『事件』
剣聖バルレウス、もといバルムの指導のもと、戦闘訓練を受け始めてからと言うものあっという間に月日が流れた。
時々組み込まれるグリムの授業も終わり、あとはベッドに体を預けて眠るだけ。ドサッと寝転がって夢の世界へと入ろうと目を閉じたタイミングでコンコンと扉の方からノックされた音が聞こえた。
こんな時間に誰なんだと思い、一応危機回避の意味も込めて尋ねてみた。
「誰だ?」
「……」
「……いたずらか?」
「…………」
返事がない。ただのしか……おっと、危ない危ない。なんとなくその先を考えては駄目な気がする。
俺が考え事をしている間に扉を開けて犯人が入って……来ないのかよ。
「入って良いぞ」
迷っている姿を見せてくるので不思議と罪悪感が目覚めてしまう。なので俺が自ら入るように促した。するとパァと微笑みを浮かべてようやく部屋に入った。……相変わらず両目は閉じているが。
「自己紹介、する」
「あんたの名前は知っている。今更自己紹介なん、て……はぁ。わかった、わかったよ。自己紹介でも他者紹介でも好きにしてくれ」
俺は子どもに弱いのか?
目の前の少女が落ち込んだ表情をしただけでこれだもんな。いったいどんな企みを抱いているのやら。
結局一回も捕まえれなかったのに、まさか相手の方から部屋を訪ねてくるとは予想外だ。
「わたしはフィーネ。フィーネ・グランヴァース・デーモンロード。前魔王フレズベルク・グランヴァース・デーモンロードと人間族との間に産まれた娘。……お前は?」
「あー、今度は俺の番ってわけか。俺はレグルス。レグルス・デーモンロード。異世界人で、現魔王だ。これで満足か?」
何故かじっと視線を向けられている、気がする。目は閉じているから実際何処を見ているかなんてわからないんだが、視線を感じると言うやつだろう。その感覚が今の俺にはあるわけだ。
「…………」
「……」
お互いに何も話さず、沈黙の時間が流れる。話すために追いかけていたものの、いざ直面すると話す内容が浮かんでこない。
「まぁなんだ。用があって来たんだろ。立ってないで好きなところに座んな」
「……うん、ありがと」
ひとまず立たせたままだと居心地が悪いので座りなとは言ったが……なぜ横。普通隣に座る?
いーや、俺の普通がおかしいのかもしれない。何せ記憶喪失だし、相手は魔族だし、きっとそうなんだ。
一人で頷いていると、再び視線を感じて思わずそちらに顔を向ける。すると、意外と顔が近くにあり――目の前に大きなふたつの赤があった。
「――綺麗だ」
前触れもなく口をついて出た言葉。人はこれを本心と言う。
それが少女の開かれた目、つまり瞳だと気付くのに時間を要した。
「――っ!!?!」
おや?
赤い部分が瞳以外にも面積を増していくではないか。
そっぽを向かれてしまった。耳まで真っ赤……これは悪いことをしたかな。やれやれと肩を落とした。
「その、なんだ、突然すまなかった」
「いい……わ。ちょっとビックリしただけだ」
“ちょっと”ねぇ。瞳は瞼の奥に隠れてしまったので、耳を見ていたがりんごのように赤い。
――とまぁ、これ以上いじっては後が怖い。誤魔化しに話題を変えた。
「でだ、ここに来た理由をそろそろ聞きたいのだが?」
俺に言われて思い出したのか、服装を整えてから改めてこちらを向いた。再び赤い双眸が俺を捉える。
そして一つの質問を俺に投げかけた。
「――お前は、どうして魔王になった?」
心臓が大きく躍動した気がする。
俺は無意識の内に視線が床に向いていた。
――明確な理由はない。ただそうしたいからそうしただけ。
だが目の前の赤い瞳の少女が求める答えはもっと違うもののはずだ。いつの間に俺はテレパシー能力者になったのやら。俺自身も心のどこかで別の答えを探している。
「今は答えられない。それが今の俺の答えだ」
「……わかった。じゃあ、わたしのことはフィーネと呼んで。わたしもレグルスと呼ぶから」
納得した顔を見せて立ち上がった。扉までたどりつくと振り返って置土産と言える言葉を残した。
「――死なないで。わたしは、お前が気に入った」
パタンと扉が閉まり、部屋には俺一人が残される。張り詰めていた緊張感からの解放が俺の身体を脱力させてベッドに体重を預ける。
静寂が支配する中、天井を見ながらゆっくりと一息ついた。
正面から対峙してようやく理解できた。――次元が違う。
バルムの時にも感じた力の差どころじゃない。そっちはまだ追いつく可能性が見えた。成長や経験の上に成り立つ道の先にいるからだ。発展途上と表すのが正しいだろう。
なのに俺はフィーネと名乗った華奢なあの少女に行き着く道が見えなかった。あれは、そうだな――
「完成しているが一番近いな」
