『一瞬』
空のひび割れから出てきたのは白いフードをかぶり、顔が隠れている人のような形をした何か。
文献で何度か読みはしたものの、実物を見るのは初めてだ。
普通はそれがあり得ないのだがな。
「まるで十字架だな」
俺の呟きが示すように〈理の番人アクテリオゴス〉のその姿は十字架を連想させた。
「世界のコトワリに反するモノよ、ワレが裁きをクダス」
「やれるものならやってみろよ、アクテリオゴス」
本気でそう思っているからこそ、俺は笑った。
……と意気込みは十分。
人知を越えた存在であろうと、心で負けては本当に敗北を引き寄せてしまう。
それに理の番人の言葉は妙に聞き取りにくかった。
神の言葉は人間が使うものとは違うのだろうか。
「オロカな者にサバキを!」
「吠えているだけでは俺は倒せぬぞ。急いでいるのだ、さっさと来やがれ残されし者よ」
手を前に出し、人差し指をくいくいと動かして挑発する。
「……」
反応がない。
顔は見えない、魔力も感じない。
得体の知れないとは、まさにこいつにこそ相応しい。
しかし、俺にとってそれは重要なことではない。
「来い――〈黒華〉」
手を翳し、名を呼ぶと黒い鎌が現れた。
禍々しい雰囲気を纏う漆黒の刃は、俺ではなく死神が持つに相応しい代物だ。
不思議だ。
初めて握ったはずなのに、妙に懐かしい感覚だ。
相手が渋っているのなら仕方ない。この俺が先に動こうではないか。
「俺は今、すこぶる機嫌が良くない。悪いが、八つ当たりに付き合ってもらうぞ」
「抵抗はムダ。即刻、裁きを受けろ!」
俺が武器を手にしたことで、番人はようやく動き出した。
何だか感情が露わになってきたようにも思えた。
「おおー、速い速い」
鎖が四方八方、様々なところから伸びてきて俺を貫こうとしてくる。拘束するつもりは既にないらしい。
鎌を用いて迫りくる鎖の悉くを軽く弾いて見せる。
「お前は一応神の一柱なんだろ。この程度の実力なのかよ、笑わせるな」
「ほざくな人間。ならば見せてやる、我が力を――」
「見せなくて良い――〈封動〉」
「な、ナゼだっ、何故身体がウゴカナイ!?」
顔はなくとも雰囲気から余裕が消えて焦っているのが丸わかりだ。
色が見えないから、一応本当に神なのは間違いないんだろう。
だが、相手が悪かったな。
「――誰が決めた? 俺が決めた。世界が抗う? 俺が覆す。理が拒絶する? 俺が破壊する。邪魔をする? 俺の前では森羅万象とて無力なり。死ね――〈四死界輪〉」
鎌で動けない無防備な番人を斬り裂く。
斬り裂いた部分に黒い裂け目が出来上がり、そこに番人は呑み込まれて消え去った。
〈四死界輪〉――それは使用した武器によって能力が上下する魔法ではあるものの、目指す場所は同じ。魔法を受けた相手の――死。
嘆きも、叫びも、悲しみも、恨みも、何も残せない。
与えるのは生物としての死ではない。存在しているものとしての死だ。つまり――消滅。
それが文字通り4度訪れるのだ。逃げるのはまず不可能だろうな。
強いのは認めるが、あまり使いたくないと俺は思っている。
何故なら……詠唱がなぁ。もう少し何とかならないか模索中である。
「〈理の番人アクテリオゴス〉よ……さよならだ」
俺の言葉を合図に、世界は再び時を刻み始めた。
リュウヤたちに大人だと豪語したくせに〈四死界輪〉を使うとは何と大人げないことか。
「――いつの間に魔法陣が消えたのでしょう」
ゴードンの呑気で悲しげな言葉が耳に届いたことで実感を得られた。
どうやら本当に〈理の番人アクテリオゴス〉を倒したようだな。
倒せるかどうか半々だったのは誰にも言うまい。
「アアアァァァアァァァァア!!!!」
胸を撫で下ろした直後、ドクンと心臓が一際強く脈打ったと思いきや、左目をこの世のものとは思えない程の激痛が襲った。
押さえる手に温かい液体が当たる。――血だ。
目から血が出ているのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
ゴードンが駆け寄ってきた。
まったくお人好しにも程がある。
俺はお前の主を利用し、お前を脅した張本人。
この隙に剣を突き立てるなり何なりをすれば良いものを……。
「心配するな。なぁに、単なる代償だ」
そうだ、これは理に背いて死者を蘇らせ、更には〈理の番人〉まで消滅させた者が背負うべき代償なのだ。
本当なら片方どころか両目を失ってもおかしくなかった。
運が良かったのだろう。
我ながら八つ当たりにしてはやりすぎたな。次からは気をつけるとしよう。
「代償、ですか……?」
「そう納得してくれ」
「かしこまりした。ですが、治療はさせてください」
お人好しが具現化したみたいな奴だな。
前からこんなだったか?
「必要ない。自分で何とかする。それよりお前たちは街の者たちを集め、事態の収拾にあたれ。怪我人には治療を、動ける者は復興を。良いな?」
怪我人なんていないだろうがな。
ここでの用事も終わったので、報告するためにアクアゲインに一旦戻るとしよう。
「その前に――隠れてないで出てこいよ」
家屋が崩れた瓦礫の一つから何者かの気配を感じたから揺さぶってみると、何処かへ行ってしまったようだ。完全に気配が消えた。
別に大したことではない。有名人になってしまったらしい今ではよくあることだ。
ただ気になった点があったから聞こうとしただけだ。もとより返答は期待していなかったから立ち去ったのは気にしていない。
そんなことよりだ。重要なのは、その何者かが何故――止まった時間の中で動けていたかだ。
もしかしたら、予想以上に面倒な奴に目をつけられてるのかもしれないな。
ため息をついてからイーニャたちのもとへと転移した。