『裁き』
「残りはお前だけだぞ魔法使い」
十分に忠義は果たした、俺が証明する。もう休んで良い。
それでもなお杖を下ろさないか。
「ん?」
色が汚くない。むしろ綺麗だ。少々淀みはあるが……周りの連中に比べれば全然ましだ。
良く見ると雰囲気も他の執事部下とは違う気がする。
確かめる余裕は、あるみたいだしな。
ちらりと逃げるカリントを確認すると、走らずとも早歩きで追い付けそうだ。
遅すぎるだろ!
日頃運動してない証拠だ。食べて遊んで寝ての生活とは堕落の固まりだな。
「そこを退いてくれると助かるんだが?」
「くどい。ここを通りたければ、オレを倒すんだな」
「それが嫌だから頼んでいるのだがな……」
「勝つ前提か。オレを甘く見るなよ」
詠唱を始めると、執事部下魔法使いの周りの魔方陣が無数に展開される。
複数の属性の魔法を、しかもこれほどの数を同時に行使するなど、並の魔法使いではせいぜい2、3個だろうに……。
俺の背後にも魔力を感じる。
相当な鍛練を経てたどり着いた領域だな。
「凄いな。お前の実力を認める。だから――〈滅壊〉」
ガラスが割れるかのように魔法陣が一斉に砕け散った。
だから俺も、誠意をもって少しだけ本気を出した。
「使わずとも対処できたが、お前に敬意を払い〈命言〉を使った」
膝を地面につける執事部下魔法使い。
一応励まし染みたことはしておいてやった方が良いよな。
「決して勘違いするなよ。お前が弱いわけではない、俺が強いだけだ。そのまま研鑽を続ければ、俺が何をしたのか理解できるようになる。他の誰でもない、俺が保証する」
そう言い残して俺は項垂れる執事部下魔法使いの横を通りすぎた。
全然離れられていないカリントを見据える。
「時々は魔法を使わずに運動しなければ太るものな」
強化魔法を解除して全力疾走。目指すは前方で息を切らすカリントである。背後から不意打ちを警戒したものの、無駄に終わってしまう。
もちろん余裕で追い付いて、追い越したので急停止。
どうやら本人は走るのに必死で、目の前にいる俺の存在に気付いていないようだ。
「凄い……な」
走っている動きなのに、進んでいる距離は歩いているのとほぼ変わらない。いわゆる見た目だけである。
「ほい」
足を進路上に出すと、見事なまでに引っ掛かって顔から砂へダイブした。
「ハブーッ! ペッペッ……ヒィ!」
砂が口に入ったらしく、必死に吐き出そうとし、ようやく俺の存在に気付いた。
「逃げるのは終わりか?」
俺は笑いかけた。
「た、助けてくれ。金ならいくらでも出す、な、な?」
俺は笑みを崩した。
「そうやって助けを求めた少女たちを、お前はどうしたのだろうなぁ?」
俺は眉を寄せ、カリントを見下した。ゴミを見るように冷めた目で。
「いぎゃあああああ!!!」
「うるさいなぁ。たかが砂が足を貫いた程度だ、耐えてみろよ」
指をくいと上げると砂が鋭い刃の如く、カリントの右足の太ももを貫いた。
痛がる様を見ても高揚感は全くないので、俺は至って普通の趣向の持ち主らしいと安堵する。
「早く血を止めないと死んでしまうぞー」
「た……助けてくれぇ、お願いだぁ……」
涙を流して懇願する姿はまさに滑稽と言えよう。
今のお前のように、少女たちは救いを求めたはずだ。――助けてくれ、と。
そんな彼女たちをお前はどうした?
助けを乞うのを嘲笑い、身体だけではなく心までも弄んだのだろう?
恐怖を、屈辱を、絶望を、苦しみを存分に味あわせたのだろう?
