『潜む者』
「こいつらなんなの!」
レグルスの指示で都民の避難を手伝っていたイーニャとアカネは、二足歩行で歩く人型の謎の魔物と対峙していた。
バッカスのギルド〈ボルボレイン〉のメンバーとも合流し、対処にあたっていた。彼らも見たことがない魔物は人の皮を被って、人になりすましていたと言う。
そんな国の潜入部隊さながらの連中が、都内が手薄になったタイミングを見計らって人々を襲い始めたのだ。
「手強いぞ、気をつけろ」
鋭い爪を駆使し、連携してくる様は訓練を受けた騎士さながらの強さを見せる。
外殻も鋼鉄の鎧のように固く、魔力を込めた攻撃でなければ弾かれてしまう。新種の魔物だとしても、少ない情報から必要なものを汲み取って対処する、冒険者には得意技である。
しかし、かといって余裕になるわけではない。
「アカネ、すごく強いんだ」
イーニャどころか冒険者までもが、次々と新種の魔物を一撃で倒していくアカネに感嘆の声を漏らす。
「私だって――〈瞬速剣波〉」
剣を振り翳すと、その軌道から鋭い衝撃波が飛んでいき魔物に命中するが……効いていないようだ。
「えっ、嘘、硬すぎでしょー!」
新種の魔物が空気を目一杯吸い込んで頭を上に向けたと思いきや、振りかぶっただけだったらしく口から黒い光線が放たれた。
「危なっ」
「……」
「なによ、一匹も倒せないのって言いたいの? いいわ、やったげる。見てなさい」
視線を交錯させるイーニャとアカネ。
言葉はなくとも心で通じ合っているのだろうか、アカネは何も言っていないのにイーニャは気持ちを読み取った。
ドカンと爆発が起きる。冒険者が魔物の硬い外殻を溶かすべく炎の魔法を使った影響だった。
「集中集中……」
心臓が止まるかと思ったのは秘密である。
堂々と胸を張って実力を見せつけてやろう。意気揚々と剣を構えた彼女の視界の隅に幼い少女が入り込んだ。
魔物の爪が今にも振り下ろされようとしているではないか。
――考えるより先に身体が動いていた。
一瞬にして魔物との間に入り込み、少女を抱きしめて自分の身を盾にする。行動してからイーニャは思う。――またレグルスにバカって言われるかも。
来たる痛みを覚悟してぐっと歯を食いしばるも、何故か一向に痛みどころか爪が当たる感触すらやってこない。
「大丈夫かっ、嬢ちゃん!!」
「は、はい……」
後ろを振り向くとアカネが魔物を倒していた。なのに、その表情は驚きと疑問に満ちていた。
剣と盾を装備したおじさん冒険者が心配そうに歩み寄ってきた。
「……」
アカネが首を傾げ、何か思い出したようにハッとなり、レグルスたちが〈魔獣バルログナ〉と戦っている方に視線を向ける。
イーニャは理由がわからず、不思議な表情をしていた。
「嬢ちゃん、本当に怪我はねえのか?」
「別になんともないわ」
「信じられねえ、こりゃ奇跡だ」
おじさん冒険者が信じられないのも無理はない。彼だけではなく、アカネまでもが確かに見たのだ。イーニャが魔物の爪に貫かれる姿を。
なのに本人は至って普通で、切り傷擦り傷はあれど、貫かれたはずの傷はないと言う。不思議と言わないのなら、奇跡と例えるのは道理だろう。
説明を聞いたイーニャは苦笑いを浮かべた。何が何やら困惑しそうだった。
唯一アカネだけが真実にたどり着いていた。
〈血の代償〉――血を摂取した相手の傷や痛みを肩代わりする〈吸血種〉に伝わる秘技とされる魔法。
それをレグルスはイーニャとアカネの二人に使っていたのだ。
ここで一つの矛盾が生じる。イーニャはともかく、少女が無傷なのは不可解だ。
アカネが首を傾げた理由はこれだ。答えは単純で魔法を改造して効果範囲を血を摂取した相手から、血を摂取した相手を含む半径1メートルの範囲内の人間の傷や痛みを肩代わりする――と。
レグルスは事前にイーニャやアカネが他者を庇ったりする可能性を考慮していたのだ。そのため彼は今頃イーニャと少女の二人分の傷と痛みを味わっていることだろう。
不服そうな表情を浮かべるアカネ。それもそのはずだ。本人の預かり知らぬところで守られていたのだから。
嬉しくもあり、悔しくもある。
まだまだ子どもだと言われているようで、年頃の少女は優しい気遣いに複雑な感情を抱いてしまうのだ。
「まあ、大丈夫ならいいんだ。避難はまだ終わってない、このまま協力を頼むよ」
「もちろん、言われるまでもないわ」
息巻いたは良いものの、まずは腕の中の幼い少女を家族のもとに連れて行くのが先だ。
「怪我は……ないみたいね。仕方ないから一緒に避難場所まで行ってあげる」
「うん……」
怖がる幼い少女を抱き上げて避難所まで向かった。さりげなくアカネがふたりを守るために付き添っていた。
都の至るところで火事が発生し、家屋が燃え上がる様は人々の不安を煽り立てる。
だが彼らは決して絶望はしない。何故ならここは、この都は冒険者の都――パラディエイラなのだから。危険を顧みず命をかける者たちが拠点とする場所。
そこに住む民が、冒険者より早く諦めることなどありはしまい。
信じているのだ。
どんな危険が訪れようと、どんな化け物が襲ってこようと冒険者、そして都の民が一丸となれば乗り越えられると。強い信念を抱く者たちがここでは協力しあって生きていた。
これもレグルスの見たかったものである。
種族が違うだけで畏怖や嫌悪しているだけでは何も変わらない。手を取り合う、たったそれだけで世界は広がると彼もまた、信じているのだ。
いつになるかわからない。そう言っていては何も始まらない。行動しなければならないと判断したからこそ、レグルスは魔族の頂点〈魔王〉でありながら、人間と旅をすることを選んだ。
色眼鏡をかけないように、しっかりと真実を見据えるために。
その甲斐はあったと自負していた。少ないが出会いと戦いには恵まれた。
イーニャがいなければアカネと出会えなかっただろう。
アカネがいなければあの3人を殺めていただろう。
他にも彼も気付かないくらいふたりには助けられている。いや、気付いていてもレグルスは言葉にはしないだろう。
〈魔王〉レグルス・デーモンロードはそんな男だ。
「よし、着いたー」
「リアナ!」
「パパー!」
避難所にたどり着くと父親らしき人物が呼びかけてきたので、少女を下ろして背中を押した。
イーニャはそれを微笑みながら眺め、すぐに他に避難が遅れた人がいないか探しに向かった――アカネと一緒に。