『待機』
「おいおいおい、やべーぞ!」
「囲っていた壁を壊しやがった」
「それだけじゃねえ。さっきのは魔力が込められた咆哮だった」
レグルスが作った土の囲いを盛大に破壊し、大地を震わす咆哮と共に姿を現した〈魔獣バルログナ〉に、恐怖と焦りを隠せない冒険者や駐屯騎士たち。
「ノルンの結界がなきゃ、たった一度の咆哮だけで半分以上やられていたな」
咆哮の魔力が体内の魔力を狂わし、気絶や失神。最悪の場合は死者も出ていたと最前線に立つバッカスは分析した。
冷静さを保ってはいても、恐怖を感じていない訳ではなかった。
――5分。
レグルスが戻るまでの時間だ。ものの数分程度なら、欠伸でもしていればすぐに過ぎ去ると思っていた。
なのに現実は違った。
1分1分が何十倍にも感じ、冷や汗が滲み出始めていた矢先の出来事だった。
各ギルドや駐屯騎士には指示通り待機してもらっているが、雄叫びを上げる魔獣を目の当たりにし、気持ちが先行する者が現れないとも限らない。
バッカスは心の中で強く願う。
――待ちきれないぞ、ノルン!
〈魔獣バルログナ〉が動き出してしまった以上、こちらも行動を開始ししなければならない。
バッカスが開戦の号令をするべく、息を吸ったその時――
「あれは……なんだ?」
一人が空を指差してそう言った。
対〈魔獣バルログナ〉のために集まった冒険者、そして駐屯騎士までもが言葉を失った。
空側から暗雲を突き破り、バルログナよりも巨大な剣が現れる。
存在感の塊でしかないに大剣にバルログナも気付き、口を開けて光を収束させ、眩い閃光と共に一気に解き放った。
「やべぇ……」
大剣は光に呑み込まれ、跡形もなく消え去った。辛うじて思考能力を取り戻しかけた誰かが言葉を漏らす。
驚異を消し去って安心したのか、バルログナの顔が下がりギョロリと眼が都前にいるバッカスたちに向けられる。まるで蛇に睨まれた蛙の如く、驚愕の連続で低下した思考能力では体を動かすことがままならなかった。
「てめえらっ、怯んでんじゃねえ!!」
そんな時、怖じ気づく者たちにバッカスが叫ぶ。
「オレたちは今、都のみんなの命を背負ってんだ! オレたちが負けたら、帰る家も、家族も、何もかも失っちまう。そうならねえために、ここにいるんだろうが」
集まった者たちを見回してからなおも続けた。
「逃げてえ奴がいんなら、今すぐ逃げろ。オレだってあんな化け物と戦うのは怖いさ……だがなっ、ここで引き下がるわけにはいかねえんだよ!」
拳をぐっと握りしめる。
冒険者なら誰でも名前を知っている〈三大魔獣〉の一体を前に、臆してしまいそうになるのは罪ではない。
「オレは、パラディエイラが大好きだからなあ!!!」
堂々と都大好き宣言をしたバッカス。沈黙が支配したかと思いきや、噴水のように歓声が沸き上がった。
「サイコーだぜ、ギルマス!」
「あんたに一生ついてくぜ!」
「ああ、そうだ。おれだってここが大好きだ」
信じていた。都のみんななら応えてくれると信じていた。だが同時に不安もあったと言うのに、そんなものは綺麗さっぱり振り払われた。
「行くぞ、てめえら! 俺らの大好きなパラディエイラを守って見せるぞ!」
「「うおぉおおおお!!!!」」
バルログナの咆哮にも負けない戦いを決意した者たちの雄叫びが大地を揺らした――否。実際に揺れている。
「あれを見ろ!」
一人がバルログナを指差して叫ぶ。
バッカスに注目していた視線が一斉にそちらへと向けられる。本日何度目かわからない驚愕が彼らを襲った。
空から落ちてくる大剣の次は、地面から伸びる巨大な岩の拳。しかもそれがバルログナの顎を殴り付けているではないか。これを驚かずして何とする。
「まさか……」
