『秘密の部屋』
夢を見た。知らない何処か、知らない誰かの夢を見た。
楽しそうに微笑んでいる。時折こちらに向けてくれるだけで心が穏やかになるのがわかる。
――眩しさで目を覚ましてくれる太陽はどうやらここにはないらしい。おかげで身体が起床を選ぶまで起きれなかった。かといってもこの世界に来る以前の記憶がない身としては、規則正しい生活を送っていたかどうかも怪しい。
俺がいるのは魔界にある〈魔国グランヴェルディア〉の中心に建てられた城内の一室。空は黒と紫を混ぜた色の雲に覆われているせいで太陽は全く見えない。そのせいで昼なのか夜なのかすらわからない。
魔法があるなら人工太陽みたいなのを用意できないかなと考えて苦笑した。
「ふんっぬ……」
これはこれで眠りを存分に謳歌できるのでは、などと思案しつつ伸びをして意識と共に身体を起こす。心地よい眠りを提供してくれた布団とベッドから立ち上がった。お腹がすいたので食べ物を探すついでに、ここを探検しようと考えたわけだ。
仰々しい見た目の人の形をした魔王なる生き物にいきなり「魔王になれ」と言われたわりには意外と落ち着いている。
というか、そんな連中に対してよくあんな態度でいられたな。我ながらどうしてできたのやら。
コンコン。
「失礼します」
「どうぞ」
ガチャリと音を立ててドアノブが回り扉が開いた。恐る恐る扉から顔を覗かせたのは――、
「誰だよ」
「……」
見知らぬ少女だった。暗闇に慣れた目では少し眩しささえ感じる綺麗な銀色の髪を左側で結んでいた。髪を結ぶ赤い組紐に鈴がついている。
でもどうして目を閉じているのだろう。それでは覗いている意味がないと思うのだが……。
「お前が……お前がレグルスだな」
まさに鈴の音のような透き通った声だった。
まるで精巧な人形のように綺麗な佇まいなのに、緊張しているのか視線の代わりに顔がわずかにあちこちへと。つい微笑んでしまいそうになる。
「ああ、そうだ。俺がレグルスだ」
「そうか」
パタン。
訊きたいことを訊いて満足したのかトテトテと何処かへ去っていった。扉越しに聞こえた足音は可愛らしいの一言だ。今度こそ俺の口角は上がっていた。
すると再び扉を叩く音がして同じように答えた。残念ながら銀髪の少女ではないようだ。たった今離れていったのだから当たり前か。
「おはようございます。陛下、よく眠れましたか?」
次に扉を開けた顔には見覚えがあった。昨日俺をこの部屋へ案内してくれた魔族だ。とても親しみを持ちやすい人物で、たしか名前はグリムブロンダ・アーカイス。通称グリムだ。この世界の新人の俺に色々と教えてくれた――。
◆◆◆
俺の部屋となる場所へと案内される間に訊いておきたいことがあった。正直に答えてくれるかはわからないにしても、訊かない選択肢はないわけで遠慮なく問いかけたわけだ。返ってきたのは、予想外のちゃんとした答えで驚いたのを覚えている。
「この世界について教えてほしい」
「確かに、来たばかりですものね、わからなくて当然です。では簡単にご説明いたします――」
人間が編み出した魔法、勇者召喚を使って魔王の素質がある人間を別の世界から召喚。その召喚された魔王候補が俺である。
人間が勇者を召喚するから、対抗して魔王を召喚する……なんて安直な考えだと思う。だけど実際は、剣と魔法が実在する、神秘の塊のようなこの世界でも特別視される〈特異能力〉が大きく関係するらしい。
そこら辺は昨日魔王様直々に教えていただいたので何となくは把握済みだ。……あぁ、今は俺が魔王だった。
引き受けたのは俺自身だから後悔の類いはない。ただ、今後具体的に何をすれば良いかを明確にしないといけない。そのための情報収集をと質問をしてみたは良いものの、予想以上に面倒なのはため息が出てしまうくらい十分に理解した。
人間が始めた戦争は未だに終結せず長引く一方。
質より量の人間側。量より質の魔族側。
非力で魔力もほとんどが魔族に劣る人間たちは数で攻め、もともと数が少ない魔族はその数に優勢を得れずにいる。
そんな状態が今の今まで続いてしまい、やめるのも容易ではなくなってしまった。
戦争では必ずと断言して良いほど命が失われる。戦争は死を、死は怨みを、恨みは復讐を、復讐は戦争を呼び込む負の連鎖が完成してしまっているわけだ。
ここまで来ればお互いに後には退けず、突き進む以外の選択肢は消し去られているだろう。誇りやらなんやらも加われば、どちらかが滅びるまで、いなくなるまで続けなくてはならないと義務感さえ芽生える。
ちなみにこの世界には人間族、魔族以外にも種族が存在するが、基本的には二種族間の争いとして介入や参加はしていない。身内が巻き込まれれば話は別だろうけど、そうなっていないのが答えなわけだ。
それより俺には享受する誇りも、守るべき何かもない身。はっきりこの戦争の勝ち負けがどっちに転ぼうがどうでも良かった。とある部屋に案内されるまでは――。
