『疑問』
宿屋の部屋に入るなり、俺はだらしなくもベッドにダイブした。
心地好い弾力が俺の体を迎え入れてくれる。
「ようやくゆっくり休める……」
「薬、効果なかったもんね」
苦笑しながら頭をよしよしと撫でてくる。単に撫でたい思いもあるに違いないが、色々な意味で疲れている俺を気遣ってくれているのだろう。
イーニャの言葉通り、今回は酔い止めを忘れずに買い、ちゃんと飲んだのに……ロロるのは止められなかった。
原因は察しがついているだけに残念な気持ちでいっぱいだ。あの気持ち悪さから解放されると期待したのに……。
どうやら俺は体が耐性をつけるまでロロり続ける運命らしい。何とも悲しい運命だ。
部屋の配置は俺、イーニャ、アカネが同室で、シグマと小さなバルログナ――もといシャロンが隣である。
不安定とは言え、シャロンとしての姿になれるようにしたおいた。もちろん俺のオリジナル魔法だ。
しかし、まだほんの僅かな時間だけしか効果がないのが難点だ。そこは本人たちにも説明して納得してもらった。
〈魔獣〉自体の生態が不明瞭な上に、それを人の形にするなど学んだことがないのでな。どうしても手探りになってしまう。
反動や副作用がないように心がけると、やはり完全な魔法として完成させるにはまだまだ時間が必要である。
仰向けになり天井を見上げた。
しばらくはここでゆっくり過ごすつもりだ。水の都、王国で一番綺麗な場所と言われるくらいだ。時には心を癒すのも良いだろう。
「……眠い。まだ昼過ぎだが、俺は寝る。夜になったら、起きるから……おやすみ……」
「おやすみなさい、レグルス」
イーニャの声を最後に俺の意識は夢の世界へと誘われた。
◆◆◆
ここは……何処だ……?
妙な感覚に全身が支配されていた。まるで宙に浮いているような、水の中に漂っているような不思議な感覚だった。
「私の血を継ぐ以上、この子は必ず争いに巻き込まれる」
聞き覚えのない男の人の声。低いのに凛としているからか、聞いていて心地良い。それに理由はわからないが懐かしさも感じる。
「構わないわ。だって――の子どもよ、どんな辛いことも乗り越えられる強い子に育つに決まってるもの」
柔らかく穏やかな女の人の声。やはり聞き覚えはないのに何処か懐かしい。それに心が穏やかになる不思議な声だ。
俺の全てを優しく抱きしめてくれる、そんな優しさを感じる。
聞き取れなかった部分があった。恐らく男の名前だろう。
まだ知るべきではないと言うことか……。
ああ……ふたりの声をいつまでも聞いていたい。俺は間違いなくそう思っている。
失われた記憶の中にある、俺の過去なのだろうか?
こういうのも、悪くないな――。
◆◆◆
何かに導かれるようにして俺は意識を覚醒させた。
「……」
起きて一番最初にアカネの顔を見るのは何度目だろう。心配そうな表情を浮かべているのは何故だ?
疑問に思った途端、温かいものが頬を伝う。
なるほど、心配の原因はこれか。
「大丈夫だ。懐かしい夢を見ていてな、そのせいだ」
こうして頭を撫でると小動物のように目を細めるのが愛おしく思える。
俺にもし娘ができたら、高い確率で親馬鹿になりそうだ。
窓の外では太陽は沈み、夜の帳が降りていた。
「イーニャは?」
部屋を見渡すとやかましい奴の姿がないからアカネに尋ねると、俺が先ほど眺めた窓の外を指差した。
「買い物か」
「ん……」
アカネはこくんと頷いて肯定する。
事前に自由に行動して良いと伝えてあるからな。今頃楽しくお買い物をしているのだろう。
アカネも一緒に行けば良かったのに、俺が気掛かりだとしたら余計な心配をさせたな。
「俺たちも行こう。せっかくだから存分に楽しむぞ」
嬉しそうに頷いてくれると、こちらまで微笑んでしまう。
まるで父親のようにアカネの手を引いて部屋の扉を開ける。――すると、そこには見たことのある少年と、申し訳無さそうな少女のふたりがいた。
「お、やーっと起きたみたいだな。待ちくたび――」
もちろん一度扉を閉めたとも。
「お、おい、ちょっと話をしたいんだよ。ここを開けてくれー」
「だから明日にしようって言ったじゃない」
痴話喧嘩ならよそでやってほしいものだ。俺らの部屋の前でやらないでほしい。
「――アカネ」
アカネを抱き上げてお姫様抱っこをする。
「飛ぶぞ」
窓を開け、そこから飛び立った。身体能力を強化し、正面の建物の屋根に飛び移ったのだ。
これ以上の面倒事はできるだけ避けたい。ほとんど自業自得なのだが……。
屋根から屋根へと伝い、ベランダで洗濯物をしまう主婦らしき女性に挨拶をしたりと押し掛け勇者から離れるべく都を駆け抜けた。
シグマもシャロンとうまくやっているだろうか?
あいつ曰く人格や性格に関しては半々と言った感じらしい。本当かと疑ったが、シグマが断言するのだから信じてやるとしよう。
さすがは王国一美しい水の都だ。
森の中にいるように空気が美味しい。
気になることがあったので、アカネを抱っこしたまま外壁へと移動した。
「疑問に思わないか?」
「……?」
外壁について腰かけてから俺はアカネに訊いた。
もちろん何についてなのかわからないアカネは首を傾げる。
「バルログナを撃退するために冒険者たちも参加した。その中で舵を取ったのがバッカスだった……それは良い。だがな、バッカスの〈ボルボレイン〉以外にもギルドはあるし、実力者は他にもいたはずだ」
にも拘わらず、バッカスを含めた全員のギルドマスターが本気を出していなかったのは謎だ。
本気を出すのに何らかの対価が必要なのかもしれないが、全員がその条件下であるとは考えにくい。
なら本気を出せない、あるいは出さない理由が他にあると考えるのが妥当だ。
「あらかじめ指示が出ていたとしたら? シグマは自分で計画したことだと言っていた。たしかに嘘をついているようには見えなかった。しかし、そう行動するように思考を操られていたとしたら」
触れない方が良いと思い追求しなかったが、バッカスは俺たちに何かを隠していた。信頼に値すると判断できるような奴がだ。
人には誰しも他人に話したくない内容はあるだろう。
そう自分の中で勝手に結論付けていた。
可能性は考えればいくらでも出てくる。ギルドマスターのバッカスすら操られていたかもしれないのだ。
この都に到着した時も、不自然なくらい丁度良いタイミングで〈ワイボル〉が現れていた。
そこに颯爽と現れる素人勇者。助けようとしない駐屯騎士。彼らなら大丈夫だと色眼鏡をかけて応援する王国民。
「何者かの手のひらの上で踊らされているようだ。嫌いだ」
「……」
「いずれ正体も見えてくる。もし見せなかろうと俺が見つけ出す」
どんな奴が相手でも俺は負けない。
「あの勇者までも操られていたら面白いがな」