バッカスには思い当たる節があった。彼以外にも、薄々と先程から続く異常現象の正体に気付き始める者がいた。
目を凝らすと、伸びる岩拳の根本にふたつの人影が見えた。
「はは……」
失笑じみた笑いがバッカスの口からこぼれる。
一言くらい声をかけてくれればいいものを。無愛想ながら、強力な助っ人に喜びを隠せないギルマスに、ギルドメンバーたちは声をかける。
「ギルマス、号令を」
「野郎共っ、狼煙は上げられた――開戦だ!!」
事前に組んでいた近距離、中距離、遠距離、補助部隊に分かれて行動を開始する。
一足遅れてになってしまったが、バッカスの言葉通りの戦闘開始である。
もちろん、彼らの中には恐怖して足を震わせている者もいた。
「怖えー、怖え……けどよ、守るためだもんな」
「そうだぜ。やっぱ、ここは居心地良いからな」
たとえ恐怖を宿していようと彼らは決して一人ではない。背中を任せられる仲間がいる。それが彼らにバルログナに立ち向かう勇気を与えた。
きっかけは当然バッカスの演説であろう。あれがなければ、萎縮してしまった心が立ち直ることはなかったはずだ。
ギルドマスターとして、上に立つ一人の人物としての責任を果たしたのだ。
――そんなバッカスの喝を魔法でしっかりと聞いていたレグルスは口角を上げていた。
「貴様ッ、空に転移する奴があるか!」
「実験だ、実験。何事も実際にやってみなければわかるまい」
雲に届くほどの上空に転移したのに対して、シグマは怒りを露にしていた。
「おっと、怒っているとこ悪いが、上に気を付けるのをおすすめする」
「はぐらかそうたってそうは――おいっ、待て」
シグマには目もくれず、頭上を見上げるレグルスはあれやこれやと騒ぎ立てる彼に忠告してから後ろに飛び退いた。
「話は――まだ終わってないぞ」
「凄いな……」
忠告を無視して逃がさないと振り向くシグマは、頭上から降ってきた岩拳だった破片を見ずに一振りで斬り分けてその間を進んだ。
上では岩拳をバルログナが顎で叩き壊す様が見えた。正確には叩き壊しているであろう顎の先端の部分がだ。
さすがの剣技に称賛の声を漏らすレグルス。このまま長引かせるのは面倒だと判断し、仕方ないから軽く謝罪した。
「悪かった。あとで聞いてやるから、とりあえず今は魔獣に集中してくれ」
「その言葉忘れるな」
指をビシッと指して確認し終えると、太刀を構えてバルログナに身を翻した。
面倒な奴だ、レグルスがそう思ったのは言うまでもない。
「なあ、シグマ」
「いきなり呼び捨てとはいい度胸だ」
「そういうの良いから……どうすれば魔獣は倒せるのだ?」
口を大きく開けてレグルスに振り向いたシグマはため息をついた。
「策も無しに〈三大魔獣〉と戦うと言ったのか」
降り注ぐ岩剣の破片を躱わしたり、斬ったりしながら呆れた。
レグルスがあまりにも大口を叩くので、入念な準備をしているのかと期待していたのだが、本人の口から出たのは作戦などないの衝撃的発言。
――私は、判断を間違ったかもしれない。たった一言でシグマの中の自分の評価が底辺まで落ちてしまったことをレグルスは知らなかった。
「それより、参戦してくる冒険者を殺すなよ?」
「私は無用な殺しはしない」
「はーん。それを殺そうとしている相手に言いますか」
「貴様は邪魔をしたからだ。正当な理由だ」
至極当然だと言ってのけるシグマを殴りそうになりながら、握った拳を広げた。言い争うのはあとで存分にできる。
戦いが終わってからやることが増えた、それ故に早く終わらせようと敵を見据えた。
「まぁ良いか。その正当とは思えない正当な理由のおかげで、魔獣退治を手伝ってくれるのだものな」
誇らしげに鼻で笑うシグマに対して、終わったら一発ぶん殴ることを密かに決意したレグルスであった。