『全力で応えよう』
アルヴァンは確かに見た。
「――」
串刺しになるレグルスの口角が僅かに上がったのを。確認するより先に、展開していた武器が一斉に標的へと突進した。
「――ダンテを信じて正解だった」
血が滴る武器の塊の上下、丁度レグルスの頭上と足下。そこに魔法陣が展開する。
「配下が覚悟を示したんだ。応えなくては魔王の名が廃る」
声を聞き取ったアルヴァンは、間違いないと確信する。レグルスはまだ生きている、と。
「我が名はレグルス・デーモンロード。魔を統べる王なり。故に得るは勝利のみ――」
武器の塊の隙間から光が漏れる。
「させないッ!」
巨大な大剣を生成するも、即座に両断された。
驚くべきなのは、アルヴァンが生成したのは大剣だけではなかったのだ。
レグルスを囲んでいる武器より多い数を生成した――はずなのに、視認できたのは大剣のみ。
「――なんっ」
直感に従い周囲を見渡し、誰の仕業なのかを見抜いた。その視線の先でフィーネの刀が、小さくチャキと音を立てる。レグルスの邪魔をさせまいと、彼女が大剣を斬り捨てたのだ。
「封じたる力解き放ち、仇成す者を滅ぼせ――〈全解放〉」
ふたつの魔法陣が交差し、上下が入れ替わった瞬間。広大な部屋を黒い光が支配する。
「――構えないのか?」
眩い光が弱まり、ようやく目を開こうとしたアルヴァンはそれを聞いた。声から相手の位置を予測し、刀を振るい斬撃を飛ばす。
「……?」
当たった手応えがあったのに、レグルスからの反応がない。
目を開ければ、答えはすぐに出た。
「……それがアンタの本当の姿か」
漆黒の髪は腰まで伸び、耳上に角のように整えられた部分もある。
赤いラインの入った、髪にも負けない黒さの外套に似たローブを纏っていた。
そして、先程まであったはずの傷が、全て完治したかのように見当たらない。
「そうなるのだろうな。これが今の俺の全力状態だ」
自分でも実感がない、そんな曖昧な返答だった。
彼と対峙するアルヴァンは違っていた。
冷や汗が額から頬を伝う。
レドとの手合わせ以来の緊張が、彼の身に降り掛かっていた。
「仕切り直しだ、アルヴァン。死んでくれるなよ?」
「それはオレのセリフだ!」
ゆっくりと瞼を上げるレグルスの問いかけに、アルヴァンは食い気味で答えた。
相対する彼が一番よくわかっている。目の前の魔王は、もはや人類ではないことを。
だがそれは少年とて同様。ようやく同じ土俵に立ったに過ぎない。
「――ッ」
アルヴァンは攻撃を仕掛けるべく動こうとした。ほんの少し、指先、足先を動かしかけた時――それが見えた。
他の手段を試す、が結末は変わらず。だから、変わるまで何度も挑戦した。
「……」
フィーネの位置からは、ふたりがただ見つめ合っているようだった。実際は僅かな呼吸、動きなどから先を予測しているのだ。
そして彼女は、本来なら当人同士しかわからない、その行程、結果が見えていた。
「ありえ……ない……」
かつての師にすら届くと思しに現在の己が実力が、この魔王の前では赤子も同然。何をどうしても、訪れるは敗北。
笑いが込み上げてきた。そんなことはありえない、と。
信じられなかった。信じたくなかった。
まるで、今までの自分の全てが無駄だと言われているようで。
だから――、
「〈終への道標〉」
地上の魔力球が小さくなり、アルヴァンのもとへ。
「〈終へと導く〉」
魔力球がアルヴァンの胸から体内へ。
「〈終から無に至れ〉」
全身を揺らすほど大きく脈打ち、やがて変化へと至る。
壁を、柱を、外敵を破壊せんとする勢いで魔力波が周囲へと放たれる。その中心で、彼は新たな姿を得た。
人であることを捨て、目的の邪魔となる敵を排除する装置に成り果てる。
「……」
何もせず、一部始終をただじっと見ていただけのレグルス。そんな彼がどんな気持ちなのか、フィーネはわからなかった。
「意志というより、ここまで来ると執念だな」
膨大な魔力を取り込み、自我を失って暴走する。そう予測していたレグルスは肩を竦めた。
「なんとでも、言え。オレは必ず、世界を……救うんだ!!」
本来なら見えないはずの魔力が、黒い奔流となって手足から吹き出ている。体内に抑え込めなかった分が漏れ出ているのだ。
痛々しい、という言葉がパッと浮かぶ。そんな見た目と化していた。実際、アルヴァンは全身の痛みで叫んでもおかしくない状態である。