だから俺はお前にそれ以上の恐怖屈辱絶望苦しみを与える。
俺は〈魔王〉だからな。
時には非情で残酷にならなくてはならない。良い予行演習だ。かと言って妥協は一切してやるつもりはないとも。
「喜べ。お前には“死”などと言う解放はないと知れ。その命尽きし後にまで残る絶望を与えてやる」
俺はカリントを人間が行う拷問以上の痛みを、今まで味わったことがないような恐怖を、気が狂いそうなほどの屈辱を、終わりなき絶望をくれてやった。
「これが俺がお前に下す“裁き”だ」
砂漠に一人の男の叫び声が広がり、風の音に掻き消されるのを何度も繰り返した。
砂はカリントから流れ出た血で濁り、どれだけの残酷さかを物語っていた。当の本人はもはや人として機能はするまい。
殺してはいない。ああ、殺してないとも。
利用価値はまだあるから生かしておかねばならないのだ。
「ただ心を壊しただけ」
人々はこの状態の者のことを廃れた人――廃人と呼んだ。
「あっちの様子は、と。〈流砂千渓〉が無事勝利したみたいだな」
執事部下たちは地面に横たわり敗北していた。
初めから勝てるはずがない。
〈流砂千渓〉はこの砂漠の支配者、つまり一番強い魔物だからな。そんじょそこらの人間が勝てたら悲鳴ものだ。
かくいう俺も、グリムに半ば強引に連れてこられ「あいつと戦って勝ってくること」とか言われた時は「は?」ってつい聞き返したからなぁ。
挙げ句、散々遊ばされて気を失った時は、知らない人が川の向こう岸で手招きしてた。あれが死後の世界なんだろうか……?
〈砂小渓〉と呼称される魔物が原因不明の進化を果たした個体らしく、世界にあいつしか存在しない希少種でもある。
「俺……良く生きてるな」
全身が硬い鎧のような外皮で覆われていて生半可な武器では傷すらつかない。
極めつけは尻尾の先端から出る即死級の猛毒。それが3本もあるのだから、俺でも相当苦労したのを今でも鮮明に覚えている。
ちなみに執事部下たちの相手をした砂で形造られた諸々は〈流砂千渓〉が使用する魔法である。
希少種故に簡単に姿を晒せないからこそ、こういう風に遊ぶのは楽しそうだった。
ずるいよなぁ。
その身だけでも全然強いのに、さらに魔法まで使うなんて嫉妬してしまうぞ。
「次来た時は俺も遊ぶから、待っててくれよ」
砂の人が手を振ってくれた。
律儀な奴だ。最後まで言いつけを守って姿を現さないのを徹底した。
ほんと、俺にはもったいないくらいの使い魔だ。
別れを済ませると、俺は再び指を鳴らした。
街への帰還である。
まぁ、俺以外まともに動ける奴はいないのだがな……。
「――おや?」
背後から近付く気配に気付いて振り向くと魔力を帯びて剣となった杖が眼前に迫っていた。
執事部下魔法使いである。まだ飛びかかってくるとは、大した根性の持ち主よ。
「うむ。声を出さずに攻撃を仕掛けたのはよし。だがもう少し気配を消さねば余裕で防がれるぞ。このように……」
剣を2本の指で受け止めた。もちろん指を含め、手には魔力を纏っている。そうしなければ俺の指が増えてしまうからな。
「てっきりもう諦めたのかと」
「オレたちにはこうするしか道は残されてないんだよ!」
「なるほど、お前は――」
こうして改めて近くで見れたおかげでわかった。
意外な事実が判明したのと、執事部下魔法使いがとある魔法を詠唱したのは同じタイミングだった。
「消えて無くなれ! 我が命を糧とし、世界に衝撃を伝えたまえ――」
街中で自爆魔法か。主を救えないならこの街もろとも消滅しようと考えたわけだ。
これは……事情を聞くべきなのだろうな。
聖人君子になったつもりも、なるつもりもないがこのまま放っておくのも寝覚めが悪い。特にイーニャが。俺ではないぞ、俺では。
「〈爆滅殲界撃波〉!!!」
執事部下魔法使いの胸元に真紅の魔法陣が浮かび上がる。
「させるかよ」