『反対』
「ついた……?」
呟きながら船を降りるのは前魔王フレンの一人娘――フィーネであった。
「ええ、ひとまず人間界に到着しました」
レグルスが旅立った方向とは真逆ですが、そう思いながらグリムは答えた。正確には本人ではなく分身である。
道すがら魔物や流れ者に襲われることがあったが、軽くあしらって見せたフィーネ。
「レグルスはどこ?」
「現在、水の都――アクアゲインにいるので、真っ直ぐ東に向かえば辿り着けます」
「そう……」
返事をするも一向に歩き始めようとしない。まるで地面に足裏が引っ付いているかのようだ。
「――東はこちらです」
心境を察した分身グリムが行くべき方向を指し示した。
白銀の髪を靡かせて前魔王の娘は歩み始めた。気に入った人物のもとへ向かうために。
たとえ、とてつもない方向音痴だとしても必ず辿り着いて見せる。意気揚々と張り切りながら足を進めるフィーネ。
一人では心配だからとグリムは少女との同行を選択した。
もし現魔王の世話役としてフレンに指名された、できた人物が気付かなければ未だに〈魔界〉を抜け出せていなかったかもしれない。
「……行きましょ」
「はい」
もちろん、グリムがフィーネについていった理由は他にもある。
その中には“前魔王の娘を一人のはできない”があった。
「レグルスの旅は順調?」
「難しいところですね。ただ当初予定していた、世界をその目で直接見るのは叶うか否かわからない状況です」
グリム自身も判断し損ねていた。
数々の予定にない人助け。
挙げ句の果てには最大の敵になりうる〈勇者〉の稽古を行う事態。
行き当たりばったりなのか、はたまたレグルスの計画通りなのかが本当にわからなくなっていた。
「ご安心ください。危機に陥っている、などと言うわけではないので」
その言葉を聞いて胸を撫で下ろすフィーネ。
やはりいくら強いと言えど心配はしてしまうらしい。
他者への関心を抱かなかったフィーネが、ここまで一人に固執するのは珍しい。それ故にフレンとグリムは行く末がどうなるのかを見守りたいのである。
「しかしながら、レグルスに関して気になる点が一つあります」
「――先に戦争をすると宣言したのか、でしょう?」
どうして人間たちがどんな生き物なのか確かめる前に戦争を行うと宣言したのかがグリムにとっては謎だった。
フィーネはそれをお見通しらしく、内容を聞く前に見事に言い当てた。
さすがのグリムもお手上げだと言わんばかりに苦笑を返した。
「ええ。あれでは結果は既に出ているかのようではありませんか?」
「レグルスの中ではたぶんそうなんだと思う」
フィーネの推測によると、レグルスは直接確かめずとも〈人間族〉がどんな生き物でどんな判断をするかを理解していた。
だが憶測や予測だけで物事を決めつけるのはよくない。ましてやその選択に多くの命が生死が関わるとすれば尚更だろう。
「お優しいお人ですから」
「……うん」
少し誇らしげに微笑むフィーネを、孫を見守る祖父のような眼差しを向ける。
「そういえば、レグルスの様子を探っている者たちがいるようです」
情報屋が仕入れられる情報程度ならグリムにはかかれば知ることなど他愛ないことだ。
「誰?」
首を傾げて先を促した。
「亜人国家〈エルファムル連合国〉です。詳しい理由は定かではありませんが、どうやらそこの〈竜人姫〉がレグルスを気にかけているようなんです」
もちろんこれはグリムの嘘だ。詳しい理由はわかりきっている。
レグルスは目立ちすぎたのだ。
それこそ世界に一人しかいない〈竜人姫〉のお眼鏡に叶うほどに。
グリムの予想では接触を謀るのは時間の問題だと考えている。相手が唯一無二の存在であろうと、レグルスなら見事に対応して見せるに違いないとも思っている。
たとえ何を言われたとしてもうまく立ち回れると言うことだ。
「じゃあ、その国に行きましょう。道案内をお願いね」
「もちろんです。ちゃんとついてきてくださいよ」
「バカにしないで。ついていくくらいできる」
できないから言うんだ。思わず言葉にしそうになりながらぐっと堪えるグリム。
フィーネの方向音痴は天が定めた宿命とでも考えざるを得ないほどどうにもならなかった。
しかしグリムはふと疑問を抱く。
長年住み慣れている城とは言え、毎日迷わずにレグルスの場所にちゃんと辿り着いていたなと。
もしかしたら彼なら少女の弱点を克服できるかもしれないと希望を密かに胸に抱くグリムである。
「フィーネ様は、レグルスのどこが気に入ったのですか?」
「唐突だな」
「いえ、ふと疑問に思いまして」
微笑むグリムに訝しげな視線を返すフィーネ。
「どこって言われてもわからない」
「……ふふ、なんとなくその気持ちはわかります。彼には不思議な魅力があります」
正体を明確にはできないが、強いて言うならレグルスが持ち得る“魅力”なのだろう。
グリム曰く不思議な魅力を持つレグルスが〈魔王〉に選ばれたのは運命なのか。
「なに笑ってるの」
ムッと頬を膨らませるフィーネを可愛らしいと思うのは罪ではない。
「申し訳ありません。レグルスには運命や定めなんて関係ないのだろうと思いまして、つい笑ってしまいました」
「レグルスだから当たり前」
フィーネはまるで自分のことのように胸を張った。
楽しい旅になりそうだ。グリムは今後の道行きに笑みを浮かべた。
そんなフィーネとグリムのふたりが到着を果たすのは目指すべき〈エルファムル連合国〉とは違う国になるのも、天の思し召しなのかもしれない。
そんな未来に待ち受ける現実を知らないまま、ふたりは目的地へと歩みを進めるのだった。