒い衝撃波を周囲に飛ばし、数を武器に俺を囲もうとしていた敵の騎士たちを凪ぎ払った。
バッカスの猛進やリュウヤたちの活躍もあり、敵はもはや戦線を維持できていない。視線をずらせば逃げ出している者もいた。
「弱い、弱すぎるぞ!」
「じゃあ、オレが相手をしてやるよ」
意気揚々と突然話しかけてきたのは見覚えのある少年。たしか、名前はサドル――
「サトル様が来てくださったぞ!」
「我らに楯突く愚か者をどうか成敗してください!」
ではなくサトルだったな。
周りにぞろぞろと群がっていた騎士たちが散っていく。中には背中を向けて戦場から離脱しようとする者も含まれていた。
随分とこの少年は信頼されているようだ。いや、押し付けられているだけなのかもな。
こいつはこいつで度胸がある。逃げれば良いものを、こうして俺に立ち向かってくるのだから。
「また負けに来たのか?」
ため息混じりに挑発する俺である。
逃げれば追いはしないが、俺がわざわざ「逃げろ」と言ってやる必要は感じない。
「黙れ!」
魔法の行使に自信があるのは知っている。実際に使える魔法の数は多い。
こいつが右側に来たなら、反対側には透明少年がいったな。――お気の毒に。
シグマがリュウヤたちのもとに到着したようだし、安心して自分の戦いに集中できる。
「さあ来いよ。お前の魔法をこの俺が直々に見定めよう」
「相変わらずムカつくやつだ。今度こそオレが勝つ! お望み通りに見せてやるよ!」
宣言通りにサトルは連続で魔法を使おうと魔法陣を展開する。
全属性を使ってくるとは贅沢な奴だ。
そんな感想を抱く俺の目は、少年の手が震えているのを捉えた。
――お前にはお前の戦う理由があるのだな。
色が以前と違って少しだけ綺麗になっているように見える。いったい何があったと言うのやら。
「見るがいいっ、これがオレの――」
仕方ないからどの程度の威力か本当に見定めようと待ち構えていたが無駄に終わってしまう。
「燃え盛れ――〈地獄業炎〉」
サトル少年を含めた〈法儀国〉の連中が、俺の目の前で大地から噴き上げた溶岩のような炎で燃やされたからだ。
確認しなくてもわかる……即死だ。
俺は都の方へと視線を向けると、周りの冒険者たちとは違う雰囲気を纏った女性が、笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
黒と白を半々にした長髪の持ち主で、感じ取れる魔力から得体の知れない違和感を抱いた。
俺の直感が言っている。――あの人物はただの人間ではないと。
「陣なしか」
念のため周囲を見渡してみたが魔法陣は見当たらなかった。
並みの魔法使いではないのははっきりした。
しかし、俺を炎の攻撃範囲から外した意図は何だ?
「――ッ」
殺気だ。
まだ噴き上げる炎の方から身に覚えのある殺気が肌を刺す。
「……なるほど」
俺を丸焼きにしなかった理由がわかった。
奴はまだ諦めていなかったわけだ。
炎を突き破ってふたつの雷撃が俺に迫る。
「だがな、俺は今、無性に腹が立っている」
何故なら俺の戦いに水を差した奴がいるからだ。
早くそいつを懲らしめてやりたいのに、振り払うのが容易ではない奴が俺を狙っていた。
雷撃は俺に当たる直前で霧散して消滅した。
「防ぐか」
「当然」
噴き上げる炎をものともせずに、その中から悠然と歩いて出てきた男に言葉を返す。
この男と謎の女性の登場で戦況は〈法儀国〉側が不利になり、逃亡と言う名の撤退を始めた。