「ハァアアアアッ!!!」
雄叫びと同時に姿を消し、レグルスの背後に現れて斬り掛かる。
「くっ、速いな」
一手防がれれば、ニ手目へ。それも駄目なら三手目へ。
息をつく暇も与えない猛攻が、四方八方から繰り出されてレグルスを追い詰める。が、それら全てを攻撃を二刀流で見事に受け流していた。
「オレは……オレは負けない!!」
思いの力、とでも言うべきか。
〈全解放〉を使用したレグルスの方が、強さでアルヴァンを上回ったはず。なのに、傷を増やすのは力を解き放った彼の方だった。
「この身は人なれど、多くの魔族の命運を背負っている」
膨大な魔力による身体能力の強化は、レグルスの予想を超えていたのだ。
「だから俺は……何者にも負けない」
正面からアルヴァンの刀を受け止め、相手の目を見てレグルスは言う。勝つのは俺だ、と。
フィーネに見られているので、無様な負け方ができない、というわけでは決してない。そう考える自分の胸中に苦笑を見せる。
宣言を皮切りに、彼らの優劣が逆転し始める。
アルヴァンの二刀流による連撃にレグルスが追いついてきた。
受け止めはせずに、受け流すか躱すかの二択で徹底する。
故に一撃に力を込め過ぎれば、容易に体勢を崩される。
そう、防ぎながら相手への精神的牽制を行っているのだ。
切った張ったの攻防を繰り広げる彼らの周りでは、様々な武器が衝突を繰り返して金属音をまき散らしていた。アルヴァンが生成した武器と、レグルスがバンガスに造ってもらった武器である。
焦り出したアルヴァンに対し、無表情に近いレグルスの瞳だけが忙しなく動く。
そしてついに、完全に剣筋を見切り、二刀相手に一刀で追い詰める側へと返り咲く。
「これでは師に怒られるな」
だが、突然レグルスの方から間合いを外し、アルヴァンを見据えて一呼吸。
「悔しいな……」
アルヴァンはため息を吐くように心情を呟いた。
限界も、全力も超えた状態でさえ、レグルスを斬るビジョンが見えないのだ。
人がどれだけ手を伸ばしても、雲を掴むことができないように。
「それでも……」
刀を掴む両手に力を入れ、対峙する相手を睨むように見据える。
全身全霊。全力全開。全てを込める。
「……来い」
アルヴァンの意思を汲み取り、レグルスは刀の切っ先を下げ、受けの構えを取る。
彼らの周りには既に、金属音を奏でていた数々の武器の姿はなかった。
左手を鞘に添え、右手は柄を握り、待つ。
「スゥ――フゥゥゥ」
アルヴァンから白い影が左右に分かれ、彼と同じ姿形となる。
「駆け抜ける――」
腕を胸の前で交差し、前傾姿勢で標的を見据えた。
〈日の道を刻む〉――分身と繰り出す二振りの刀、分身を含めた3人分の六斬撃。一直線に進む3人が重なる一点にいる標的を斬る技である。タイミングをずらすことで、相手の不意をつくことも可能。
構え、光を超えるかのような、目では捉えられない速さでアルヴァンと分身は直進する。
小細工など必要ない。ただ正面からぶつかり、斬るのみ。
「――」
レグルスの口が微かに動いたような気がした。
今更止められないし、止めるつもりもない。
これで終わる。
そして、レグルスを通り過ぎる。確かな手応えを感じたが、油断するまいと、すぐに振り返った。
彼の目に映るレグルスの後ろ姿は、先程までの立ち姿と何ら変わらない――。
あまりにも速すぎる斬撃で、傷口から血が吹き出るのも時間がかかるのだろう。
そう思ったアルヴァンは、違和感を覚えた。分身が消えているのだ。
技が終わったのだから消えて当然のはずなのに、彼の感覚はそれを見過ごさなかった。
固まる少年に背中を向けたまま、レグルスが口を開く。
「――使うつもりはなかった。だがな、覚悟を決めて本気でぶつかってくる者に対し、半端な対応では失礼に値しよう。だから最後のは正真正銘、俺の本気だ」
「なに、を……?」
何を言っているのか皆目見当もつかず、思わずアルヴァンは聞き返していた。
しかし、レグルスは答えずに、身を翻してこう告げる。
「さよならだ、アルヴァン・ニヒル・オーレディア。相見えたことを誇りに思う」
レグルスが言い終わる頃を見計らったかのように、現実がようやく事象に追いついた。
陸が、空が、海が、そして――アルヴァンが分かたれたのである。