寝室となる部屋に向かう道中に「見てもらいたいものがある」と言われて逆らう理由もないのでおとなしくついていった先で俺は目を丸くした。
いくつもの魔法陣に守られるようにその扉はあり。どうぞと言われてドアノブを回して木製特有のギィと音を鳴らしながら開かれる。
目を閉じれば思い出せる光景。
そこでは人間と魔族が無邪気に戯れていた。大人や子どもは関係なしに遊んでいたのだ。
そもそも部屋の造りや雰囲気がまるで違っている。はっきり言って玉座であれほど禍々しさを感じた魔族には不釣り合いな色鮮やかな空間。木々や花が生い茂り、俺は再び別の世界に迷い混んだのではないかと錯覚するほどだった。
よく見ると人間と魔族だけではないらしい。明らかに身体的特徴が違う者が数名見受けられた。その人物たちがこの空間をよりメルヘンに仕立てあげている。
訝しげな表情をしていたのか、グリムは「フフッ」と楽しそうに笑いながら快く説明してくれた。
「あの肌が白く長い耳が特徴なのが〈長耳族〉。逆に肌が黒く同じように長い耳が特徴なのは〈闇長耳族〉。彼らは魔法行使、弓の扱いなどが秀でています。あの背の低く筋肉質で髪の毛が多少多いのが〈炭鉱族〉。物を作る、加工するに関しては彼らの右に出る種族はありません。それから――」
指ではなく手で相手を示しながら分かりやすく教えてくれるグリム。優しい人柄が細かい所作だけで窺える。
「あっ、グリンだ!」
「ほんとだ、グリムだグリムだ」
どうやら相当な人気者のようで遊んでいた子どもたちがグリムを見つけるや否やすぐさま駆け寄ってきた。きゃっきゃっとはしゃぐ子どもたちに俺もつい口角を上げてしまう。
そんな無邪気な笑顔に負けないくらいの微笑みを浮かべて宥めるグリム。種族紹介はお預けになりそうだ、などと周囲に視線を移した。
「グリン、このひとだぁーれ?」
一人の少年の疑問は瞬時に周りに伝染し、視線が俺に集中した。見たことがない顔だし、みんな大好きグリムと一緒なら気になるのも当然か。
「無礼はいけませんよ。このお方は新しい魔王陛下なのですから」
隠すつもりはないし、隠す必要もないと思うのだがあまりにもさらりと言い過ぎじゃないかグリムさんよ。
ほら、さっきまで君に引っ付いている幼い少年少女たちと遊んでいた青年たちの視線が痛い。怪しい奴を見る目だったり、中には完全に睨んでいる奴もいる。
悪の権化の象徴みたいな“魔王”になった以上はそういう目で見られることは想定していたけど、早すぎる、早すぎるぞ。
「ごっほん。俺が新たな魔王、レグルス・デーモンロードだ。だからといって堅苦しいのはお断りだ。気軽に接してくれて構わない。俺はそのつもりだしな」
「えー、魔王なのになんか弱そー」
「ダメだよそんなこと言っちゃ。食べられちゃうよ」
おやおや、さすがは無邪気の具現化“子ども”たちだ。良いだろう、ここは俺の恐ろしさを教えてやらねばなるまい。
ニヤリと笑顔を向けて俺は言った。
「弱そうとはよく言った。じゃあ今から俺の強さを……教えてやるー」
両手をぐわっと上げてバッと子どもたちに迫る。すると「きゃー」とか「わぁー」とか言いながら逃げていった。簡単に逃がすと思っているのか?
――かくして俺はすぐに彼らと打ち解けた。
そして存分に遊んで部屋を後にし、今度こそ我が部屋へと向かう廊下でグリムは語った。
「陛下。子どもたちと遊んでいただき、誠に感謝いたします」
ずっと笑顔だったグリムの真面目な表情は本心なのだと教えてくれる。己が利益のために嘘をつく人物ではないようで信頼を寄せるのにさほど時間はかからなかった。
そんな彼が頭を下げた後に言ったのは世界の闇の部分だった。
「彼らは皆、もとは奴隷として人間、または魔族に仕えていた者たちです。方法は存じませんが、前魔王陛下が保護をすると連れてこられたのです」
視線と表情から、どうやったかの方法は知らないが、検討はついているのは容易に見破れた。本当に真面目な人なんだろう。
おかげで疑問が一つ解決された。子どもたちの全員の身体の何処かしらに紋様があったのは奴隷時代の名残なわけだ。……で、納得する俺はその類いの知識を持ってるんだな。記憶が消されただけで実はこの世界の住人でした、とかは悪い冗談だぜ。
とまぁ、元奴隷の世話役兼教育係をフレンから頼まれて現在に至るわけだ。
グリムなら納得だ。短い時間しか接していない俺でも良い奴なのはわかる。フレンの人選は正しい。少なくとも玉座に揃っていた幹部たちではなつかれることはあるまい。俺が子どもだったら断然グリムを選ぶもの。
なら、あの魔法陣は他の魔族から守るため、か。なまじ完全な統率が取れていないのをわざわざ証明してくれたな。
……決めつけるのは早いか。理由によるな理由に。食べる、殺す、襲う、弄ぶのどれか。どれが理由でも欲求が抑えられてない時点でアウトなのでは?