グリムの話だとフィーネはまだ12歳だよな。上には上がいるにしても魔界だからなのか、みんなが強すぎる気がするのは俺の感覚が間違っているのではない……と信じたい。
そんなことを切に願いながら、俺の意識は夢の世界へと誘われた。
◆◆◆
ドンドンドンッ。
「――ス! れ――。レグルス!!」
俺は扉を騒がしく叩かれる音で目を覚ました。名前を呼ばれているなと朧気な意識の中で認識するも、その声がグリムのものだと気付きようやく覚醒を果たした。
この慌てようは何かあったんだ。乱れた服装を直すのと同時に返事をした。
「グリムか。一体何があったんだ?」
扉を開けると息を乱して血相を変えたグリムの姿があった。
「夜分に、申し訳ない……」
「構わない。とりあえず一度深呼吸をしろ」
「ああ……」
俺に促される形でグリムはゆっくりと深呼吸を行う。おかげで落ち着いたようで事の説明を簡潔にしてくれた。
「リルが、リルが――死んだ」
「っ! 案内しろ」
道中で詳しい話を聞きながらリルのもとへと走った。舌を噛むなよと気休め代わりに言うと「そんなにドジじゃない」とムッとされる。続けて小さく感謝の言葉が聞こえたような気がしたが、聞こえていないことにした。
元奴隷の子どもたちがいる場所には安全のために結界が張られており、侵入や破壊がされようものならすぐにわかるらしい。出入りするにはグリムかフレンのどちらかが同行しなければならない。
なのに手段は不明だがリルは結界の外に出てしまい殺された。
もともとの種族の特性として血肉に餓えた猛獣のような面を持った魔族。加えて戦争中なのに攻め入るのを許されない圧迫感。とうに限界を迎えていたわけだ。
「バルムか」
「かなり過激です。無理をなさらずに」
「構わない。気遣いには感謝する」
グリムに案内されて場所に行くと暗い顔のバルムの姿があった。周囲の警戒に当たっているようだ。その奥が現場だと俺の身を案ずる言葉と共に案内された。
奥へと進むと確かに赤く染まった、卒倒しそうな光景が広がっていた。それを見るや否や、頭痛と共に脳裏に霞がかった映像が頭を過る。
「……っ」
ふらつきかけるも全身に力を入れてなんとか踏ん張った。
「む、レグルスか。遅いではないか」
立ちすくむように背中を向けていたフレンは俺とグリムの気配に気付き振り向くと苦笑しながらそう言った。
冗談が通じる状況だったら「あんたがやったろ」と言いたい禍々しい見た目なのは相変わらずだ。だが最初に見たときよりかは幾分かましな気がする。
俺も魔界の常識に毒さ……慣れてきたんだな。
そして、ちらりと視線をずらすと前魔王の後ろには散らかったリルだったもの。
俺は迷わず近付いて辺りを見回した。状況をより繊細に把握するためだ。壁には血文字で“新たな魔王に災いあれ”と記されていた。
「なるほどな……」
おかげで犯人はわかった。もとよりこんな雑な犯行に及ぶのは一人しかいない。わざとやっているのかと疑うくらいだ。
振り返ってまずグリムに視線を向ける。
「今から現魔王として指示を出す。グリムはメイド長とネイレンに事情を説明して共にリルを弔ってくれ。戻ってくるまで俺がここにいる」
「わかった」
若干の戸惑いは見せつつもグリムは急いでメイド長のもとへと向かった。あの図太い人なら悲惨な現場でも落ち着いて弔えるはずだ。
ネイレンは子どもたちのリーダー各の少年である。正直辛いとは思うが、いつまでも平和な空間で過ごせる訳ではないだろうからな。生きるための過酷さを知る一種の経験として受け取ってもらおう。
いざ戦争開始となればここも安全とは限らない以上、早めに現実を知っておいた方が良い。にしても、俺は随分淡白な人らしいな……。
「フレンはバルム以外の〈八天王〉を一時間後に玉座の間に集めてほしい。理由は、俺から大事な話があるとでも伝えてくれ」
「任せろ」
真剣な面持ちで答え、すぐさま行動に移す前魔王。まさか本当に従ってくれるとは意外だと思いながら密かに安堵する。
俺ならばいざ知らず、フレンの言葉には〈八天王〉とて抗うまい。
「バルムにはふたつある。まず信頼に足る部下を5人ほど連れて、早急にホーグドリアに向かってほしい。行けば理由はわかる。もう一つは相手をできるだけ殺すな。絶対とは言わん、仕方ない場合もあるだろう」
「御意」
返事をするや否やシュッと消えた。
ホーグドリアは俺たちがいるこの魔王城から北西にある魔界で2番目に大きな都市だ。もちろん一番はここ、グランベルディアである。
無駄足になる可能性はある。しかし何もせずに見過ごす訳にはいかない案件だからな。
残された俺はもう一度リルだったものに正面を向き、目を閉じて手を合わせた。――守れなくてごめんな。
グリムたちが戻ってきて後を任せると、俺は俺の役目を果たすべく城下へと降りた。