「俺に教えて良いのか?」
「こう見えても人を見る目はあると自負しているので」
「俺があいつらに危害を加えるような人間ではない、と?」
「はい」
自信満々に返事されても困る。
あながち子どもが言った「弱そう」は間違っていない。変に子どもは本能とかに例えられる部分に関しては大人顔負けな時がある。
その証拠に俺は明らかにこの世界の住人より力が圧倒的に劣る。
勇者に対抗するための魔王として召喚された、なんて立派な理由はあるかもしれないが、実際は神秘的な力である魔法どころか剣すら使えるかわからないのだ。
グリムが俺に期待しているのは、奴隷という位の最底辺に位置する彼らを守ってほしい。そんなところだろう。
だが悔しいか。俺には守る力なんてない。今の俺には手を差し伸べることすらできるかどうかはっきりしない。
「じゃあ俺はまず強くなることから始めるべきのようだ」
「基礎でしたら私がお教えできますがそれ以上となると、やはり幹部の方々に教わるのがよろしいかと。あまりオススメはできませんが……」
「殺されるかもしれないから、だな。その時はその時だ」
まさに弱肉強食のこの世界で生きていくにはしなければならない覚悟だろう。だとしても俺はみすみす命をくれてやるつもりはない。
「面白いじゃないか。世界征服の野望の第一歩が自らの命の死守だなんて」
込み上げてきた笑いに素直に従ったのと部屋に到着したのは同じだった。
◆◆◆
決意なんて仰々しいものじゃない。気まぐれが正しいだろう。
昨日の出来事の回想を終えると、扉の前に立つグリムが尋ねてきた。
「考え事ですか?」
「将来についてな。で、実際魔王は何をすれば良いんだ?」
「まずは朝の身支度と朝食を済ませた後、玉座にて幹部の方々の戦況報告を聞いていただき、その上で指示を出す……などですが、そういったことは陛下にはまだ早いとフレズベルク様も判断されました」
申し訳なさそうに苦笑する。
俺は別に気にしていない。いきなり初心者の俺に戦争の指揮を任されても全滅させろと言っているのと同じだ。俺の常識は魔族でも通用するようなのでむしろ安心しているくらいだ。
こんな顔をする理由は、グリムも同意見だからなんだろう。しかしそれは俺が弱いと断言することに他ならない。ってところかな。
「当然の判断だな。てことは、本当にお勉強からか」
「はい、その通りです。朝の身支度から礼儀作法などを、私が直接お教えいたします。なのでボロ船に乗ったつもりでいてください」
「それは心強い……な?」
聞き間違いか。それともこれすら俺への試練なのか?
どう考えてもボロ船では全然安心できないぞ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。戦闘訓練はいつになりそうだ?」
「座学が終わり次第ですから、陛下次第で遅くも早くもなりますよ」
とりあえず聞き間違いで処理して頭の隅に追いやって「礼儀作法などの――」の時から気になっていた案件を訊いたが、どうやら俺の予想通り始めは座学のようだ。
0からのお勉強だ。遅くて一ヶ月。早くて一週間ってところだな。
丁度良い。新しいものを記憶するスペースは十分にある。
記憶喪失に感謝しようとは、世の中は予想外で面白いものだ。なーんて悠長なことを考えている暇はないのが現状。なぜなら戦争はこれから始まるのではなく、とっくの昔に始まっていて現在も継続中なのだから。
「では、これからよろしく頼む――グリム」
右手を差し出すとグリムは若干驚きつつも笑顔で自らの右手を出して俺たちは互いの手を握った。仲良くなるための社交辞令――握手である。
俺一人が加わったからって、100年も続く戦争が終わるかどうかは考えなくてもわかる程度の簡単な話だ。
何処の誰で、何者だったとしても、今の俺は思ったんだ。理由も定かじゃない与えられた役割――魔王をやってみたいってな。
興味が半分、他にやることがないからがもう半分。
最後の目標が世界征服だとしたら、最初の目標は戦争終結で良いだろう。いや違うな。まずはお勉強からだった。
記憶があれば他の選択を思い付けたのかが少し気になるが、取り戻した時にまた考えるとしよう。
とにかく知識を叩き込んでさっさと戦闘訓練に入るとするか……。